書き継がれる浅草 山田太一・編「土地の記憶 浅草」

江戸城を中心とした洪積層の江戸と低地・水郷を中心とした沖積層の江戸とはもともと別の存在であった。
家康の入国以後埋め立て工事などを行い連続した江戸が出来上がったのだ。
「江戸」という地名は岬角を表すアイヌ語・Etuに由来し、江戸城(江戸氏が拓いた)を中心に高台の政治的聚落として発達した。
一方、沖積層デルタに出来た浅草は観音菩薩を中心にあたかもヨーロッパ中世紀の寺院都市のように宗教的、工芸的、商業的色彩を帯びて発達した。
江戸が政治上の変動を見てきたのに、浅草はその変動を馬耳東風として、いつも平和に発達してきている。
本書の冒頭に収められた人類学者・鳥居龍蔵の1919年の文章にこんな趣旨のことが書いてある。
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浅草生まれの山田太一が編んだ浅草物語。
斎藤緑雨、広津和郎、矢田挿雲、P・ロチ、前田愛、高村光太郎、江戸川乱歩、室生犀星、添田唖蝉坊、サトウハチロー、川端康成、高見順、沢村貞子、、34人の作家、詩人、評論家、俳優、学者、、さまざまな人たちが書いた浅草についての文章のアンソロジーだ。
伊藤左千夫の「浅草詣」という掌編に描かれた家族、子供たちのなんと可愛いことか。

小沢昭一がかつて野坂昭如の選挙カーに乗って都内を走り回ったときに浅草の町に入ったとたん、別の国へでも来たかのように人々の反応が冷淡になったことを書いている。
蒲田、代田橋、日暮里、高円寺、池袋など東京の”場末”をへめぐってきた小沢はこよなく浅草にあこがれ、通ってきたけれど、浅草にとってヨソモノであり、その間には「深くて暗い河がある」とも。

たしかに浅草にはそういうところがある。
小沢がヨソモノなら俺は長野という異国モノだ。
それでも大学時代に心屈すると往復50円の銀座線の終点まで行ってなにをするでもなく国際劇場のあたりを彷徨ってきた。
会社の“改革”で理屈を言って頑張って窓際に追いやられたときも出社したあと身の置き所がなくて都内を彷徨って、最後に行くところは六区の三本1000円の映画館だった。
寅さんを見ていたら後ろから肩を叩くやつがいて「アンちゃん、こんないい奴、いねえよな」と囁く。
振り返るとホームレスのような男が涙をためていた。
渋谷だったら観客が大笑いするシーンで泣いていた。
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それでいてなんども行っても、飯を食うのにどの店に入って好いかわからない。
情報誌やテレビに出てくるような店が嫌だともう後は地元の常連以外には鼻もひっかけないような佇まいがあるのだ。

不思議な町・浅草が大川のほとりに佇む象だとすれば、その体を撫でて思い思いの浅草像を語る人々、読んでいるとその人々の風貌が仲見世や伝法院のあたりに浮かびあがってくるようだ。
どんなに著名なその世界の達人であっても、黒々と時には光を浴びて輝いて立っている巨象・浅草からみたらみんな群盲にすぎない、そのことを身に沁みて路地から路地へ彷徨う人たちの後ろ姿が見えてくる。

幕末、明治、震災前後、戦災前後、浅草が大きく変貌したかのような記述が多い。
それで俺は昔の浅草を知り改めて浅草に憧れるのだ。
しかし、つまるところ今の浅草も根っこのところはあまり変わっていないのかもしれない。
好いところも悪いところも。
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岩波現代文庫
Commented by antsuan at 2010-11-17 14:40
江戸っ子って、正確に言えば浅草っ子といったほうが良いんでしょうね。
勝海舟が守ろうとした江戸というのは、浅草庶民の気風だったんじゃないでしょうか。
Commented by saheizi-inokori at 2010-11-17 15:54
antsuan 、江戸っ子は神田の生まれだい!を自慢したようでもありますね^^。
新門辰五郎は幕府を直接警護したそうです。
Commented by kaorise at 2010-11-17 19:25
そうですね、、今も昔もかわらないものはありますよね。
saheiさんと同じように「ああ嫌だなあ」という浅草、私も若い時から何度か体験しています。
そういうことは新宿や渋谷では、であえませんから、浅草ならではかもしれない。
浅草大好きですが、、行くときは嫌な目にあわないよう少し気をつけています。
Commented by saheizi-inokori at 2010-11-17 23:24
kaorise さんも経験がありますか?
それでいて月に一度は行きたくなるから不思議です。
Commented by HOOP at 2010-11-18 00:33
深川の(今は無き)三十三間堂が、
もともとは浅草にあったということを最近知りました。
築地本願寺も、本当は浅草にあったものが移転した。
そんなことを考えてみれば、
浅草はとんでもない異空間だったのかもしれません。
Commented by saheizi-inokori at 2010-11-18 10:24
HOOP さん、今もなお、その名残はあるような気がします。
これからが問題ですね。
Commented by minmei316 at 2010-11-18 14:04
結婚する前ダンナとお付き合いしはじめて2度目か3度目のおデートが浅草でした。ところがそんな魅力があるとはいざ知らず、ダンナの顔ばかり見ていたのでしょうか・・・あまり町並みの景色とか覚えておりません(汗)
saheiziさんが惹かれる浅草があるように、わたしもこの金沢の好い所、これからじっくり見つけていこうかな・・・
Commented by saheizi-inokori at 2010-11-18 15:21
minmeiさん、旦那の魅力の前には浅草も霞みます。倦怠期になったらどうぞ。永久に来ないかな。
Commented by kaorise at 2010-11-19 00:16
そうそう、、そうなんですよ!
嫌な目にあっても、また行きたくなる。
なんともしれない、心の貧しい意地悪な人はいるけど、浅草にきて喜んでいる人達は明るくて、くったくがないんです。
知らない同志でもお店でちょっと話して親しくなれたり。
いい所を過大評価して、悪いところには目をつぶれば、それが浅草、ひいては観音心かもしれませんねえ、、
Commented by saheizi-inokori at 2010-11-19 00:27
kaorise さん、浅草は他所者の町でもあるのですね。
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by saheizi-inokori | 2010-11-17 11:48 | 今週の1冊、又は2・3冊 | Trackback | Comments(10)

ホン、よしなしごと、食べ物、散歩・・


by saheizi-inokori
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