食べ物の多彩な風味は人生の風味だ
2010年 08月 17日
kaorise さんが茗荷の風味が喚起する故郷のイメージのことを書いている。
俺も茗荷は毎日なくてはならない。
でもスーパーで買う茗荷は高いくせに風味が薄いような気がする。
田舎に行くとたいていの家の庭の片隅に茗荷があって、許しを得て摘んでいると蚊に刺される。
田舎の蚊は力強くて痒みも都会の蚊とは段違いだ。
茗荷の風味と蚊の痒さがセットになっている。
〆サバが好きで今年もすでになんどか食べた。
馴染みになった居酒屋では〆サバを食べるときに和芥子を頼む。
名古屋にいた時に教わった食べ方でワサビや生姜より合うように思う。
名古屋といえばキヌカツギを生姜醤油で食べるのもなかなかいける。
ところ変われば、で今まで知らなかった食べ方を教わって随分得をした。
俺は貧乏育ちだからか食い意地が張っているから珍しいものを平気でどんどん食べる。
自分の知らないものを出されると「これ何?」と説明を求め胡散臭そうに匂いを嗅いだり人の食べる様子を上目遣いで眺めたりして、こわごわと少しだけ口に入れる人がいる。
じれったいったらありゃしない。
もっともマヨネーズとかトマトケチャップをたっぷりつけるのはご免だ。
あれはものの持ち味を殺してしまう冒涜的作法だと思う。
とはいえ子どもの頃に味の素を味噌汁や野沢菜漬、、生のトマトにまで振りかけて食べてうまいと思ったんだから、そう舌が肥えているわけではない。
今は化学調味料が苦手になったのは、子どもの頃平気でつかんだ蛇を今はみるだけでも逃げ出すのと関係あるのか。
高級な味を見分けることはできないが平均以下の味(まずい)に対する拒否反応は強い方かもしれない。
立ち食い蕎麦は喜んで食べるが、チエーン店の時間制飲み放題で出されるギタギタ脂のハマチの刺身は駄目という味覚レベル。
先日何年振りかで蕎麦屋カレーを食べた時、昔のように醤油をかけようかと迷った。
結構しょっぱい味付けだったからやめたけど。
マヨネーズをかける子を笑えないな。
石垣島のペンギン食堂のラー油がうまい(といってもなかなか手に入らないが)といってたら「食べるラー油」というのが流行りだした。
これもいけるなあ。
前の会社で越後に実家のある社員が手作りの「かんずり(寒造里)」を下さったことがある。
あれもうまかったなあ。
そう言えば「ゆずこしょう」の手づくりも頂いたことがあって夢中になった。
貰ったから余計にうまかったのかもしれない。
年を取って味覚が鈍くなった自覚がある。
でもなくなったわけではない。
いろんな思い出のあるいろんな風味をせいぜい楽しんでいきたいと思っている。
味覚を刺激して、脳を活性化しましょう!!!
甘、辛、酸、苦と舌上は各エリアに別れているのが不思議ですよね。亜鉛不足になると、味覚に鈍るらしいです。
でも、こういう遊び的な食、も楽しいかなと思います。
人間が甘いのや酸っぱいのはそれじゃ見分けられないけれど。
同じ味噌汁でも吸い口を変えると随分違った味になるというように。
私などは刺身といえばカジキマグロ、それでも年になんどもない。
サバは切り身を味噌煮、大嫌いでした。
なぜ今好物なのかが分からないです。
不思議ですねえ、、どうしてそうなっちゃうんでしょう?
日本料理はそのものの味を大切にしますよね。
調味料は食材の個性を引き出すように作られてますし。
洋風のお料理も美味しいですが、シンプルな和食を食べたときの満足感にはかなわない、、と思うのは齢をとったからかなあ〜
稲尾投手は日本食であれだけの連投ができたのに松坂は焼き肉を食べてもすぐばてるのは体にあったものを食べているかどうかの違いだと小泉農大教授が言ってました。
雪下、「ヤミ鍋」の「カンズリ」も格別でしたネ。
それにしても遅い晩御飯ですね。
私は醤油派ですが。
私の母はその系列で、夏場の料理を戴くときにはかなり警戒していました。妻にもその話をすると双子の出産後にその傾向が顕著になり、いたく感心して以後我が家の食卓には、茗荷は姿を現すことは無くなりました。
スキー帰りには、越後の「かんずり」を次のシーズンまでの分を仕入れ、「ゆずこしょう」は宮崎の知人から、定量送ってもらっています。
今流行りの「食べるラー油」昨日来た韓国の知人に食べさせてみると、いとも不思議な表情をしてくれました、ただ韓国でもこれに近い物が出回り始めたようです。
刺激性のものはよくないということはあるんでしょう。
餃子などは普通のラー油のほうが合うように思います。
食を仕事にしていたらいろいろ工夫をしてみると好いのにと思います。