お盆の朝、見たり聴いたり
2010年 08月 14日
あのねえ、シガケンのおじいちゃんちだよ!はあちゃんとお兄ちゃんと、ママと、、うんと、、(パパもでしょ?と俺)、、パパも一緒だよ。一週間前に会ったときよりも一段と口跡がはっきりしている。
いるけれどよく分からないこともいろいろ言う。
なんか、遊びのことみたいだけど。
ひとしきり話したあと娘が代わっていうことには、一週間前に着いて直ぐに追突されて車の後部が大破したそうだ。
幸い誰も怪我がなく、停車中の事故で100%相手側の責任だという。
車の修理に2.3週間かかかるのでレンタカーを出してもらって帰りは新幹線の、しかもグリーン車を、はあちゃんの分まで取ってもらったという。
お陰でもう一泊出来るようになった。
そういうときのための保険だとは言え助かるね。
行きは良い良い帰りは怖い、マッサージの先生が去年のお盆に青森から26時間かかったと云う話などを聞くにつけ心配していた。
そりゃあ、新幹線にしたいよ、でもお金がかかるからとっても無理、と言ってた娘も不幸中の幸いというか、災い転じて福となったと電話口の声も明るくて、ほっとした。
朝日新聞に昨日書いた「乙女の密告」の赤染晶子が「かまい」という表題で”芥川賞 受賞エッセー"を書いている。
作家の母親が娘時代に「小さな海の町からひとりででてきて」下宿した京都の小さな商店街にある小さな本屋の思い出。
京都の町は「一見さんお断り」のよそ者には冷たい町ではないかと不安でいっぱいだった。
でも実際は本屋の人たちは「かまい」、人のことが放っておけなくて、あれこれかまって世話をやく人だったという。
あんた。お箸とお茶碗、持って下に降りておいで。一緒に食べよふだんは母は自炊だけど、すき焼きの時は必ず呼んでくれる。
そこに出てくる「夏休みに泊りに来た弟」とは作家の弟のことだろう。
そうすると作家はいつからか一緒に住んだのだろうか。
「乙女の密告」にも感じられた、全部を説明しない書き方、背景に謎があるところが面白い。
赤染が今夏この本屋に行って自分の「乙女の密告」を注文した。
店主は鼻息も荒く新潮社に電話した。セピア色の思い出が突然キラキラと輝きを帯びたようだ。
「まだですかいな!書いてはる人がほしい言うてはりますのや!」
店主が胸を張る。
「新潮社にばあん言うたりましたわ」
「私はこれからも血を吐いて、文学に精進していきたいと思います」と「受賞のことば」(文藝春秋)に書いた赤染晶子さん、よかったね。
同じ朝日に細川元総理が1993年に韓国で「創氏改名」などを例に挙げて率直に謝ったことについてのインタビュー記事が載っている。
ユダヤ人としては生きることを否定され、ひとしなみに名無き『他者』として生きることを強いられたアンネ・フランクのことを書いたのが「乙女の密告」だ。
そこではアンネ・フランクのアイデンティティの最後の砦である「アンネ・フランク」という名前を忘れてはならないことが語られる。
「創氏改名」のことも忘れてはならない。
俺がやったわけではないけれど。
「創氏改名」は朝鮮の人が望んだのが始まりだと後に首相になる人が公言するのがこの日本の実情だから。
それはもう、何をかいわんや麻生太郎の言葉に対する細川のコメントだ。
1.たのしみは 結果知らずにい寝し朝 新聞そっと開けててみるとき(※熱心な阪神ファン)
2.たのしみは 黒石持ちて 迎え撃つ 碁敵の友 現われしとき(※熱心な囲碁ファン)
3.たのしみは 焼け庭石に 水を遣り 涼風そよと身に伝うとき
4.たのしみは 数日かかりし 数独の 今日にわかに まとまりしとき
5.たのしみは 朝の川面 ひそやかに 秋の気配の 感ぜらるとき(※淀川のほとりに居住)
6.たのしきは 姉の造りし 漉し餡こ デザートとして 食しあるとき
「酒と仕事と豪放と登山」しか知り得なかったことを恥じ入るばかりにて・・・。
名は体を表す
私は結構古いので、自分の名前に誇りを持ってるので、自分の名にかけても!みたいなところがあります。
だから、その人の名前をはく奪することは、大変な暴力であると思うのです。
もしかして、その辺の最近やけに多いチャラチャラした政治家は、そんなこと考えないだろうから、だからあんなに恥ずかしいことが平気で言ったりできたりするのかもしれないけどね
名前はアイデンテイテイの象徴であると思います。
昨日も言ったけど...
は―ちゃんかわいいーー
お姉さん、ぁおばさん一緒に泳ぎたい―――
秋刀魚も素敵です
この皮のパリっ感が何とも言えません
チクショ――――涙
で、お隣にさわやかにたたずんでるのは、冷酒ですね
くそー―
問題はすいすい飲むので量が多くて^^。
料理は疲れるんですけどね、でもお魚に元気もらおうと思って。
秋刀魚は食べ残しの骨と内臓を集めてホイルにのせて、じっくり焼くと美味しいです。お酒の肴にピッタリです。
最近は腕につける浮き輪があるんですね。
今の子供は色々な遊び道具があって幸せですね〜
はあちゃんは水の中なのですね。浮き輪がどうなっているのか?この頃プールの中の風景も見ることがなくわかりません。
昨日の新聞、もう1度読みましょう。
しかしたまさんの「酒と仕事と豪放と登山」も、とうてい「しか」というのは贅沢な人生じゃないですか。
約束の最も重い誓いの言葉として「果たせなかったら名前(苗字)を変えてもいい」という言い方があったように思います。
落語の登場人物のように、いつも定吉でありおキヨだったとか。
ニックネームなども場合によってはその人の人格を無視するような使われ方があるように思います。
私なども安易に使っているけれどナチスの小型をやってるのかもしれない。
自分の中の小型のナチスを抑えつけなければならないと思います。
祖母(父の母)はご詠歌に傾倒していて、そのせいかどうかわかりませんが、
父とその兄弟、そして嫁いで来た母にも自分で名前をつけていたそうです。
私が子どもの頃、父も叔父たちも同じ名前を呼んでいたのですが、
すぐ近くの母の実家では違う名前で呼んでいましたから、私は相当混乱していたようです。
今なんだか世の中が変わりつつあるようだからますますやるべきだと思います。
落語家はいまでもそうですがこれは芸名だ。
何度も名前を変えたらしいです。