副島隆彦×佐藤優「小沢革命政権で日本を救え 国家の主人は官僚ではない」
2010年 06月 28日
そうしたらこんな本があった。
佐藤優の本は何冊か読んで教わることが多かったし、つい買ってしまった。
いよいよ友を失いそうだ。
自民党時代は、名目的権力は政治家、実質的権力は官僚という棲み分けができていた。
民主党連立政権はそれをひっくり返して本気で政治家が日本国家を支配することを考えた。
その「暴挙」を、ありとあらゆる力を結集して阻止するというのが官僚の「集合的無意識」だ。
無意識のうちに、検察官僚は腐敗政治家・小沢一郎を叩き潰す役割、外務官僚と防衛官僚は日米同盟を破壊する鳩山由紀夫を封じ込めるという役割を分担して戦った。
メデイアも意図的もしくは無意識のうちにこの戦いに加担している。
そして、日本全体が催眠術にかけられたような状態になっている。
佐藤優の現状認識だ。
副島隆彦は例によって、共謀理論に基き、官僚・政治家・財界人・アメリカの特定の有力者(日米安保利権屋など)の自覚的な連携によってこの権力闘争が展開されていると見立てる。
どちらも
この闘争で官僚が勝利すると、日本にファシズム(コーポラティズム=統制経済体制)国家が生まれる。という危機意識をもっている。
小沢と鳩山を追い落とすことで残りの面々は取りこんでしまえる(しまった)と官僚の集合的無意識は考えるのだろう。
大げさな、と思う人が多いだろう。
でも今でも日本は法治国家でその法律は政治家が国会で決めるんだということはかなり神話になっている。
殆どの法律の立案、成立後の運用は関係官庁が自由裁量でやるのだから。
政治家は官僚を使いこなせばいいなどと嘯くのは使いこなされている政治家だと思う。
それほどに官僚の力は強いし、ある意味では有能なのだ。
官僚に任せるとなぜいけないか?
それは官僚たちが明治憲法下にあって「官吏服務令」によって国体である天皇に忠誠を誓うことが求められたことが今なお尾を引いていると佐藤はいう。
つまり戦後は天皇の代わりに抽象的な国家が官僚の忠誠心の対象となっている。
「天皇の官吏」の延長にある役人たちは政治家どもよりエライのだという自負心・思いあがりになっている。
公僕であり、大臣の使用人であるという自覚はない。
むしろ何も分かってない国民を護り育ててやるのが官僚の役目だと。
歯止めがないから保身や利権・省益、時には独りよがりの愛国心が暴走する。
それが怖い、ほんとに怖い。
二人の対談は面白い。
鳩山首相について。
彼はスタンフォード大学ではオペレーションズ・リサーチについての優れた論文を書いている。
今までの政治家が加減乗除思考しかできなかったのに対して微積分・多変数解析・不均等な変化思考が出来る(しかできない)のが鳩山の宇宙人たる所以だ。
政治に科学をもちこみたかった鳩山がアメリカにはじめてノーと言ったけれどアメリカや官僚、メデイアなどの圧力で敗れてしまったのは誠に残念なことだ。
オバマ政権は間もなく瓦解してヒラリー政権という悪夢が始まる。
日本財務省には75兆円の埋蔵金が眠っている。
これが彼らが政治家を操る道具だ。
、、、、
新聞ではなかなかお目にかからない新説・卓説・珍説・奇説。
それらは面白がって読めばいいと思う。
ただ官僚が政治家や財界、メデイアなどすべてを支配下において統制していく国家の出現は決してありえない話ではないと思う。
農家への戸別補償制度という、JAを外して直接農家の票を取り込もうという悪魔的かつ亡国的なアイデアはきっと小沢のものだろう。
そういうところは許せないなあ、たしかに。
でも4億とかなんとかはもっと悪い奴がいくらでもいそうだ。
紳士面をしていても。
日本文芸社
「霞が関」とマスコミによって潰された鳩山・小沢政権。恐るべき検察官僚と外務官僚の「集合的無意識」。今、小沢一郎は静かに「悪党」を組織せよ... more
できるだけ本を買わない主義なので、どこかで見つけて立ち読みしたいなぁ。
何度か書いたことがあるのですが、僕は役人を公僕だという風には思っていないんです。
僕らができないこと、例えばいろいろな手続きとかを代わってやってくれるその道の専門家と思っています。
だからといって役人が飛び抜けて優遇されるというのはおかしな話と思いますが、公僕扱いはあんまりな気がしています。
一方の政治家は、例えばタレント候補に見るように、ずぶの素人。
検察審議会の素人には法に則った判断ができないように、しょせん政治家なんぞに専門的な判断はできないと思っています。
でも、素人にしかできない判断というものも、専門家の判断と同じくらい重要な場合は多いと考えます。
その意味で、僕は鳩山さんに期待していました。
つぶされた彼が気の毒です。
鳩山さんの夢想をサポートして、現実的なものに近づけるコーディネーターが民主党にいないことが、残念でなりません。
スケール的にはちょっと違うかもしれないけど、泥棒が泥棒を泥棒呼ばわりしてるのが、今の世界的政治の傾向
自分たちの、それこそ最低にして最大なる政治家、官僚としての義務を忘れている、 つーかないがしろにしてる。
小沢にしろ、検察官僚に付け入られるような、やましいことはしなければよいのだし、鳩山にしろ、彼の失脚をただ外務官、防衛官僚のせいにはし切れないところがあると思うのですが、
公のそれも大きな公の良を実現しなければいけない政治家は、公明にして正大でなければいけない。
理想かもしれないけど、その理想をどれだけ自分に課すか?って言うところに、政治家としてのそして民のために国政を行う政府の骨組みが出来上がるのだと思います。
それがないから、クラゲも笑うような鳩山みたいなのが出てくる。
100歩譲って、彼に清涼なる理想があったとしてもさ、それをみんなにわからせ、実行する力と決意と覚悟がなければ、ガソリンだけたんもり持って、金持ちだと思ってるようなもん
それを使って、走るエンジンがない
ねえ、saheiziさん
政治ってさ
みんな難しく、難しく、しようとしてるけど
そんなに難しいものではなく、もっとシンプルなもんだと思うんだけど
弁護士が、てめえが儲けたいから、話を難しく、難しくするのと似てる気がする。
いずれにしても、普天間にその日に備えて、土地を買ってる小沢のような、安っぽくてちんけでケチくさいチンピラはごめんです。
語感の問題でしょうが私は公にサービス(奉仕)するというのは立派な仕事だと思いますよ。
問題は間違ったことをしてもわれわれが罷免できないこと、だから官僚連合軍に良いようにやられてしまう。それが今の日本を作っているのです。
でも政治家は国民がノーと言えば退場させることが出来ます。
官僚はそれができない、それをいいことに勝手なことをし放題、それが日本をここまで悪くしたと言ってもいいでしょう。
それだけ実質的な力をもっている官僚連合軍を武装解除するのにはおぼっちゃま政治家では無理でしょうね。
見渡したところ好き嫌いはともかく小沢にはそれだけの力がある(あった)ことは事実でしょう。だから官僚は必死になって小沢つぶしにかかったのだと思います。
検察はやろうと思うと無から有を生ずることもできます。
今裁判中の厚労省村木局長などその事例でしょう
ここ数日の佐平次さんの記事はツボで(笑)
僕たちが役人のクビを切ることができないことに問題がある。
それはたしかにあるだろうと思います。
その意味で政治家に人事権を与えているのに、それが役人に抱き込まれてしまっては、、、というのが佐平次さんのおっしゃりたいことと理解しますし、異論はありません。
さて、言葉にこだわって申し訳ないのですが、公僕という言葉が使われる場合、多くは「公僕風情が」的な侮蔑の意味で使われることが多いと感じるのは僕の偏見でしょうか。
また、佐平次さんのようにサービスと解釈している人でも、その多くはそれを当然のことと考えていないでしょうか。
それはひとえに公務員の給料の問題が絡むのでしょうが、そこに僕は危険性を感じるんです。
例えばゴミ処理の問題など、僕たちでは手に負いかねることを引き受けてくれている人に対して、金払ってるんだからそれで当然という態度でいいとは、僕には思えないんです。
公務員に対してでも、政治家に対してでも、あるいは商売屋さんに対してでも、金を払ってるんだから当然だという意識が日本中に蔓延してる気がします。
公務員は僕たちが税金で雇っているのではなく、公務員がしてくれた仕事に対して、僕たちは謝礼をするという立場で臨まなければならないんじゃないかというのが僕の基本的なスタンスです。
長々とおじゃましてすみませんでした。
佐平次さんの記事はいつも楽しいですよ。
小沢は政・官・財癒着の象徴だと思いますが、こういう考えは古いですか?
柔ちゃんとか、きん枝とか、横峰パパとか、古くは野村ママとか、国民を馬鹿にした候補者を持ってくる小沢には何の期待も持てません。
まあ、そういうところでも役人風を吹かす人もいてそれはそれで公僕意識を叩き込まなければいけない(だって給料を払ってるのはこちらだから。かといってべつに見下げるとか威張り散らすなんてのは埒外です)とは思いますが、私が官僚支配と言ってるのは霞が関に巣食うエリート官僚のことです。
予算査定、税制を筆頭にこの国を牛耳っている(憲法上許されない越権行為)連中のことです。
私も少しは彼らのことを知ってますし佐藤優は自身が外務省でエリートどもとくんずほぐれつやってきた末に国策捜査(佐藤を取り調べた検事がそういったそうです)でフレームアップされたのですからそういう官僚たちの裏表を知り抜いた上での発言です。
彼らは国民に仕えるのではなくて国に仕えている、だから一般国民の方が格下だと思い、又国民もエリート官僚の方がエライと(内心)思っている。
エライえらくないではなくて役人は国民のために仕事をするのが飯のタネだということをきちんと弁えるべきです。
斎藤を持ってきたのも小沢でしょう。
副島、佐藤は子飼いの斎藤を使って財務省を抑えようという戦略とみています。
私にはよく分からないところです。
小沢は政策というより官僚との闘争に勝つ、そのためには柔らちゃんでもなんでも利用して選挙で権力を握るということじゃないかなあ。
農家への戸別所得補償なんてそうとしか考えられないです。
まさに古い自民党ですよね。
問題は菅や前原、岡田、仙石たちが官僚に勝てるかです。
消費税事件はすでに負けているとみえます。
官僚とは羽毛田宮内庁長官の天皇会見発言に対して政府の方針に従えないならやめろと言った事件が象徴的です。
天皇が誰とどのように会うかは政治が判断すべきことで1か月ルールなどは官僚が勝手に決めたこと、それをもって政府に逆らうのがまさに官僚支配ではないでしょうか。
民主党の天皇接見の進め方が嫌ならwれわれは選挙で彼らをやめさせることが出来ます。
ところがわれわれが選んで権力を委ねた政治家・小沢にして宮内庁長官の首をとれなかった。
そこがいまだ政治主導になっていないと思います。
そうですね。しかしそれは言葉に対する感覚が変化してきたのでしょう。
本来は侮蔑的な意味はないと思いますよ。
公は全体でしょうね、個々の市民それぞれに具体的に僕たれということではない。
だから誇り高き仕事だと思います。
まあ、一般のサービス業が一段低いと言ってるわけではないのですが。
目の前のお客なり市民にサービスするのも素晴らしい仕事、サービスとは人間だけが可能な行為ですから。
それとは違う次元で大きな公を捉えてそれに奉仕するのも素晴らしい仕事です。
そしてエリートというのは人よりも特権を得るのですから無私の使命感を持って当たるべきだというのが私の信念です。
この場合の「会社」って、「代表取締役」のことなのでしょうか、それとも「大株主」のことなのでしょうか。
「会社法」にも、「日本国憲法」にも書いてません・・・。
「政治」を「株主」、「官僚」を「役員」と置き換えてもよく理解でないことの多いこの頃です・・・?
場合によっては代表取締役や大株主と対立しても。
政治家=国民の代表、取締役=株主の委託の関係が似ているかな、あえて言えば。
国民は天下り禁止などが関心がありますが、天下り以前の現役官僚の権限をあるべきところ(政治家=国民の代表)に戻すこと、そのための体制を作ることが必須です。
勇気と時間が必要です。もちろんメデイアや国民の理解(わかりにくいから)が必要です。
でも、小沢さんがやろうとしても、
民主党政権では完遂できないのではないか
というのが私の疑問点です。
また、個別補償の振込先からJAを外しているのは、
単に借金の棒引きにならないようにしているだけで、
申込手続きはJA経由になっているのではないかと思いますが。
JA外しというのは神門さんが書いていることです。
私はよく分かりませんが、全中が小沢に会いたいと言っても断ったそうです。
ただ日本国憲法の定め(守られていないことは多いけれど)からすると現状はおかしいと思います。
とくにかつての使命感も何もない官僚が跋扈していては困ります。
現象の奥と申しますか、真実・本質を知ることの大切さを感じています。
>養殖されたようなのっぺらした民主党のエリート集団にはかねてから薄気味の悪さ
私も、saheiziさんと同じ印象を民主党若手に持っています。
顔つきだったり^^。
消費税アップを必ず法人税減とセットでと無表情にいわれるとぞっとします。
低所得層に負担増を強いることと利益をあげている法人の税負担を下げることを同じレベルで考えているようにみえてしまう。痛みが感じられない。