女によって作家は作られる 川西政明「新・日本文壇史 第三巻 昭和文壇の形成」

広島の女学生・長谷川泰子はロマン・ロランの「民衆劇論」に覚醒され、「出家とその弟子」に主演する岡田嘉子を見て新劇場優に憧れる。
上京した彼女を渡辺兵馬というハリウッドで助監督をしていたという男が騙して貞操を蹂躙する。
表現座の稽古をしているところを詩人の中原中也が見ていた。
大部屋を解雇されて住む部屋がなくなった泰子に中也は「僕の部屋に来てもいいよ」という。
中也は中学三年生、16歳、泰子は20になろうかと言うときだった。
同棲して間もなく寝ている泰子は中也に襲われる。
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中也は別れたばかりの親友・富永太郎よりもっと凄いらしい小林秀雄に会いたくて泰子を連れて上京する。
親しくなるとその人の近くに引っ越すのが中也だ。
小林は泰子を奪う。
若い小林は「自己に苛酷であること」を唯一の生の指針にしていたが、「自己に苛酷であること」は必然的に「他者に苛酷であること」を必要条件にしている。
泰子を中也から奪うことが小林には必要だった。

中也は泰子を奪われて真正の詩人になる。
「朝の歌」はそれまでの日本文学の経験主義にはない世界、
剥離、喪失、空無、幻視、内部から外部へ広がってゆく自由、メタフジィカルな美
をうたった。
吉田健一は、東洋の伝統である「精神が変転の極致に於いて知る退廃と倦怠」を西洋の到達点である近代と結び付ける表現として日本文学史上最初の作品であると評価した。
芥川が自殺しなければならなかった地点から新しい昭和文学への飛躍である。

いや、半可通に受け売りの文学史を書いてもしょうがない。
泰子のことだ。

泰子はやがて強迫神経症にかかり小林は修羅に落ちる。
しかし小林はランボーの「地獄の季節」さながらの修羅に陶酔する。
苦痛を伴う陶酔。
小林は想像力の中で死のエリアを通過して生へと還る。
現実の泰子は小林を殺そうとする。
別れた小林は虚脱状態を経過した一年後に「様々なる意匠」を書き文壇にデビューする。
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(亡父の句を書いた盃、死後母が配った)

もう一度泰子に戻らなければならない。
泰子はその後の研究で「巻き込み型」の強迫障害の変形とされる。
これは女性に多く性との関わりが深いという。
泰子は始め渡辺に強姦され中也にも望んだ形ではなく襲われた。
泰子の性であるはずのものが渡辺や中也に所有され、それを小林が奪った。
小林は「中也の所有する泰子の性」を「小林の所有する泰子の性」にしようとしたのだ。
それまで他者との関係で正常な距離を保つことを知らなかった泰子は小林との生活で自分と他者の間に無限の距離が空いていることに気がつき、「自分がただのひとりの女であるように小林にもただのひとりの男でいる」ことを要求した。
しかし小林は何事でも理智で乗り越えられると信ずる傲岸不遜な男だったから「ただ一人の男」でいるわけにはいかなかった。

中也と小林と言う昭和文学を切り開いた二人に愛された?泰子のことを思うと男の罪を感じる。
俺にもある男の罪だ。
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本シリーズ三巻目、いよいよ著者の熱は上がってきてグサッとくるような引用があり、登場する作家たちに注ぐまなざしも鋭さを増している。
当然だ、そろそろ著者の精神史を語ることにもなるのだから。

芥川の死、菊池寛の同性愛と侠気、天涯孤独な川端康成の同性愛、室生犀星の出生の秘密、萩原朔太郎の異常、宇野千代と梶井基次郎の恋、、、ゴシップとミステリー満載だ。
だがそのゴシップの中に血を吐く思いで生きていくことで前人未踏の作品世界を切り開く作家たちのことを考えるとこちらまで息苦しくなる、そんなゴシップだ。
Commented by naou7 at 2010-10-21 11:02
泰子のような女性、いまも多いと思います…
まるでモノ扱いですね…
面白そうです、早速、読んでみたいです。
Commented by saheizi-inokori at 2010-10-21 12:11
naou7 さん、テレビや週刊誌のゴシップよりはるかに面白いです^^。
Commented by cocomerita at 2010-10-21 18:35
Ciao saheiziさん
戦国時代の女性もそう言えばこういう感じじゃないですか?
私は逆にそんな中で彼女がどう思っていたのか、泰子さんの心のひだを知りたいなあと思います
しかし、この頃の芸術家って、やけにドロドロしてますよね――
私にはちょっとこういうドロドロは強烈過ぎて、駄目だなあ
美しいと思えないから
まだまだ子供です ^^
Commented by saheizi-inokori at 2010-10-21 21:27
cocomerita さん、自分の心に正直だったのでしょうね、良くも悪くも。
Commented by きとら at 2010-10-21 22:57 x
 小林秀雄は大嫌い、中原中也には関心がなかったので、長谷川泰子は知りませんでした。ネットで画像を検索、凄い美人ですね。
 美人に弱いので次々にネットを読んでみました。
 長谷川泰子は小林や中原よりも、生き方そのものが文芸作品的ですよ。
Commented by 芙蓉 at 2010-10-22 00:54 x
こう考えますと、昭和という時代は、凄い時代だったのですね。
絵画にしても文学にしても、ものを作り出す力は半端ではなく..
命をかけて挑んだのでしょうか。

スピード感あるsaheiziさんの解説が素晴らしくて、
思わず引き込まれました。
秋櫻の句、素敵ですね。
Commented by kaorise at 2010-10-22 01:03
まあおそろしい、、今なら犯罪ですね。
偉大な文学者であっても悪人は悪人です。
普通に考えたらやっていい事といけない事くらいわかります。
特に言葉の仕事をやっているのだし。
でもよく考えたら、泰子さんは自分自身の写し鏡で自分はそういうレベル。と捉えていたという事ではないでしょうか?
心が低すぎる、、びょうきですねえ。
Commented by 旭のキューです。 at 2010-10-22 06:57 x
女によって、作家は作られる。分かる気がいたします。
Commented by saheizi-inokori at 2010-10-22 07:08
きとら さん、私は小林はちゃんと読んだことがない、読みかけてもわからないのですよ。
川西は泰子のことをとりあげたのは手柄ですがその後の泰子について書いてない(まあ、文壇史ですから)。誰か書かないかなあと思います。
Commented by saheizi-inokori at 2010-10-22 07:11
芙蓉さん、大正から続くエネルギーなのでしょうね。
他の作家の噺も目もくらむような感じがします。だから文壇と言うものが社交とは別の次元で有効に成立したのでしょう。ある意味戦闘集団だったのかもしれない。
Commented by saheizi-inokori at 2010-10-22 07:13
kaorise さん、泰子の心がどうであったか?
当時では文化の先端をいく意識もある女性だったのでしょう。
彼女は育った家庭にもいろいろ問題はあったようです。
Commented by saheizi-inokori at 2010-10-22 07:14
旭のキューです。さん、宇野千代とか林芙美子などにもそういう男によって作られる面があったかどうか、男性作家よりその度合いは少ないような気もします。
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by saheizi-inokori | 2010-10-21 10:44 | 今週の1冊、又は2・3冊 | Trackback | Comments(12)

ホン、よしなしごと、食べ物、散歩・・


by saheizi-inokori