一生懸命生きてきた、、けれど カズオ・イシグロ「遠い山なみの光」

イギリスに住む悦子とその娘ニキの会話から始まる。
ニキの姉景子が首を吊ったけれどニキは冷淡だ。

悦子が原爆の被害から復興し始めた頃の長崎で前夫と暮らしていた頃の回想が会話の間にかぶる。
景子はその頃お腹の中にいて、夫二郎とそれなりに幸せな毎日を送っていたかに見えた。
戦前は名を馳せた学者らしい二郎の父が夫婦の家に逗留して”共産主義がさかんに“なった今を嘆く。
かつての日本では規律とか忠誠心、誰もが家族、目上の人間、国にたいし、義務感をもっていたのに、今はなんでも民主主義、民主主義、自分勝手なまねがしたい、義務なんか放り出したいと云う人間が直ぐに民主主義をもちだすようになってしまったことを嘆く。
悦子は共感するが夫二郎は父の話より出世競争だ。

悦子は佐知子と知り合う。
佐知子は裕福な伯父が一緒に住もうと云っても振り切って浮気で酒呑みのアメリカ兵とアメリカに移住することを選ぶ。
幼い万里子も連れて。
日本では女はだめ。日本にいたんじゃ、将来の希望なんかないじゃない?(略)
伯父の家に行ってみたって、何もありゃしないのよ。ただ空いている部屋がいくつかある、それだけのことだわ。そこに座りこんで年をとっていくだけじゃないかしら。
危なっかしい佐知子の生き方、万里子の行く末を心配した悦子。
一生懸命生きてきた、、けれど カズオ・イシグロ「遠い山なみの光」_e0016828_11422223.jpg

しかし今、
簡単じゃなかったはずよ、お母様のしたことは。自分の人生に決断をくだしたのを誇りにしてもいいわ
と云ってくれるニキはイギリス人との間にできた子だ。
一人でロンドンに住み、その内実を一切悦子に話そうとしない娘、
女はもっと目をさまさなきゃだめよ。みんな人生はただ結婚してうじゃうじゃ子供を産むものだと思ってるけど
という娘。
悦子は佐知子、景子は万里子だったのか。
その後の万里子の身が案じられる。

さまざまな価値観の相克のなかで自立を目指して選びとった人生、果たして正しい人生だったのか。
これでよかったのか。
こうでしかなかった、とも思うし、ほかのあり方もあったのではないかとも思う。
はっきりした回答はない。
ただあの頃見た長崎の遠くの山の幽かな光が懐かしい。
「A Pale View of Hills」原題の感じはそんな感覚だろうか。

1982年、作者の最初の長編、王立文学協会賞受賞。
その後の「日の名残り」や「充たされざる者」「わたしたちが孤児だったころ」の先駆ともいうべき、不条理で薄明の世界(訳者解説から)を描く作品だ。

訳 小野寺健
ハヤカワepi文庫
Commented by k_hankichi at 2010-08-29 08:35
この小説は、僕の心にもとても残って、あの雰囲気の妙が刻まれています。彼が作る、回想のシーンは、いつも柔らかく紗がかかっている気がします。
Commented by HOOP at 2010-08-29 12:00
古いタイプの訳者なら、paleを「蒼い」と訳したでしょうね。
それでも、「あか」でない「あを」を、
感性として持ち続けている訳者は、
読者にわかりやすくそれを示したかったのか。
長崎にも思い入れがあります。
修学旅行以来、訪れることもなかったのですが。
Commented by cocomerita at 2010-08-29 21:25
Ciao saheiziさん
もう小渕沢に到着したかな?
わたしが幼稚園の時、やっぱりアメリカ兵の人と結婚して、アメリカに住んでたおばさんがいました
どのくらい遠い親戚かわからないけど、子供心にすごくそのおばさんの存在が誇らしかったのを覚えています
人ってさ そうやって、知らない間に、なんかしらのメッセージがインプットされ、身体と一緒に心の中で育って行くのかなあと
わたしの外国移住は、そのころから、もう始まっていたような気がしてならないのです
Commented by kaorise at 2010-08-29 23:11
日本はいまだに女性が仕事をもって子育てが難しいですからねえ、、
日本では女はだめ、じゃなくって、女には日本はダメ、なのです。
とはいえ、自己実現のために親兄弟と故郷を後にする訳にはいきませんからねえ、、ダメでもともととと開き直り、生き辛い日本で小さな挑戦を続けるしかないですわ。
Commented by きとら at 2010-08-29 23:43 x
 一つ、発見しましたよ。
 世界文学=古典文学、と思い込んでいる者と、
 世界文学=古典文学+現代文学、と解っている者の違い。
 
 私は前者の方でした。
Commented by saheizi-inokori at 2010-08-30 18:25
k_hankichiさん、カズオ・イシグロの独特の世界、魅力がありますね。
Commented by saheizi-inokori at 2010-08-30 18:27
HOOPさん、カズオ・イシグロの小説の邦訳書名は必ずしも原題と関係はないのが多いようですが、いずれもうまいと思います。
Commented by saheizi-inokori at 2010-08-30 18:29
cocomeritaさん、そういうことってあるのでしょうね。
自分でも気がつかない場合もあるのでしょう。
Commented by saheizi-inokori at 2010-08-30 18:33
kaoriseさん、先日もテレビでやっていましたが、30年前にやっと男女の定年の差が違法だという判決がでたのですね。
それまでは女性はたいした仕事をしていないのだから定年が早くってもしょうがないという判決が高裁まで出ていたのです。
実質的には今でも同じ考えの会社や男性もいるようにおもいます。
Commented by saheizi-inokori at 2010-08-30 18:35
きとら さん、この本の面白い所は英語で書かれた日本語の会話を主体とした小説だということです。
日本語でなくては現せないと思われていた感情などが英語で表現されてイギリス人に評価された。
すなわち世界文学ですね。
Commented by mmiizzz at 2010-08-31 01:54
カズオ・イシグロはとても好きな作家です。
激しい内容でも文章でもないのに、
静かで誰にも似ていない雰囲気ですよね。
読む度に、ああ原文で読んでみたいなと思います。
Commented by saheizi-inokori at 2010-08-31 08:44
mmiizzzさん、たしかに独特の世界ですね。
病み付きになります。
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by saheizi-inokori | 2010-08-29 07:59 | 今週の1冊、又は2・3冊 | Trackback | Comments(12)

ホン、よしなしごと、食べ物、散歩・・


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