志の高さと潔さ 吉村昭「夜明けの雷鳴 医師 高松凌雲」
2010年 09月 10日
1867年、パリで万国博が開かれるに際し幕府は将軍・慶喜の弟昭武14歳を将軍の名代として出席させる。
その随行医として選ばれたのが高松凌雲31歳だった。
凌雲はパリで市民病院兼医学校、オテル・デュウ(神の館)に学ぶ。
ここには貧しい者を無料で施療する立派な貧民病院が附属していた。
建設費をはじめ、一切の経費は、貴族、富豪、政治家などの寄付によって賄われ、国からの援助を拒んだ民間病院だった。
凌雲は
小説の前半、かなりの長さで描かれる昭武一行の航海、ナポレオン三世の謁見などパリ滞在中の出来事、万国博の様子、イギリスへの渡航などの細部がとても面白い。

凌雲たちが滞仏している間に日本では大政奉還がなされる。
そして箱館戦争の間、野戦病院の院長として、負傷兵の治療に当たる。
捕えられた敵の負傷兵を殺してしまえという幕府軍の兵たちを毅然、諄々と説いて治療するエピソードは感動的である。
圧倒的な官軍の力によって病院の負傷兵たちの安全が危惧されるときにも身を挺し知恵を絞って彼らを守り抜く。
薩摩にも優れた武将がいて凌雲のいうところを聞き入れて病院を護ってくれることになった時に凌雲は自分は負傷兵ではないから殺してくれというのだ。
兄が重傷を負って分院に運ばれた際、周囲が凌雲の治療を薦めるのに対して目の前にいる負傷者たちの治療を優先する。
西洋医学による外科手術ができる医師は凌雲しかいなかったのに。
(神宮前「上ル下ル西入ル東入ル」、料理もともかく、呑んで語って、、ああ、また二日酔い)
戦後、彼の力を知る松本順陸軍軍医総監が厚遇をもって政府に出仕することを薦めるが最後まで官につくことを潔しとしない。
そしてパリで見た「神の館」の感動を日本で実行に移す。
官界、財界、徳川宗家、新聞社、医師、、凌雲に賛同した人たちによって、明治12年、同愛会が設立される。
黒田清隆の奔走により処刑をまぬがれた榎本武揚は維新政府の顕官になっていたが同愛会の社長となる。
凌雲は大正5年10月、81歳で亡くなる。
そういう説得力を感じる。
博愛と義の人、凌雲の生涯を読むと心の中を爽やかな風が吹き抜けるような心地がする。

(いちいち説明してくれるのだが話に夢中で、、)
松本順の生涯についても吉村は「暁の旅人」という作品を書いている。
これも面白く読んで感想をどこかに書いたのだがデータを消してしまった。
文春文庫
その随行医として選ばれたのが高松凌雲31歳だった。
凌雲はパリで市民病院兼医学校、オテル・デュウ(神の館)に学ぶ。
ここには貧しい者を無料で施療する立派な貧民病院が附属していた。
建設費をはじめ、一切の経費は、貴族、富豪、政治家などの寄付によって賄われ、国からの援助を拒んだ民間病院だった。
凌雲は
感嘆し、医学にたずさわる者は、このような高潔な精神を持っていなければならないのだと強く感じる。
小説の前半、かなりの長さで描かれる昭武一行の航海、ナポレオン三世の謁見などパリ滞在中の出来事、万国博の様子、イギリスへの渡航などの細部がとても面白い。

凌雲たちが滞仏している間に日本では大政奉還がなされる。
思わぬ大変事が起こった時に人間の真の姿が浮かび上がるという。幕府から恩義を受けた者たちの大半は、薩長両藩にこびを売り、それは時流に乗る、自らの身を守る最善の方法でもある。それとは対照的に、存在すら失われた幕府にあくまで忠誠を誓えば、必然的に不運に見舞われ、生命すら落としかねない。それは愚かしい道ではあるが、その道をあえて進むのが人間なのだ凌雲は主君・慶喜の身辺に仕えよという命令を無視して榎本釜次郎(のちの武揚)とともに箱館行きの戦艦に乗る。
そして箱館戦争の間、野戦病院の院長として、負傷兵の治療に当たる。
捕えられた敵の負傷兵を殺してしまえという幕府軍の兵たちを毅然、諄々と説いて治療するエピソードは感動的である。
圧倒的な官軍の力によって病院の負傷兵たちの安全が危惧されるときにも身を挺し知恵を絞って彼らを守り抜く。
薩摩にも優れた武将がいて凌雲のいうところを聞き入れて病院を護ってくれることになった時に凌雲は自分は負傷兵ではないから殺してくれというのだ。
兄が重傷を負って分院に運ばれた際、周囲が凌雲の治療を薦めるのに対して目の前にいる負傷者たちの治療を優先する。
西洋医学による外科手術ができる医師は凌雲しかいなかったのに。
たとえ実兄であろうと、特別扱いするのは断じてしてはならぬことです。貴殿たち(分院の医師)も、私の兄であるなどとは思わず、一般の傷病者同様に扱ってくださるように。それが医師の務めです。と厳しくいう。

戦後、彼の力を知る松本順陸軍軍医総監が厚遇をもって政府に出仕することを薦めるが最後まで官につくことを潔しとしない。
そしてパリで見た「神の館」の感動を日本で実行に移す。
官界、財界、徳川宗家、新聞社、医師、、凌雲に賛同した人たちによって、明治12年、同愛会が設立される。
黒田清隆の奔走により処刑をまぬがれた榎本武揚は維新政府の顕官になっていたが同愛会の社長となる。
凌雲は大正5年10月、81歳で亡くなる。
十五日、凌雲の葬儀が同愛社社葬として谷中斎場で営まれた。吉村はこう書くのも想像ではなくてその日の天候などを調査して書いているに違いない。
朝から時折り小雨がぱらついていたが、葬儀半ばから沛然とした雨となり、風も起こって樹木の枝は激しく揺れた。
和傘や洋傘をさした会葬者が長い列をつくり、それは雨で白く煙っていた。
そういう説得力を感じる。
博愛と義の人、凌雲の生涯を読むと心の中を爽やかな風が吹き抜けるような心地がする。

松本順の生涯についても吉村は「暁の旅人」という作品を書いている。
これも面白く読んで感想をどこかに書いたのだがデータを消してしまった。
文春文庫
あ〜あ、こんなお医者さんばっかだったらいいのに、、
今かかってるお医者さん、自分の思い通りにならない事があると興奮して、大変だったの。
信念がないんですよね、、だからすぐ興奮するんだと思う。
この人の心理状態だいじょうぶ?任せていいの?
と怖くなりはじめているこの頃です(汗
今かかってるお医者さん、自分の思い通りにならない事があると興奮して、大変だったの。
信念がないんですよね、、だからすぐ興奮するんだと思う。
この人の心理状態だいじょうぶ?任せていいの?
と怖くなりはじめているこの頃です(汗
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イザという時にどう動くか、人は、試されるのですね。
自分自身に。
自分自身に。
kaorise さん、その医者は変えた方が良いですよ、マジに。
医者たちのとりすました外見の下に卑小な人間がおどおどしてしかも欲望にぐるぐる巻きになっている姿が透けて見えることがあります。
凌雲は彼らにとってはありえない、想像することもできない存在でしょう。
医者たちのとりすました外見の下に卑小な人間がおどおどしてしかも欲望にぐるぐる巻きになっている姿が透けて見えることがあります。
凌雲は彼らにとってはありえない、想像することもできない存在でしょう。
鍵コメさん、読ませていただきました。
本当は遠慮せずに世の中に知らせてあげるべきではないでしょうか。匿名でもいいのですから。
本当は遠慮せずに世の中に知らせてあげるべきではないでしょうか。匿名でもいいのですから。
c-khan7 さん、どうやっても悔いのない人生はないのでしょう。
でも少しでも自分の責任から逃げないで生きていきたいと思います。
でも少しでも自分の責任から逃げないで生きていきたいと思います。

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鍵コメさん、状況が分からないままにいい加減なことを云ったのかもしれません。
一般論としてお聞きいただければ幸いです。ほんとうに貴方のことを考えてくれているかどうかが問題ですね。
一般論としてお聞きいただければ幸いです。ほんとうに貴方のことを考えてくれているかどうかが問題ですね。
by saheizi-inokori
| 2010-09-10 11:59
| 今週の1冊、又は2・3冊
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Comments(8)