もっと聴きたかったぜ、志ん五さん
2010年 09月 30日
昨日も書いたが志ん五が亡くなった。
このところ彼の高座にご無沙汰だった。
小三治がトリの時に軽やかに場内の空気をあっためてくれた。
去年の正月に末広亭でやった「幇間腹」「鈴が森」とか、去年の夏は末広亭のトリをやったときには2日聴きに行って「井戸の茶碗」と「抜け雀」を聴いた。
一昨年川柳がトリの時に白酒、志ん輔などの手練が出てもなかなか場内が湧かない時に「浮世床」で一挙に空気を変えたことなどを覚えている。
床と云えばずっと前に聴いた「無精床」も笑ったなあ。
いつも上がってくると開口一番
この暑さ(寒さだったりする)にもめげずおいでいただける方は、これこそ真の落語ファンじゃなかろうかってんで楽屋じゃ喧々諤々胸倉つかんで激論です、、、よほど他に行くとこないのか(もごもご)、黒くて太い眉毛を上下させながら言ったものだ。
志ん朝の一番弟子、いまごろ師匠や若い頃世話になった志ん生と再会を祝っているかも。
ウィキペディアによると、1978年の 落語協会分裂騒動に巻き込まれて大量真打昇進制度→真打昇進試験を自ら拒み、人気・実力にも関わらず敢えて二ツ目に留まり続けた、とある。
確かにやせ形ではあるが骨はがっちりしていたようだ。
そうと知っていたらもっと聴いておくのだった。
人生にはそういうことが多い。
あー――この人ですかーー?
知ってる、知ってる
彼の落語はあまり記憶に残ってないんだけど
いい感じの人だなあと思ってた
まだ若いのに、残念ですね
今頃座布団じゃなく雲の上で漫談
へい、座布団3枚!じゃなくて
へい、雲三枚 かな? ^^
聴けないと思うとなおさら聴きたくなるものです。
「妾馬」を演る予定が休演になり、もしやと心配した矢先でした。代演は伯楽師が「抜け雀」でした。聴けなくなると無性に聴きたくなりますね。決して派手ではないが「古風」な素敵な噺家さんでした・・・