滑り込みセーフ!小三治の新宿夜トリ
2010年 07月 01日
落語協会会長になったがための多忙もあるだろうから確かめて行かないと休演ということもあるのだ。
午前中は家事とサンチの散歩、午後は銀座で映画「ザ・ロード」を観て5時に木戸をくぐると既に桟敷の一部と二階しか空席はない。
膝が痛むから桟敷は遠慮して二階のベンチ席へ。
ハナはゆっくり座っていたがだんだん混んできて「お膝送りでひとつのベンチに4人の目安でお願いします」などと言われると俺の両側の僅かなゆとりも無くなるかとひやひや。
きついのも往生するけれど前の席に大きな人が座ると高座が見えない。
なんだか階段を上がってくる人が肥大漢ばかりのようで、安全上二階席は重量制限すべきだと思ったり、自己中な俺だった。
肝心の高座だが、今回はメンバーがいつもと違ってあまり知らない人や好きくない人が多い。
そのせいかなかなか寄席の空気が暖まらない。
いや、温度的には暑くてたまらんのだが、雰囲気が盛り上がらない。
小三治がトリだとそれだけで超満員になるからそんなに売れっ子を揃える必要はない。
むしろ普段知られてない芸人、あまり満員の席でやったことのない芸人にこういう場を提供しようという、もしかすると席亭(小三治の意もあって)の方針変更かもしれない。
初めて聞くネタもいくつかあった。
ところが中入りに近づいて代演で伯楽が「猫の皿」、小三治の会長就任にさらっと触れて志ん生の骨董道楽や文楽(先代)の煙草入れ蒐集をめぐる思い出噺、二人の名人が彷彿とする楽しさを枕にネタに入る。
急に場内がホンワカしてくる。
良いなあ、こういう噺家、もっと聴いていたい。
と思っても時間がくれば退いて、、するとチャンチャンチャラチャン、、おや、この出囃子は?そうです!我が愛しの喜多八の出囃子「梅の栄」、これまた代演、ラッキー!
吉原通いが止まらない道楽息子が二階に蟄居を命じられる。
アァ、行きてえ、行きてえなあ!ため息を合いの手に吉原の妄想を一人で語る。
聞き手は猫のトラ
おまえは羨ましいよなあ、親父がいないからなあ、町内ひとまわりしてきたか、いい玉見つかったか、ってお前の場合はタマだな罰あたりのくだらないことォいいながら花魁とのやり取り、一人でやってるから気が合うんだなあ、冷やかしの様子も巧いもんだ喜多八、よくぞ代演で来てくれた。
はん治「タイ志をいだけ」、小菊、小袁治「夢の酒」と続いて扇橋「茄子娘」二階の奥からでは声はなかなか聴き取れないがイイってことよ、ところどころ聞こえれば、、茄子の精に肩を揉んでもらうときの肩の動かし方なんてほんとに後ろに茄子の精がいるんじゃないかと目を凝らしちゃったぜ。
和楽社中が「太神楽曲芸」の後、さあ、お待ちかね、小三治の登場だ。
エンジ(今日は喜多八など黒の上下で決めている人が多いのは小三治への敬意か)の上下で登壇し、一呼吸おいて
目ざまし時計が、、直りました!10年以上も前に買った目ざまし時計、自分で毎晩”起こす声”を吹き込んでおく時計。
お~い!起きろ~!今朝は3時間しか寝てないけど新宿で夜トリだから、、その日その日にマッチした内容を吹きこむ“自分を騙す芸”が楽しみ、ときには「起きたら?」柔らかく女性のように、同じパターンでは駄目なのだ。
その時計が壊れてビッグカメラにもって行っての一部始終、マニュアル化した店の応対に小三治的”合理精神”に基づく疑問と憤懣がさく裂する。
脱線して握力自慢が始まったり、会場は何を聴いても大喜びだ。
15分以上も過ぎてからお茶を一服して
はあ~、なんかやんなくちゃねえ、目覚まし時計だけでおしまいじゃねえ、、気が引けるよ場内静寂
今日はここは9時に終わりですよ今、8時46分、おいおい、ほんとに終わりかよ
すみませんが、、終わりませんからね!割れんばかりの大拍手
終わろうと思えば5分でも終わるけれど、、、(声を大きくして)おう!隠居!レエンジョ(離縁状)、書いてくれ!りゃんこ書いてくれ!「天災」が始まった!
八っつあんがお袋を蹴っ飛ばすに至った猫が魚を盗んだ噺(今まで聴いたことがなかった)までも丁寧に語って、まさに”たっぷり!”の高座。
前半の盛り下がりもデブへの偏見も忘れて、ああ極楽極楽!温泉に入ってるような45分だった。
朝、6時半に起きてから20時間、充実の一日ではありました。
7月2日はsaheiziさんの「ブログ記念日」ですね。
お祝い申し上げます。
日毎の充分すぎる刺激を得ながら,いつも読み逃げばかりですが,遠い背中を見失わないようにと思っています。
うらやましい限りです。それも『天災』とは。
「江戸っ子で職人だからね・・・・・・」の啖呵が聞こえてきそうです。
また、マニュアル化したサービスについてのマクラも想像できますし、たぶん同感できる内容と察します。
ブログ満五周年とのことで、おめでとうございます。
これだけの内容を続けるのは大変だということは、同じブログ書きの身、よく分かります。
サンチは幸せな犬ですね。我が家にも犬の家族がいるので、そのうち登場させようかとも思っていますが、落語のブログだし、と逡巡してもいます。まぁ、その気になったらご紹介します。
今後ともお元気で趣味にブログに散歩に、ご活躍ください。
たしかに小三治と同時代に生きて気力充実の高座に接することができるのは幸せなことですね。
私は志ん生の高座も知っているのですがすでに病気の後でした。
貧乏学生だったからしょうがないけれど酒を呑むカネがあったのだからもっと寄席に行くんだったと思います。
もっとも圓生の酒を呑む場面に刺激されて帰りに一杯やっていたのですから無理な話です。
昭和三十年代後半、私は地方に住む小学生でしたし学生時代も関西で過ごしたので生の志ん生どころか生の志ん朝にも巡り会っていません。学生時代も体育会系でオフはアルバイトに精を出していたので、落語に縁がなかったんです。
ただし、もう四半世紀も関東圏に住んでいながら、やっと数年前から生の落語に積極的に行くようになった時は、「なぜ同時代の素晴らしい落語家たちの高座を見逃してきたのか」と悔やむことしきりでした。
志ん生の高座、病み上がりであろうと体験できた方も少なくなってきたのではないでしょうか。音源として病後の『疝気の虫』などをよく聞くのですが、ほどよく力が抜けていいんですよね。
佐平次さんと落語を肴にお話をうかがえる日を楽しみにしております。
それを知ったのは平岡の本ですがますますジャイアンツが嫌いになりましたよ^^。