言葉と三味線の心地よいシャワー 国本武春 宝井琴調 義士伝読み競べ
2010年 11月 19日
コンセルトヘボウの後は浪花節、浪曲だ。
だってあれには三味線がなかったもの。
国本武春曰く、せいぜい百五、六十年という浅い歴史、大正から昭和のはじめに人気のピークでラジオを一心に聴いていたお客が本物を見て聴けると期待してましたから浪曲師が登場すると「待ってました!」の声が割れんばかり、それでもう一度武春の登場やり直して「待ってました!の合唱。
「英国密航」
伊藤博文、井上聞多たち、長州藩の5人の志士が英国に密航するまでの金策や英国総領事に周旋を依頼するなどの準備をユーモラスに語る。
藩主から英国に行けと言われても英国ってどっちに行けばいいんだい?
東海道を左に曲がるんじゃないか。
横浜を出て上海経由で半年の航海、途中の国々を軽快にウナル”道中づけ”が快い。
幕間に守田梢路と武春が舞台の袖で話す。
三味線の沢村豊子が武春を横から見るように坐って演奏した。
演者の呼吸に合わせてアドリブのように演奏するから通常は衝立などで姿を見せないのだが浪曲初めての客に対するサービスだ。
(パリからの友達を囲むかつての仲間の集い。
おしゃべりと酒のグルーブ感も捨てがたい、二日酔いはしょうがない)
宝井琴調は大岡政談から「人情匙加減」
琴調と武春はともに十代でこの世界に入った最後の人、今は講談というと女性の講釈師ばかりで、男の人もいるんですかなどと言われてしまうそうだ。
仲入り後はお目当て義士伝読み競べ。
冬、日本人とくれば忠臣蔵(講談では義士伝という)、それがチュウシンゾウって?と訊かれる時代になって、今また歴女が講談を聴くそうだ。
今度は守田と琴調の対談で守田いわく
琴調「赤垣源蔵徳利の別れ」
討ち入りの晩に兄と別れを告げに来た源蔵、兄が留守なので兄の羽織を屏風にかけて盃を二つ用意して持参の酒をさしつさされつ
翌朝、討ち入り成功のニュース、さて弟源蔵はその中にいるのかと気をもみ自分で確かめに行ってもし弟が参加していないことが分かったらその場で切腹しなければならなくなるからと家僕に行かせる。
そうか、いたか、でかした弟!
このあたりで俺の涙腺に異常が生じるのは不覚というべきか。
以前国立演芸場の「花形演芸会30年の集い」で武春が浪曲でやったのも良かったけれどあの時は涙腺は持ちこたえてくれた。
今日の不覚は芸のせいか俺の老化進行のせいか。
(愛犬談義も弾んだ。サンチくしゃみしなかったかい?)
最後は武春「南部坂雪の別れ」
今度は三味線は衝立に隠れて舞台は正式、堂々たる浪曲の構え。
大石内蔵助が浅野内匠頭の未亡人・陽成院に討ち入りをすることを告げに行くのだがスパイが女中として入りこんでいること危惧して「もう仇討なんてやりません。侍返上のお別れに来た」と言って奥さまを怒らせてハヨ帰れ!目ざわりじゃ。
翌朝義挙がなったことを聞き、ああ、なんと申し訳ないことをしたかと涙に暮れる奥方だ。
だいぶ前になるが目白台にある永青文庫で「赤穂義士御預始末」展というのを見たことがある。
その時、陽成院が義士たちの遺族と長らく親交を結び遺児の無事を気遣った手紙を見たような記憶があって同席していたAさんにそのことをしゃべった。
今ブログで確かめたらその気遣いをしていたのは大石の奥方・りくだった。
講談や芝居・映画などで馴染んだ忠臣蔵は”お話=フイクション”のイメージが強かったのが、この展覧会を見たら一挙に生々しい実話となったことを思い出した。
その実話の持つ力が多くの日本人の想像力を刺激して数々のフイクションを生んできた。
フイクションであってウソではないのだ。
紀伊國屋ホール
だってあれには三味線がなかったもの。
国本武春曰く、せいぜい百五、六十年という浅い歴史、大正から昭和のはじめに人気のピークでラジオを一心に聴いていたお客が本物を見て聴けると期待してましたから浪曲師が登場すると「待ってました!」の声が割れんばかり、それでもう一度武春の登場やり直して「待ってました!の合唱。
「英国密航」
伊藤博文、井上聞多たち、長州藩の5人の志士が英国に密航するまでの金策や英国総領事に周旋を依頼するなどの準備をユーモラスに語る。
藩主から英国に行けと言われても英国ってどっちに行けばいいんだい?
東海道を左に曲がるんじゃないか。
横浜を出て上海経由で半年の航海、途中の国々を軽快にウナル”道中づけ”が快い。
幕間に守田梢路と武春が舞台の袖で話す。
浪曲の魅力の一つは道中づけ、歩いて行くから目に入るんですね、新幹線や飛行機じゃ駄目。さしずめロック会場のアリーナで踊りまくる観客だね。
ウナってる本人がいい気持ちになってるンです。
それともう一つ、浪曲の魅力は観客と一緒になったグルーブ感。
場内が揺れるんです。
三味線の沢村豊子が武春を横から見るように坐って演奏した。
演者の呼吸に合わせてアドリブのように演奏するから通常は衝立などで姿を見せないのだが浪曲初めての客に対するサービスだ。
おしゃべりと酒のグルーブ感も捨てがたい、二日酔いはしょうがない)
宝井琴調は大岡政談から「人情匙加減」
琴調と武春はともに十代でこの世界に入った最後の人、今は講談というと女性の講釈師ばかりで、男の人もいるんですかなどと言われてしまうそうだ。
仲入り後はお目当て義士伝読み競べ。
冬、日本人とくれば忠臣蔵(講談では義士伝という)、それがチュウシンゾウって?と訊かれる時代になって、今また歴女が講談を聴くそうだ。
今度は守田と琴調の対談で守田いわく
講談は言葉のシャワー、立て板に水が気持ちがいい琴調が受けて
立て板に水のマイナスイオンですかお経、子供が寝るときに聞きたがる母親の昔話、そういえば俺が毎晩聞く落語のテープも内容よりも言葉のシャワーが気持ちを鎮めて眠りにいざなうのだ。
琴調「赤垣源蔵徳利の別れ」
討ち入りの晩に兄と別れを告げに来た源蔵、兄が留守なので兄の羽織を屏風にかけて盃を二つ用意して持参の酒をさしつさされつ
母上は恥辱を受けることがあれば死を選べ、と厳しかったですねえ。西国の大名に士官が叶ったのでしばしのお別れ、くれぐれも兄上によろしくと言い置いて立ち去る。
でも母上の膝を枕にして耳を掻いてもらうのは嬉しかった。
えっ?兄上はそんなことがなかったって?
次男に生まれたことを恨めしくおもったこともありましたが、それを聞くと得した気になります
翌朝、討ち入り成功のニュース、さて弟源蔵はその中にいるのかと気をもみ自分で確かめに行ってもし弟が参加していないことが分かったらその場で切腹しなければならなくなるからと家僕に行かせる。
そうか、いたか、でかした弟!
このあたりで俺の涙腺に異常が生じるのは不覚というべきか。
以前国立演芸場の「花形演芸会30年の集い」で武春が浪曲でやったのも良かったけれどあの時は涙腺は持ちこたえてくれた。
今日の不覚は芸のせいか俺の老化進行のせいか。
最後は武春「南部坂雪の別れ」
今度は三味線は衝立に隠れて舞台は正式、堂々たる浪曲の構え。
大石内蔵助が浅野内匠頭の未亡人・陽成院に討ち入りをすることを告げに行くのだがスパイが女中として入りこんでいること危惧して「もう仇討なんてやりません。侍返上のお別れに来た」と言って奥さまを怒らせてハヨ帰れ!目ざわりじゃ。
翌朝義挙がなったことを聞き、ああ、なんと申し訳ないことをしたかと涙に暮れる奥方だ。
だいぶ前になるが目白台にある永青文庫で「赤穂義士御預始末」展というのを見たことがある。
その時、陽成院が義士たちの遺族と長らく親交を結び遺児の無事を気遣った手紙を見たような記憶があって同席していたAさんにそのことをしゃべった。
今ブログで確かめたらその気遣いをしていたのは大石の奥方・りくだった。
講談や芝居・映画などで馴染んだ忠臣蔵は”お話=フイクション”のイメージが強かったのが、この展覧会を見たら一挙に生々しい実話となったことを思い出した。
その実話の持つ力が多くの日本人の想像力を刺激して数々のフイクションを生んできた。
フイクションであってウソではないのだ。
紀伊國屋ホール
落ち葉とサンチ君、かわいいです~
やっぱり、ぬいぐるみみたいだワン。
やっぱり、ぬいぐるみみたいだワン。
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saheizi-inokori at 2010-11-20 09:36
みい さん、落ち葉の中にとけっちゃったようになることもあります。
ルナちゃんのようにリードを外してやりたい!
ルナちゃんのようにリードを外してやりたい!
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創塁パパ
at 2010-11-20 20:48
x
武春の「待ってました」やり直し経験したことあります(笑)琴調も寄席で聴いたことあります。講談もいいですね。さてさて暮れですか。市馬の「玄蕃」も出てくる季節です(笑)
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saheizi-inokori at 2010-11-21 11:33
創塁パパ さん、盛り上げる工夫ですね。彼の場合は嫌味がなくていいです。
これからはいい番組が多くて目移りがします^^。
これからはいい番組が多くて目移りがします^^。
by saheizi-inokori
| 2010-11-19 12:26
| 落語・寄席
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