旅の不思議
2010年 05月 07日
何回か来たことのある土地を歩いていると、ふとした瞬間に既視感に襲われたり、目の前の光景に過去の記憶を呼び覚まされることがある。
がつん!と音がするくらいに強烈な感覚を伴うことも珍しくない。
その契機はなんということもない町角だったり食堂のメニュー表だったりする。
いわゆる"みどころ"で積極的に過去の思い出にアクセスしようとしている時ではないのだ。
記憶の再生に無防備な状態だからビックリ度も大きいのかもしれない。
その瞬間タイムスリップしたような感覚に捕らわれる。
人生の一場面での感情が生々しく蘇る。
と同時にもう一人の、今の俺が過去の俺を咀嚼している。
その味は苦い時と甘酸っぱい時とがある。
身をよじりたくなるような痛切な感情が沸き上がることもある。
不思議なのはそういうことは日常生活ではあまり起きないということだ。
里山の漲る新緑と水を張ったばかりの棚田の姿に「身を捩りたくなるような」、否、「身を捩られるような」想いを新たにしました。
車窓に映るフジとヤマツツジ(ピンク?)、そしてキリ(桐)の薄紫色、妻・子供たちと一緒に旅ができる、ただそれだけの「至高の幸福」をも・・・。
北東北の山々、畑、田んぼ、あぜ道、、いづれも原風景でした。
やはり、空間と同様、時間も次元を持っていることを、
原初の脳も感じている、なんとことでしょうか。
初めて訪れたイスタンブールで、なんだか懐かしかったりするのも、
そんなものかもしれません。
山、川、林、田畑やいろいろな木々やイナゴやウサギなどの食べた動物がいるような錯覚にとらわれたりします。
今では貴重な体験だったと戦争は兎も角許せませんが、感謝したいくらいです。
今回の旅では40になった頃から後のことが多かったです。
tonaさんが野山によくいかれるのは子どもの頃の経験が影響しているのかもしれませんね。
医者の不養生にならないようにお大事に。