700歳の少年と100歳の美人が舞う 能「菊慈童」「鸚鵡小町」

23日、雨と雷の中を国立能楽堂・9月特別公演へ。

能 観世流 菊慈童 遊舞之楽

古代中国、魏の文帝の頃、酈縣山(れっけんざん)の麓から霊水が流れ出るというので、勅使(ワキ・高安勝久)がその源を尋ねて行く。
菊の花の咲き乱れた山中の庵に、一人の不思議な少年(シテ・観世喜之)がいる。
大昔の周の穆王に仕えていた少年で、王の枕をまたいでしまって山に流されたのだが、悪意でなかったことを分かった王が枕に書いてくれた仏の徳を讃える句を菊の葉に写したところその葉の露が霊薬となったので、それを飲んで700年も生きてきたのだという。
75歳の観世喜之の声は、いかにも700年霊水で山中に生きてきたような高貴な響きがした。
菊の花束、ついで唐団扇を持ち、足をどんどん踏み鳴らして舞う。
やがて、泉は酒ですから、と汲んでは勅使に薦め、お互いに飲む。
月は宵の間
その身も酔いに 引かれてよろよろ
よろよろと ただよい寄りて
枕を取り上げ 戴き奉り
げにも有り難き君の聖徳と
岩(言)根の菊を 手折り伏せ
手折り伏せ 織妙の袖枕
花を筵に臥したりけり
そして菊をかきわけて仙家へと帰っていく。
馥郁たる菊と酒の香が匂って来るようなめでたさの中にふと不老不死で一人生きて行く寂しさをも想わせる。

笛 竹市学 小鼓 観世新九郎 大鼓 大倉正之助 太鼓 助川治
地謡 佐久間二郎 遠藤喜久 遠藤和久 長沼範夫 駒瀬直也 五木田三郎 観世喜正 弘田裕一
700歳の少年と100歳の美人が舞う 能「菊慈童」「鸚鵡小町」_e0016828_9335428.jpg

狂言 大蔵流 舟ふな

いつものように主(アド・山本東次郎)が
やあ~いやい、太郎冠者あるかやい
と呼ぶと、はお~というような返事をして太郎冠者(シテ・山本則俊)が現れる(実際には最初から主のうしろにひかえているのだが)。
そのとき、ちょっと上半身を前に倒し、首をかしげている様がなんだかサンチに似ているようで可笑しかった。
舟は「ふね」というのか「ふな」が正しいのか?
太郎冠者は「ふな」説、主は「ふね」説。
「舟出」「舟人」、太郎冠者が実例をあげると、主は「渡し舟」、お互いに古歌や謡の文句を出し合って譲らないけれどどうも太郎冠者に分があって主は最後に切れておしまい。
先日の「ブルース・ウィリス」談義を思い出した。
700歳の少年と100歳の美人が舞う 能「菊慈童」「鸚鵡小町」_e0016828_934291.jpg

能 宝生流 鸚鵡小町
百歳に及ぶ老残の小野小町(シテ)に、帝(みかど)から哀れみの歌が下賜される。「雲の上はありし昔に変らねど見し玉簾(たまだれ)の内ゆかしき」。小町は「内ゆかしき」と一字をかえるだけの鸚鵡返(おうむがえ)しの返歌に、かつての才気をみせ、勅使(ワキ)の求めに応じて和歌の道を語り、昔をしのぶ舞を舞う。小町が人に物を乞(こ)う生活の悲惨さを背景にしながら、温雅な叙情を漂わせる。『関寺小町』『檜垣(ひがき)』『姨捨(おばすて)』の三老女に次ぐ秘曲として、重く扱われる。
[ 執筆者:増田正造 ]
Yahoo!百科事典の引き写し。

ワキは久しぶりにみる宝生閑だ。
最後に一枚だけ残っていた席が正面最前列、ワキ柱寄りだったので閑さんが俺をめがけて歩いてくるようでいい気分だが、なんとなく哀愁を漂わせているような感じがした。
シテ、近藤乾之助が幕から出てくる。
黒い男笠(上がとんがっている山笠)にネズミ色の水衣、老女の面、杖をついてゆっくりゆっくり、歩くというより這うように、進んでいるのか、その場で揺れているのか分からないくらい。
幕を出て一メートルも歩かないうちに見所の方を向いて、両手をふらっとあげて前に降ろし、しばらくたたずむ。
そしてまた、カタツムリのように100年の時を反芻してでもいるかのように歩いてくる。
身はひとり、我は誰をか松坂や
絞り出すようにして謡いだすまで10分近くは無言で歩いてきた。
お囃子だけが切々とときに激しく100歳の小町の心の内を伝える。
そして
むかしは芙蓉の花たりし身なれども
今は藜じょうの草(あかざ)となる。
顔ばせは憔悴衰へ肌へは凍梨の梨のごとし
杖つくならでは力もなし
人を恨み身をかこち
泣いつ笑うつ安からねば
物狂と人は云ふ
と身の上を語り、よろめき、座り込み、再び立ち上がり、首をちょっと前に突き出して立ちつくし、
都路に出て物を乞ふ
新大納言行家(ワキ・勅使)が帝からの歌を渡すと「老眼だから読めないので読んでください」と頼む。
700歳の少年と100歳の美人が舞う 能「菊慈童」「鸚鵡小町」_e0016828_9582099.jpg

かつて業平が玉津島で舞った法楽の舞いを所望される。
木賊色の狩衣に風折烏帽子、業平の装束になって舞う。
舞う、というよりとぼとぼとよろめき歩いているようなのはそういう演技なのか、近藤師の82歳という年齢がそうさせるものか。
舞の途中でへたり込み、じっと俯いて息を整えているようでもあり己が老いを覗きこんでいるようでもある。
そして立ちあがり
これぞこの
積もれば人の老ひとなるものを
かほどに早き光の陰の
時人を待たぬ習ひとは白波の
あら恋しの昔やな
そして
杖にすがりてよろよろと
立ち別れ行く袖の涙
立ち別れ行く袖の涙も関寺の
柴の菴に帰りけり
110分と云う予定であったが実際にはもう少し早めに終わったような気がする。
陰々滅滅、外は雨、涙雨。

笛 一噌仙幸 小鼓 曽和正博 大鼓 柿原崇志
地謡 藤井雅之 金井雄資 朝倉俊樹 今井泰行 小倉敏克 三川泉 高橋章 大坪喜美雄
700歳の少年と100歳の美人が舞う 能「菊慈童」「鸚鵡小町」_e0016828_9345253.jpg

能は演技が終わって、そのあと役者や地謡、お囃子のすべての人が退場して初めてほんとのおしまいになるからそれまで拍手をしないで余韻を味わっているのがマナーだ。

最初はちょっと間が空くようで妙な感じだったが馴れると好いもので、たまにクラシックのコンサートに行って終わるや否や「ブラボー!」と叫ぶのが、うるさくて野暮に思う。
そういうことを知らなくて直ぐに拍手しても周りがシーンとしているから直ぐに間違いに気づくのだ。
が、この日は全然気がつかずにひとりで延々と拍手している人がいた。
つられて自信なげに拍手した人もいた。
どこにもKYはいる。
Commented by c-khan7 at 2010-09-26 14:37
ゴーヤ。。すごいコトになってますね。
赤い種は、甘いですよ。
能のマナー、、いつか役に立つかもしれないです。
Commented by saheizi-inokori at 2010-09-26 15:54
c-khan7 さん、人のうちの庭です。旨そう、食べたことはないのですが。
ゴーヤは毎日のように食べてます。
Commented by gakis-room at 2010-09-26 18:18
ゴーヤ,と言うよりも「私のレイシ」ですね。とても懐かしい。
真っ赤な種のゼリー状の部分は子どもの頃のおやつでした。
  http://gakisroom.exblog.jp/6327414
Commented by saheizi-inokori at 2010-09-26 21:02
gakis-room さん、私のレイシの記事を見たことを思い出しました。
食べられることをそのとき勉強していながら又忘れていたのです。
こんど散歩で見つけたらひと粒頂いてみようかな。
Commented by 高麗山 at 2010-09-26 21:21
この記事を見て、西の窓に目をやると御同様のゴ―ヤ、スプーンで掬って口にすると結構甘かったです!
Commented by saheizi-inokori at 2010-09-26 22:16
高麗山さん、いよいよもって食いたくなった!
Commented by hisako-baaba at 2010-09-26 23:17
あら、お能は、拍手してはいけないのですか。
一度能楽堂に行ってみたいと思いますので、恥をかかずに済みそうです。
Commented by saheizi-inokori at 2010-09-27 08:43
hisako-baaba さん、拍手はお囃子が退場したときです。
いいものですよ、まさに粛々と演者たちが去っていくのを静かに見守り余情を味あうのは。
その一瞬のために能楽堂に来たと思えるくらい^^。
名前
URL
削除用パスワード

※このブログはコメント承認制を適用しています。ブログの持ち主が承認するまでコメントは表示されません。

by saheizi-inokori | 2010-09-26 10:00 | 能・芝居 | Trackback | Comments(8)

ホン、よしなしごと、食べ物、散歩・・


by saheizi-inokori