今も昔も男ってやつは 狂言「花子」「無布施経」(万作・狂言十八選 第十一回)
2010年 05月 05日
狂言「無布施経」
僧 野村万之介
施主 深田博治
毎月決まってお経を読みにやってくる僧、今日もむにゃらむにゃらとお勤めをすます。
途中で雑談をしかけるなど小言念仏みたい。
なぜかいつも出るお布施が出ないままに家を出てきた。
一度くらいは貰わなくともいいようなものだが、これが例になるのはちょいと困る。
引き返して催促する、とはいえ流石にあからさまに布施をくれとは言いかねる。
教化をしようと「不晴不晴のとき」「人というものは定まってやるべき物あるはず」などと力をこめていうけれどピンとこない。
ついには袈裟を落とした、この袈裟には「ふせ縫い」が印になっているとまで言ってようよう判らせる。
ところがいざ布施を出すと恰好をつけて直ぐには受け取らない。
愚僧がなんどか戻っていろいろ申したのは布施のことではないのですよ、どうしてもというなら来月一緒に頂きましょう、まあ、なんとも面倒な坊さん。
施主が無理矢理懐中にねじ込もうとした弾みにさっき隠した袈裟がポロリ。
行いすました坊さんが、施主が布施のことを思い出したかどうかで一喜一憂する、その顔が可笑しい。
狂言「花子(はなご)」
狂言師にとって修士号取得試験(萬斎言)という大曲。
今までに茂山喜暢の披き(初演)と山本東三郎のとを観た。
今日は野村萬斎、楽しみにしていた。
かつて旅先で懇ろになった遊女が都まで出てきて会いたいという。
山の神(石田幸雄)の目が光って、、そこで一計を案じて持仏堂で一夜座禅をするから決して見に来てはならぬといい、太郎冠者(野村万作)に身代わりを頼む。
さあ、会いに行けると家を飛び出す萬斎夫の素早さはサンチが俺に駆けよる時の走りみたいだ。
妻はやっぱり夜中に覗きに来る。
衾をかぶっていても結局見破られる太郎冠者、妻は代わって自分が衾をかぶって座る。
太郎冠者が夫婦の間で身軽に立ち位置を変えるのがなんとも愉快、万作の貫録。
朝帰りの萬斎夫、幕を出るときから色気が紛々、このやろ、いい思いをしてきやがって!
妻が身代わりとは知るすべもない夫は太郎冠者だと思い込んで昨夜の首尾を語る。
小歌、謡を交えて舞いながら一部始終を語るうちに妖艶な一夜が眼前する。
衾の下で聞いている妻の気持ちはいかばかりか。
なんしろ
思うに別れ思わぬに添う、あの美しい花子には添わいで、山の神に添うというは近頃口惜しいことじゃなあなどとぬけぬけと言うのだ。
そうは言ってもバレタあとでは
ゆるさしめゆるさしめゆるさしめと逃げ廻るのだが。
以前観た二人より動作にメリハリをつけてユーモアを際立たせる萬斎。
なるほど大曲、秘曲といわれるだけのものをしっかり感じさせてくれた。
お疲れさまでした萬斎、万作、幸雄。
国立能楽堂
単純明解、いつの世にも通じるストーリーだけに、
演じるものの力量も出るのでしょうね。
喜劇でやりながら心を打つ方が難しいかもしれません。