恐怖が人を差別にしがみつかせる 高階秀次「文学者たちの大逆事件と韓国併合」
2011年 01月 27日
ジエンダー差別、ひいては差別一般について。
Nさんがジエンダーフリー的発言をすると本気で不快感を表したり怒り出す男性がいるそうだ。
それは
女性が男性支配から解放されて自立することへの恐怖感があるからだと思う。とNさんは言う。
そのとき、俺がたまたま持っていた本がこれ。
俺には難しくて大逆事件と取り上げられている文学者(佐藤春夫、与謝野鉄幹、柳田国男、漱石、荷風、潤一郎、小林勝、井上光晴、中上健次、有島武郎、金石範、北村透谷、高山樗牛、崔華国、国木田独歩、三島由紀夫、大江健三郎など)の結びつきが良く分からないところがあったけれど、そういうところにこだわらずに読んだ。
乱暴な読者だ。
きとらさんも引用しているが大逆事件で縊られた大石誠之助のことを書いた鉄幹の詩が載っている。
日本人で無かった誠之助、著者はこの詩は逆説の意味を反転させて”「日本人」の定位”に貢献したという。
立派な気ちがひの誠之助、
(略)
誠之助と誠之助の一味が死んだので、
忠良な日本人は之から気楽に寝られます。
おめでたう。
天皇を頂点とする国家、そこに必要なものとして存在する支配=被支配、差別=被差別の関係に異議を唱える輩を”大逆”の輩、気ちがひとして縊り殺す一方で忠良な日本人像を明らかにしたのが大逆事件だ。
でっち上げの罪で殺された12人と聖恩(天皇の慈愛)により罪一等を減じられ無期懲役になった12人は非日本人の見本。
彼らは葬儀や墓を建てることすら許されず、彼らを生んだ県や町はこぞって反省をした。
永井荷風はこの事件に際し、なにもプロテスト出来なかったことを恥じて
以来わたしは自分の芸術の品位を江戸戯作者のなした程度まで引き下げるに如くはないと思案した。日露戦争に“勝利”した近代国家日本は人権主義者、被差別部落の解放を叫び、公娼制度の撤廃のために戦うような者たちを恐れた。
帝国の拡張を支えるために内部規律を固めなければならない。
邪魔者は日本人にあらず、殺すぞ!
大逆事件は“成功”して大東亜戦争に至る日本の見えざる(詳細は国民に伝えらない、今も)支えとして無敵な力を発揮した。
それは朝鮮や中国支配の精神=民族差別としても機能した。
忠良な日本人が求められる、として。
そして前にも書いたように大逆事件はいまだに正式には未処理であり続けている。
それどころか今もう一度”大逆事件のような”、そのような強権の発動を促すような世の中になってきていると、俺は感じる。
もの言えば唇寒し、内心の咎めを押し殺しながら大勢に従う政治家、企業人、組合幹部、メデイア、官僚、、彼らは大逆罪で縊られるのを恐れている。
ノアの箱舟に乗れる人数は限られているのだ。
うかつなことを言ってはならないと。
そしてさまざまな差別をそのままにし、新たな差別も作りあげている。
そうだ、Nさん!本書には漱石の作品が「ホモソーシャルな欲望=男同士の絆」の悲劇を描いているという指摘がありましたよ。
そのことと大逆事件の関連は私には判らなかったけれど。
平凡社新書
活字中毒なんて、嘯いていた自分が懐かしい。
それほど今は恥ずかしい状態です。
多謝!
ただ前より少しは考えて読むようになりました。少しは、です。
恐怖は人間が人間らしく、自分らしく生きるための大きな足かせであると思います
イタリアでも、人種差別、よそ者を斜に見るのは結構日常茶飯事で、そういうことをする人に限って、イタリアのてめーの小さな町しか知らなかったりする
知らないものを知ろうとするのではなく、恐怖にかられて除去しようとする
そこん所をうまく利用するのがエセ為政者だけど
利用されるべき弱みをいつまでも抱えてる人民も実に愚かで情けない
土曜日彼女もokだって! ^^
理性が動物本能に勝てないのかなあ。
だからこそ、何べんでも差別の愚かしさを言わなければならないのではないでしょうか。自らに言い聞かせるためにも。
確かに反動の潮流はありますね。しかし、あの時代との違いが一つあります。幸徳秋水や堺利彦、大杉栄といった革命家がいません。また、池辺三山や徳富蘇峰といった保守の側の論客もいません。人間が、右も左も小粒になりましたですねぇ。
大逆事件の頃は、極論すると無責任にもワクワクして話を楽しむようなところがあります。
今の話は週刊誌ネタにすぎない。
後世の歴史家は語るすべがないかもしれません。
かといって社会に与える悪影響は決して小粒じゃないから困ります。
佐平次さんに紹介頂いた『音もなく少女は』の中の一節にもこのように
『でも、なにより悪いことは、彼らは弱い人間だということね。男の中の弱さはその男をより憎しみ深くて、より自己中心的で、より裏切りやすく、より多くの力と自制心とお金を必要とする人間にする。それが彼らを暴力的にするのよ』
正にですね。。。
漱石がホモソーシャルの悲劇を描いている。かなり関心があります!読んでみます!
弱き者、汝の名はお・と・こ。
差別の事実を知らないことで差別する側にいることも知らないのです。
会社もトラブル、不祥事防止の観点で差別問題に取り組むのですね。うまくやればいい、と言葉狩りを教えたり。
法律に触れるセクハラの限界を教えたり、根本を教えていないのですね。