さあ、お盆だ、亡霊諸君、全員集合!
2010年 08月 15日
夏休み、海に山に温泉に、家族そろってまたはカップルで、み~んなイイことしてるのに、なんで私はずっとこうやって寄席にでなきゃならないのかと、、、先日の鈴本で喬太郎が言った。
そう思って重い足取りでやってきたら、ここにもこんなにたくさんのイキバのない方が、、
わたしゃ仲間意識を感じます!
人がどこに行った、ここにいると聞けばちょっとうらやましくもなるが、いざ自分で行こうと思うと身支度(薬、アイポッド、着替えたくさん、パジャマ、連泊の場合は枕、、もちろん読みもしない本、、いつのまにか持ち歩くものが増えてる)やら、とちゅうの混雑、サンチのことやらを考えると気持ちが萎える。
だいいち俺は隠居の身、なにも人さまの邪魔して今行くこたァない。
というより、お盆はご先祖さまがやってくるじゃないか。
留守にしてたらさびしがる。
しかも今日は亡妻の命日だ。
お位牌をきれいに拭いてあげる。
娘たちが一触即発で大事を免れたのも俺が毎日ミスばかりしているのに大事に至らないのも亡き人々の見守りがあるからだと、そんなジジイクサイことを自然に感じるようになった(たしかにジジイだもの)
昔はみんな揃ったら歌を歌ったりゲームをしたけれど、霊になっちゃそれもできないから、例によって遺された歌を聴こう。
古き我が日記帳にはさみあり亡き子の初の月給袋
ぬき綿とふとんの皮が干してあり暑いけれども今日は立秋
行きくれて途方にくれし事などを夢に見るなり歩けもせぬに
七夕飾肩でかき分けかきわけて母が仙台に行ったときの句
夏草の子規庵ひそと雨戸閉づ
娯しみの始まらんとする浴衣かな長男の福岡での結婚式のあと、由布院に次男と姪、甥と一緒に連れて行った。
阿蘇山を回って、贅沢な旅館で、離れの夕食や朝の散歩に母も孫もほんとに楽しそうだった。
母が亡くなる前の年だった。
もっともっといろいろしてあげればよかった。
行ってしまった人の事を思うと、あれもしてなかった、これもしてなかったとやらなかったことばかりが思い出され、それが辛かったりします。
私もね、昨日はひっそりローマでお迎えしました
みんな来てくれたかな?
>行きくれて途方にくれし事などを夢に見るなり歩けもせぬに
いいですねーー
ついでにちらし寿司も作って欲しいなあ〜
ご先祖まで働かせようというアホな孫、、箒でぶたれるのが落ちですね。
でも、おばあちゃん達になら、、ぶって欲しいわ!!
すごくよくわかります
私も同じ
母のね、握ってくれたおにぎり、あのお味噌汁がもう食べられないと思うと、ホント身がよじれそうな気持になる
これは、私たちの十字架だね
死ぬまで背負わないといけない...
私のおばあちゃん、出てきたら腰抜かすかもしれません。
掃除機やらパソコンやら、、でもよく考えてみるとたいしたことはないな。
一時間もすれば慣れちゃうかもしれない。
神道では今日は何の日なんだろう。