「噺の扉」は「逝きし世の面影」に通じていた
2010年 06月 12日
本を読む時間とブログの時間もしっかり確保して、、
そしてまじめに遊ばなきゃ!
え~と、湯に入るのはあっちでと、日本橋公会堂の近くの木村湯に当たりをつけて、その後は甘酒横丁あたりで旨そうな蕎麦やでも見つけて、、それから、、。
そして移動は例の隠居の時間術、バスで渋谷まで渡辺京二の本を読む。
そういえば渡辺さん、朝日の夕刊でコラムを書いている(短いけれどピリッとして、正直なところ浅学の俺には難解なことも書いてある)。
網野善彦が「中世は素晴らしかったが徳川幕府がその素晴らしさを圧制により押しつぶしてしまった」と言ってるのを批判する文章を青山通りの車内で読む。
徳川時代こそ日本人がなくしてしまった生き方をした、素晴らしい時代だったという。
「逝きし世の面影」でも生き生きと描いていたなあ。
昨日読み終わった「1Q84」の出口はこのあたりかなあなどと注意力散漫な読書だ。
近所の豆腐屋さんに訊いたら廃業したという。
人形町まで戻って「世界湯」に、男と女の入口が分かれているけれど中は正統派の銭湯だ。
烏の行水、って見たことないけれど頭と顔だけ洗って熱い浴槽は1分足らず、それでも押しているから旨い蕎麦は又今度。
コンビニでお握り二つ、会場のロビーでしゃっくりが出ないように気をつけつつ猛スピードで食う。
空腹だと途中で腹が鳴るのだ。
ジジイのハラが鳴るなんて乙でもなんでもない。
会場に入ってびっくり、最前列のど真ん中、ど迫力の近接撮影ならぬ近接鑑賞だ。
桃月庵白酒「転宅」
パンフレットに小朝が「日光の眠り猫」に似ていると書いた白酒、雲助門下、先日の弥助も雲助門下、「転宅」は間抜けな泥棒の噺、弥助のやった「夏泥」も間抜けな泥棒の噺、雲助一門いよいよ泥棒専科開講か^^。
刈りこんで話たが十分に楽しめた。
小朝「唐茄子屋政談」
大真面目にかっちりとやった。
酸いも甘いも嚙み分けたオジサン、優しいオバサン、二人の会話から透けて見える勘当した親たちの愁い顔、人情侠気の江戸の町人、、そして頼りないユキオチャン、じゃない徳三郎、肝心なところではしっかり”友愛”を実行する。
志ん生のやり方を小朝がやると色気が出る。
その分、かえって何か物足らない感じはあるのだが、多くをいうまい。
「逝きし世の面影」をたっぷり味あわせてくれたんだもの。
小沢昭一「隋談」
これまた「逝きし世の面影」だ。
吉原体験記やら“吉原の下拵えを提供する場所としての浅草”のストリップの話やら艶噺を一流の話術で披露する。
歌も入り、しょっちゅう忘れてしまってやりなおしたり「小沢の高座は長いといって評判が悪いからなあ」と言いながら今日もまた、やっとハーモニカで「東京行進曲」を吹き終わったと思ったらお辞儀もしないのに幕が降りてきた。
時計をみると9時、閉会予定時間だぜ、一人で45分もやってしまった。
まあ、憎めないのは芸のうちか。
小満ん「居残り佐平次」
今日のお目当て、なのに時間がこんなになっちゃってどうするんだろうと俺が気が気じゃない。
でもよかったなあ。
すっきりと佐平次という謎の男が浮かび上がる。
惜しむらくはたっぷり時間をあげたかった。
どこか、先を急ぐ感じがあったのは聴く俺の気分だけのせいではなかったと思う。
小沢の話術はそりゃあ面白いし彼の年を考えれば今聞いとかなきゃいけない(内容も)ようなものだが、トリを盛り上げる膝代わりとしては困ったものだ。
とはいえ、大満足で帰りました。
落語に残っていた「逝きし世の面影」を心に温めながら。
白酒のこの噺は以前聞いたことがりますが、あの体と顔で(!?)義太夫の師匠が妙に色っぽかったのを覚えています。
小朝のこのネタも、志ん生、志ん朝の流れにある型で、私も以前に聞いて感心しました。
小満ん師匠の居残りには、まだ出会っていませんので、いつか聞きたいものです。
なるほど、この会には機会があれば行きたいですね。
ロジックではとても太刀打ち出来ませんが、好き嫌いでいうなら私も徳川の治世の方が素敵だと思います。
友達の歴史おたくの子はみんな戦国時代が好きですけど。
論理だけではなく。そこが私は好きなんです^^。