死刑は敵討ちの代わりになりうるのか 吉村昭「敵討」
2010年 10月 12日
俺は死刑反対だ。
死刑存続派の多くは復讐、敵討ちを認めるのは当然だという。
他人事だからきれいごとを言ってるが、もし親とか子供を理不尽に殺されてみろ、八つ裂きにしても飽き足らないと思うはずだと。
日本で仇討が禁じられたのは1873年(明治6年)「仇討禁止令」により「人を殺すは国の大業にして、人を殺す者を罰するは、政府の公権に候」とされた。
それまではこの条例にも言うとおり「古来より父兄の為に、讐を復するを以て、子弟の義務と為すの風習」があった。

本書に収録された短編のひとつ「敵討」は1838年に殺された叔父、その仇討をしようとして返り討ちにあった父の仇を苦節8年の末に果たすまでの物語だ。
仇を討つには所属する藩に願書を出して「永の暇」を乞う。
藩はそれを認めると幕府にも届けて、幕府の評定所に備え付けてある「お帳」に記録して貰う。
そうすると全国どこでも敵討が公認されるのだ。
めでたく仇を討ち果たせば帰参も叶うかもしれないがそれまでは浪人暮し。
どこにいるのかもわからない仇を追ってさすらい、乞食のようなありさまになってしまう。
首尾よく敵に巡り合えても勝てるとは限らない。
長い年月の間には病気になったりもするし心が挫けることもあるだろう。
「敵討」の主人公は江戸と長崎を探してようやく仇を見つけるけれど相手は既に囚われ者となっていた。
もし仇が死刑になってしまえば仇討ができない。
敵を討たないと帰参も出来ないから今は親戚に預かって貰っている妻や子のことも考えなければならない。
憎い親の仇が無罪放免になってシャバに出てくるのを祈る主人公だ。

もう一編「最後の仇討」は幕末、慶応4年に両親を虐殺された当時11歳の子供が13年の後、明治13年に本懐を遂げる話だ。
秋月藩内の公武合体派と勤王派の争い、血気盛んなるがゆえに扇動に乗りやすい若者が寝ている父ばかりか母までをめった刺しにして父の首を庭に投げ込む。
藩の上層部は犯人グループを率いる家老に逆らうことができず宋藩である薩摩藩も事勿れで殺された方の自業自得という裁き。
ここに至って俺も体が震えてくる。
目の前にいたら助太刀をしてでも犯人と家老、薩摩藩の役人を処刑したい。
優秀な子供が両親の仇を討つための13年間に日本は明治維新を迎える。
田舎の若侍だった敵は東京上等裁判所の判事に出世している。
「仇討禁止令」も制定され(主人公は不知)て仇討についての条文は刑法典から消え通常の殺人罪として扱われるようになっていた。
二つの実話に基づいた小説はいずれも敵討ちという個人的な事件の背後にある大きな歴史の動きをも描いている。
前者は天保の改革、後者は明治維新。
そういうことがなかったら主人公たちは平穏に優しい夫として父としての人生を終えたかもしれない。

首尾よく仇を討った二人は当時の日本人たちの拍手喝さいを受ける。
たしかに”古来の風習”を守り健気な二人の物語は感動的だ。
敵討ちをする主人公たちに強い共感を感じたが、、やはり死刑には反対だ。
殺してやりたい、とくに直接の下手人よりも己が保身のために背後で糸を引く悪家老や、事件処理を曖昧にする権力者たちを撃ち殺してやりたい。
そう思うこととそれを実行することは別だと思う。
俺に代わって国が仇を討ってくれる?
そんなことは望まない。
だいいち、主人公たちはまかり間違えば死刑になってしまったかもしれないのだ。
新潮文庫
死刑存続派の多くは復讐、敵討ちを認めるのは当然だという。
他人事だからきれいごとを言ってるが、もし親とか子供を理不尽に殺されてみろ、八つ裂きにしても飽き足らないと思うはずだと。
日本で仇討が禁じられたのは1873年(明治6年)「仇討禁止令」により「人を殺すは国の大業にして、人を殺す者を罰するは、政府の公権に候」とされた。
それまではこの条例にも言うとおり「古来より父兄の為に、讐を復するを以て、子弟の義務と為すの風習」があった。

本書に収録された短編のひとつ「敵討」は1838年に殺された叔父、その仇討をしようとして返り討ちにあった父の仇を苦節8年の末に果たすまでの物語だ。
仇を討つには所属する藩に願書を出して「永の暇」を乞う。
藩はそれを認めると幕府にも届けて、幕府の評定所に備え付けてある「お帳」に記録して貰う。
そうすると全国どこでも敵討が公認されるのだ。
めでたく仇を討ち果たせば帰参も叶うかもしれないがそれまでは浪人暮し。
どこにいるのかもわからない仇を追ってさすらい、乞食のようなありさまになってしまう。
首尾よく敵に巡り合えても勝てるとは限らない。
長い年月の間には病気になったりもするし心が挫けることもあるだろう。
「敵討」の主人公は江戸と長崎を探してようやく仇を見つけるけれど相手は既に囚われ者となっていた。
もし仇が死刑になってしまえば仇討ができない。
敵を討たないと帰参も出来ないから今は親戚に預かって貰っている妻や子のことも考えなければならない。
憎い親の仇が無罪放免になってシャバに出てくるのを祈る主人公だ。

もう一編「最後の仇討」は幕末、慶応4年に両親を虐殺された当時11歳の子供が13年の後、明治13年に本懐を遂げる話だ。
秋月藩内の公武合体派と勤王派の争い、血気盛んなるがゆえに扇動に乗りやすい若者が寝ている父ばかりか母までをめった刺しにして父の首を庭に投げ込む。
藩の上層部は犯人グループを率いる家老に逆らうことができず宋藩である薩摩藩も事勿れで殺された方の自業自得という裁き。
ここに至って俺も体が震えてくる。
目の前にいたら助太刀をしてでも犯人と家老、薩摩藩の役人を処刑したい。
優秀な子供が両親の仇を討つための13年間に日本は明治維新を迎える。
田舎の若侍だった敵は東京上等裁判所の判事に出世している。
「仇討禁止令」も制定され(主人公は不知)て仇討についての条文は刑法典から消え通常の殺人罪として扱われるようになっていた。
二つの実話に基づいた小説はいずれも敵討ちという個人的な事件の背後にある大きな歴史の動きをも描いている。
前者は天保の改革、後者は明治維新。
そういうことがなかったら主人公たちは平穏に優しい夫として父としての人生を終えたかもしれない。

首尾よく仇を討った二人は当時の日本人たちの拍手喝さいを受ける。
たしかに”古来の風習”を守り健気な二人の物語は感動的だ。
敵討ちをする主人公たちに強い共感を感じたが、、やはり死刑には反対だ。
殺してやりたい、とくに直接の下手人よりも己が保身のために背後で糸を引く悪家老や、事件処理を曖昧にする権力者たちを撃ち殺してやりたい。
そう思うこととそれを実行することは別だと思う。
俺に代わって国が仇を討ってくれる?
そんなことは望まない。
だいいち、主人公たちはまかり間違えば死刑になってしまったかもしれないのだ。
新潮文庫
Ciao saheiziさん
私も死刑には反対です
saheiziさんのおっしゃってる通り、自分の身に降りかかってないからきれいなことは言えるだろう、と
確かにそうなんだけどね
昔ね、黒い雨だったかな――タイトル
ユーゴスラビアの映画を見た
これも、マフィアがらみの闘争で、うちの子供が殺された、それでこっちの家があっちの家の息子を仇打ちに殺す
そうするとあっちの家の人が今度はこっちの...
こういう鎖は、どっかで歯を食いしばってでも、断ち切らないといけない
カソリックでは、許すということを最大の徳としています
歯を食いしばって、許す
そこに何か大きなものを得るのは、だれよりも許したその本人であると信じます。
そして、もし私が仇討をしたいと思う立場であったとして
その本人を殺したから、私の亡き人へのいろんな思いが慰められるか?大事な人を奪われた悔しさや怒りが消えるのか?
消えないだろうと思うからです
そう言いながらも
必殺仕置き人とか、好きでしたけどね
私も死刑には反対です
saheiziさんのおっしゃってる通り、自分の身に降りかかってないからきれいなことは言えるだろう、と
確かにそうなんだけどね
昔ね、黒い雨だったかな――タイトル
ユーゴスラビアの映画を見た
これも、マフィアがらみの闘争で、うちの子供が殺された、それでこっちの家があっちの家の息子を仇打ちに殺す
そうするとあっちの家の人が今度はこっちの...
こういう鎖は、どっかで歯を食いしばってでも、断ち切らないといけない
カソリックでは、許すということを最大の徳としています
歯を食いしばって、許す
そこに何か大きなものを得るのは、だれよりも許したその本人であると信じます。
そして、もし私が仇討をしたいと思う立場であったとして
その本人を殺したから、私の亡き人へのいろんな思いが慰められるか?大事な人を奪われた悔しさや怒りが消えるのか?
消えないだろうと思うからです
そう言いながらも
必殺仕置き人とか、好きでしたけどね
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中国は、簡単に死刑を執行しちゃますけど、日本の方が正しいのでしょうか?

基本的には、死刑って殺人だと思うから反対なんですけど・・。
わたしも大切な人が、理不尽に殺されたら、死刑にしてほしいと思うはず。仇討の許される時代なら、仇討を願い出るかも。
う~ん、もっと考えてみます・・・。
わたしも大切な人が、理不尽に殺されたら、死刑にしてほしいと思うはず。仇討の許される時代なら、仇討を願い出るかも。
う~ん、もっと考えてみます・・・。
cocomerita さん、殺してやりたいと思うことはあってもそれを実行に移すのは別物だと思います。
復讐物とか仕置き人を面白いと思うのは私も同じです。
復讐を実際にしたら空しいのではないでしょうか。
憎しみはツーペーになってしまうはずですがそれで気持ちが本当に晴れるのでしょうか。
復讐物とか仕置き人を面白いと思うのは私も同じです。
復讐を実際にしたら空しいのではないでしょうか。
憎しみはツーペーになってしまうはずですがそれで気持ちが本当に晴れるのでしょうか。
旭のキューです。 さん、やはり一人の命の価値が軽く見られているのではないかと思いますよ。
先日見た映画『瞳の奥の秘密』は死刑制度(アルゼンチン映画ですが、あの国には死刑はありません)を背景にして考えさせる映画でした。機会があればご覧下さい。
私も死刑は反対です。
死刑するするっていいつつ、いつ死刑になるのだ?と毎日思わせて終身刑の方がいいわ、、(どんだけ残酷?)
仇討ちは死刑とはちょっと質が違いますよね、、本人のやる気次第というか。
私だったら相手が憎いけど、自然にお任せすると思います。
悪いことをする人は、幸せにはなれない、長く生きれば生きる程、人生が地獄になる。と信じているんです。
表面では分らない心の中の状況ですけど、、
藤沢周平の小説にも仇討ちのお話ありましたね。
とても面白かったのを覚えてます。
死刑するするっていいつつ、いつ死刑になるのだ?と毎日思わせて終身刑の方がいいわ、、(どんだけ残酷?)
仇討ちは死刑とはちょっと質が違いますよね、、本人のやる気次第というか。
私だったら相手が憎いけど、自然にお任せすると思います。
悪いことをする人は、幸せにはなれない、長く生きれば生きる程、人生が地獄になる。と信じているんです。
表面では分らない心の中の状況ですけど、、
藤沢周平の小説にも仇討ちのお話ありましたね。
とても面白かったのを覚えてます。
maru33340 さん、マークしているのですが、、。きっと。
kaorise さん、この小説でも仇の一人が恐怖のためか狂い死にしてしまいます。
人を殺して平気で生きていけるはずがないと思います。
人を殺して平気で生きていけるはずがないと思います。

きとら さん、落語の「宿屋の仇討」「花見の仇討」はどちらも仇討をしない噺です。
これは喜劇、傑作です。
これは喜劇、傑作です。
可愛がっていた文鳥を隣の飼い猫に殺され、復讐のためにその飼い主の見ている前でその猫を殺した、という人が身近にいるのですけど、正直その人と二人きりになるのが怖いです。
私も大切な存在を理不尽な暴力で亡くしたら、同じように狂ってしまうとは思いますのですけれども。
私も大切な存在を理不尽な暴力で亡くしたら、同じように狂ってしまうとは思いますのですけれども。
mitsukiさん、怖いですね。それでその方は気がすんだのでしょうか?
minmei316 さん、本当にどうとも思わないのでしょうか。
もしそうだとしてもそいつを殺して始まるものでもないような気がします。
もしそうだとしてもそいつを殺して始まるものでもないような気がします。
死刑制度反対はいつだか僕も記事にして、佐平次さんがTBしてくださいましたね。
で、僕は仇討容認派です。
ただ、昔風の仇討ではいろいろ問題も多いと思います。
個人的には、死刑執行のボタンを被害者の身内に委ねるというのが、現時点で可能かもしれない中間策じゃないかと考えます。
本人が殺す必要はないと考えるなら、あるいは殺したくても殺せないなら、赤の他人が手を汚す必要はなんいじゃないかと。
そうやって死刑執行数(仇討)を減らし、ひいては廃止につなげていくことができればというのが個人的な理想です。
で、僕は仇討容認派です。
ただ、昔風の仇討ではいろいろ問題も多いと思います。
個人的には、死刑執行のボタンを被害者の身内に委ねるというのが、現時点で可能かもしれない中間策じゃないかと考えます。
本人が殺す必要はないと考えるなら、あるいは殺したくても殺せないなら、赤の他人が手を汚す必要はなんいじゃないかと。
そうやって死刑執行数(仇討)を減らし、ひいては廃止につなげていくことができればというのが個人的な理想です。
mimizuさん、おっしゃる意味は分かりますが、死刑は復讐=仇討だけが存在理由ではないようです。
犯罪抑止効果のほかに国家(共同幻想)の秩序維持(国家の権力や尊厳)、かつては犯罪的性格の排除なども挙げられていました。
被害者の気持ちというのも国家の安定のために慮っているに過ぎないのだと思います。
ですから麻薬犯罪や機密漏えいで死刑にする国もある。
それとも仇討該当だけを死刑にしますか^^。
犯罪抑止効果のほかに国家(共同幻想)の秩序維持(国家の権力や尊厳)、かつては犯罪的性格の排除なども挙げられていました。
被害者の気持ちというのも国家の安定のために慮っているに過ぎないのだと思います。
ですから麻薬犯罪や機密漏えいで死刑にする国もある。
それとも仇討該当だけを死刑にしますか^^。

saheizi-inokoriさん。
エントリ拝見し、吉村昭さんの「敵討」、セブンイレブンへ注文を出しました。楽しみです♪ 吉村さんの作品は2、3読んだだけですが、何れも堅牢な構成と迫真性で、これぞプロ中のプロの仕事だと感じさせられます。奥さんの津村節子さんのほうが先に世に出て、吉村さんは「おれはお前のヒモになる」と言う一方で、(確か結核もあって)辛くて枕を投げつけた、というエピソードを今、思い出しました。
>ここに至って俺も体が震えてくる。目の前にいたら助太刀をしてでも犯人と家老、薩摩藩の役人を処刑したい。
>殺してやりたい、とくに直接の下手人よりも己が保身のために背後で糸を引く悪家老や、事件処理を曖昧にする権力者たちを撃ち殺してやりたい。
>そう思うこととそれを実行することは別だと思う。
>俺に代わって国が仇を討ってくれる?そんなことは望まない。
saheizi-inokoriさんの理性的な目を失わない佇まいに、いつも安心します。が、saheizi-inokoriさんは理性的なだけではない。熱い息吹(人情)があって、嬉しくなる、安心する私です。
エントリ拝見し、吉村昭さんの「敵討」、セブンイレブンへ注文を出しました。楽しみです♪ 吉村さんの作品は2、3読んだだけですが、何れも堅牢な構成と迫真性で、これぞプロ中のプロの仕事だと感じさせられます。奥さんの津村節子さんのほうが先に世に出て、吉村さんは「おれはお前のヒモになる」と言う一方で、(確か結核もあって)辛くて枕を投げつけた、というエピソードを今、思い出しました。
>ここに至って俺も体が震えてくる。目の前にいたら助太刀をしてでも犯人と家老、薩摩藩の役人を処刑したい。
>殺してやりたい、とくに直接の下手人よりも己が保身のために背後で糸を引く悪家老や、事件処理を曖昧にする権力者たちを撃ち殺してやりたい。
>そう思うこととそれを実行することは別だと思う。
>俺に代わって国が仇を討ってくれる?そんなことは望まない。
saheizi-inokoriさんの理性的な目を失わない佇まいに、いつも安心します。が、saheizi-inokoriさんは理性的なだけではない。熱い息吹(人情)があって、嬉しくなる、安心する私です。
ゆうこ さん、吉村は歴史の中で精いっぱいに生きる人を共感をもって描きますね。
だからといって仇討そのものを肯定しているとは言い切れないように思いました。
仇討をするのが子弟の務めとされた時代に生きる武士の姿を認めてはいても。
だからといって仇討そのものを肯定しているとは言い切れないように思いました。
仇討をするのが子弟の務めとされた時代に生きる武士の姿を認めてはいても。
by saheizi-inokori
| 2010-10-12 11:04
| 今週の1冊、又は2・3冊
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