喝!を入れられた 角岡伸彦「カニは横に歩く 自立障害者たちの半世紀」
2010年 11月 15日
1970年に脳性マヒ者が自立(親元や施設を離れて生活すること)と優生思想との戦いを目指して作った「青い芝の会」の行動要領は過激である。
五体満足で幸せに生きている人には一読意味が分からないかもしれない。
曰く
彼らが運動を始めてから世の中はずいぶん変わったようでもある。
しかし肝心のところはほとんど変わっていないのかもしれない。
表題は運動の過程で制作した映画の表題
生き生きと嘘も隠しもなく、俺まで彼らの仲間になって笑ったり怒ったり悩んだりしているような気になる。
自分の今までの生き方を省みて、なんだかとても大事なことを忘れて生きてきたような気にされる。
胸倉をつかんで
屋内ではベッド、屋外では寝台型の車イスに寝たきりの人になっている男、彼は若いときは”動ける障害者”として和歌山センター闘争では仲間を針金で机の脚に縛り付けた(機動隊の引っこ抜きを阻止するために)のであるが(血沸き肉躍る、この闘争の模様も書いてある)、が著者に語る。
(狛犬・サンチ)
講談社
五体満足で幸せに生きている人には一読意味が分からないかもしれない。
曰く
われわれCP者(脳性マヒ者)は現代社会にあって「本来あってはならない存在」とされていると規定し
愛と正義の持つエゴイズムを鋭く告発し、それを否定する事によって生じる人間凝視に伴う相互理解こそ真の福祉であると信じ、行動する安易な問題解決が危険な妥協への出発であると言い
健全者の作り出してきた現代文明が、われら脳性マヒ者を弾き出すことによってのみ成り立ってきたことを認識し、運動及び日常生活の中からわれら独自の文化を創り出すことが現代文明への告発に通じることを信じ、且行動する初代会長の横塚が同志である河野(健全者)に語った言葉が伝えられる。
障害を持ってる人間はかわいそうで、あんまり悪いことを考えない人間だとみんなが言う。そんなことはない。これだけ差別されれば、人間まがってるよ。まがってる人間なんだから、まがった人間として勝負せないかん本人も学生時代から介護者となって30年近くの間、彼らの生活、意識、運動の表裏を見てきた著者による青い芝の軌跡、成功も挫折も、素晴らしさといい加減さも、を描くノンフイクションだ。
彼らが運動を始めてから世の中はずいぶん変わったようでもある。
しかし肝心のところはほとんど変わっていないのかもしれない。
表題は運動の過程で制作した映画の表題
カニって横に歩いてるやん。誰も不思議に思わへんやん。障害者が健全者と違う歩き方をしてるのは当たり前のことちゃうのと。
生き生きと嘘も隠しもなく、俺まで彼らの仲間になって笑ったり怒ったり悩んだりしているような気になる。
自分の今までの生き方を省みて、なんだかとても大事なことを忘れて生きてきたような気にされる。
胸倉をつかんで
そんなんで良かったんか!えっ?それで満足してるンか?!と言われているような。
屋内ではベッド、屋外では寝台型の車イスに寝たきりの人になっている男、彼は若いときは”動ける障害者”として和歌山センター闘争では仲間を針金で机の脚に縛り付けた(機動隊の引っこ抜きを阻止するために)のであるが(血沸き肉躍る、この闘争の模様も書いてある)、が著者に語る。
鳥は空を飛べるわな。そやけど、わしが空を飛ばれへんからいうて困るか?困らへんやろ。ほなわしも、健全者がええとは思わへんやん若い人たちに是非読んで欲しい、痛快な本だ。
講談社
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kaorise at 2010-11-15 19:50
角岡さんの考えに大賛成です。
障害ではない、個性なのだと幼い時にお友達に教えてもらいました。
愛と正義のエゴイズム、その通りですね。
なんであれ自分は正しい、という人をはじく主張の裏にあるのは、弱さからくる僻みや差別意識の裏返しと思っています。
障害ではない、個性なのだと幼い時にお友達に教えてもらいました。
愛と正義のエゴイズム、その通りですね。
なんであれ自分は正しい、という人をはじく主張の裏にあるのは、弱さからくる僻みや差別意識の裏返しと思っています。
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saheizi-inokori at 2010-11-15 23:13
kaorise さん、思いやりとか労りという意識の下に差別意識が潜んでいると彼らは喝破するのです。
by saheizi-inokori
| 2010-11-15 11:02
| 今週の1冊、又は2・3冊
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