落語と歌舞伎音楽の共演 第二回「寛輔の会」
2010年 10月 27日
あれこれあって、というほどのことはないのだが今頃書くことになった。
19日に国立演芸場。
志ん輔さんのブログを毎日読んでいると等身大の噺家が目の前にいるようで楽しい。
つい「さん」づけで書きたくなる。
噺家の毎日ってなんだか「とてつもなく普通じゃないのではないか」と想像していたが志ん輔の毎日は普通と言えば普通、違うと言えば違う。
毎食なにを食うかに迷い、しょっちゅう喉の医者でチエックしてもらい、毎朝体操をして(忙しくて出来ないとほっとしたりもする)、全国を股にかけ都内を走り回って高座を勤めている。
そしていつも芸のことを考えている、ように見える。
志ん朝門下の優等生として古典落語を究めようとしているのは当然だが、その極め方でいろいろ工夫をしている。
工夫をしながら古典落語の可能性を開拓しようとしているようにもみえる。

第2回というこの会も彼のブログで知って予約したのだ。
まず一調一管、福原寛の笛と望月太津之の小鼓のかけあい。
「道成寺」からだとは後のトークで知った。
能の小鼓と掛け声などだいぶ違う。
ついで「歌舞伎音楽は何処から」と題して志ん輔が司会をして福原、望月、吉住小しなたちと歌舞伎音楽についてのトーク。
長唄、義太夫、常磐津、清元などは歌舞伎のために、歌舞伎をどう面白くするかを考えて育ってきた音楽だった。
その中から時どき名人が現れて歌舞伎から飛び出して純粋にそれのみで鑑賞できるようにして今の姿になったそうだ。
歌舞伎の中でもバックにいる音楽がひときわ存在を明らかにする代表例として「鏡獅子」の乱序、「時雨西行」をやってみせる。
”牡丹の花から雨滴の落ちる音が聞こえる”ほどの静寂と獅子のダイナミックな動き、なかなか、いいものだ。
トークの方はイマイチのらなくて、志ん輔ファンの追従笑いがめだち、志ん輔も「今日で二回目、これで良いというわけではないのでいろいろ考える」みたいなことを言ってた。
無理に笑いを取ろうとしないでもいいのじゃないか、と俺は思った。
そういう仁ではないもの。

(まさに夢の競演)
志ん輔「愛宕山」
上方流のはめ物とはちょっと違う感じで福原の笛と望月の太鼓が一八の歌の伴奏や飛び降りる時の効果音をやる。
噺は、、ちょっとノリが悪かったかも。
枕で京都の”嫌らしさ”を言うのに志ん朝が京都で軽くあしらわれたエピソードを紹介したのが、いかにも京都らしくって面白かった。
と書いたら中身も書かなきゃね。
志ん輔が「京都は好い」と言ったら志ん朝が嫌な顔をしたので訳を訊いた。
京都の顔ききが紹介してくれてお茶屋で遊んだら下にも置かないもてなし、志ん朝すっかりいい気持になって帰るときに挨拶をしたら「どちら様で?」と問い返されたんだと。

(こういう素朴なシナ蕎麦が好きだ)
紙切り・正楽
客の半分は歌舞伎系らしく正楽の一枚一枚に真剣に驚いて歓声を上げるのが楽しい。
「スカイツリー」に続いて「東京タワー」が出るとゴジラを前面に出した。
タワーだけだとどっちもおなじになっちゃう、と。
志ん輔・福原「婿取り問答」
別所文作の新作。
金満家の娘に婿を取るための面接試験。
娘が趣味人なので長唄、琴、琵琶、三味線、、雅な芸能が出来るかどうかをテストする。
そこで選ばれたのが福原演じる茶丸、屏風の陰で婿志願の男に代わって音を出す。
福原の長唄の声の素晴らしさ(志ん輔は口パク)。
落語というより福原の多才ぶりを楽しむしかけ。
最後は福原の笛と吉住の三味線で「鶯」
うっとりして、めでたしめでたし。
総じて楽しいと言えば楽しいが今一つ消化不良、志ん輔が言うように今後に期待しよう。
19日に国立演芸場。
志ん輔さんのブログを毎日読んでいると等身大の噺家が目の前にいるようで楽しい。
つい「さん」づけで書きたくなる。
噺家の毎日ってなんだか「とてつもなく普通じゃないのではないか」と想像していたが志ん輔の毎日は普通と言えば普通、違うと言えば違う。
毎食なにを食うかに迷い、しょっちゅう喉の医者でチエックしてもらい、毎朝体操をして(忙しくて出来ないとほっとしたりもする)、全国を股にかけ都内を走り回って高座を勤めている。
そしていつも芸のことを考えている、ように見える。
志ん朝門下の優等生として古典落語を究めようとしているのは当然だが、その極め方でいろいろ工夫をしている。
工夫をしながら古典落語の可能性を開拓しようとしているようにもみえる。

第2回というこの会も彼のブログで知って予約したのだ。
まず一調一管、福原寛の笛と望月太津之の小鼓のかけあい。
「道成寺」からだとは後のトークで知った。
能の小鼓と掛け声などだいぶ違う。
ついで「歌舞伎音楽は何処から」と題して志ん輔が司会をして福原、望月、吉住小しなたちと歌舞伎音楽についてのトーク。
長唄、義太夫、常磐津、清元などは歌舞伎のために、歌舞伎をどう面白くするかを考えて育ってきた音楽だった。
その中から時どき名人が現れて歌舞伎から飛び出して純粋にそれのみで鑑賞できるようにして今の姿になったそうだ。
歌舞伎の中でもバックにいる音楽がひときわ存在を明らかにする代表例として「鏡獅子」の乱序、「時雨西行」をやってみせる。
”牡丹の花から雨滴の落ちる音が聞こえる”ほどの静寂と獅子のダイナミックな動き、なかなか、いいものだ。
トークの方はイマイチのらなくて、志ん輔ファンの追従笑いがめだち、志ん輔も「今日で二回目、これで良いというわけではないのでいろいろ考える」みたいなことを言ってた。
無理に笑いを取ろうとしないでもいいのじゃないか、と俺は思った。
そういう仁ではないもの。

志ん輔「愛宕山」
上方流のはめ物とはちょっと違う感じで福原の笛と望月の太鼓が一八の歌の伴奏や飛び降りる時の効果音をやる。
噺は、、ちょっとノリが悪かったかも。
枕で京都の”嫌らしさ”を言うのに志ん朝が京都で軽くあしらわれたエピソードを紹介したのが、いかにも京都らしくって面白かった。
と書いたら中身も書かなきゃね。
志ん輔が「京都は好い」と言ったら志ん朝が嫌な顔をしたので訳を訊いた。
京都の顔ききが紹介してくれてお茶屋で遊んだら下にも置かないもてなし、志ん朝すっかりいい気持になって帰るときに挨拶をしたら「どちら様で?」と問い返されたんだと。

紙切り・正楽
客の半分は歌舞伎系らしく正楽の一枚一枚に真剣に驚いて歓声を上げるのが楽しい。
「スカイツリー」に続いて「東京タワー」が出るとゴジラを前面に出した。
タワーだけだとどっちもおなじになっちゃう、と。
志ん輔・福原「婿取り問答」
別所文作の新作。
金満家の娘に婿を取るための面接試験。
娘が趣味人なので長唄、琴、琵琶、三味線、、雅な芸能が出来るかどうかをテストする。
そこで選ばれたのが福原演じる茶丸、屏風の陰で婿志願の男に代わって音を出す。
福原の長唄の声の素晴らしさ(志ん輔は口パク)。
落語というより福原の多才ぶりを楽しむしかけ。
最後は福原の笛と吉住の三味線で「鶯」
うっとりして、めでたしめでたし。
総じて楽しいと言えば楽しいが今一つ消化不良、志ん輔が言うように今後に期待しよう。
志ん輔さんのblog、ご紹介ありがとうございました。本当に目の前にいるようで楽しいことこの上ないですね。
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maru33340 さん、真面目な人柄がよく出ていますね。
ラーメン、、美味しそうですね。。
私も、お気に入りの落語家さんのブログへよく遊びにゆきますが、生活全般、普通でいて、普通でないところが、面白い。鳴り物や踊りのお稽古の事とか!発想とか。
私も、お気に入りの落語家さんのブログへよく遊びにゆきますが、生活全般、普通でいて、普通でないところが、面白い。鳴り物や踊りのお稽古の事とか!発想とか。
京都のお茶屋の「どちら様で?」、「もう来ないで」って意味なのかなあ?
なんだか怖いお話ですねえ、、ホラーみたい!
なんだか怖いお話ですねえ、、ホラーみたい!
c-khan7 さん、サラリーマンと違って自分で律しなければいけないところが気楽なようで厳しいところですね。
夏油温泉の食堂で食べたラーメン、うまかったです。
夏油温泉の食堂で食べたラーメン、うまかったです。
kaorise さん、「志ん朝さん?そないな人うちら知りませんどすえ。えっ噺家?なんでっしゃろ?」てなもんやないかなあ。

何が消化不良だったんですか?シナ蕎麦の関係ですか!
旭のキューです。さん、シナ蕎麦は落語より5日も後に食べましたよ^^。
by saheizi-inokori
| 2010-10-27 09:53
| 落語・寄席
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Comments(8)