お勧めしません ウエイン・バーカム「殺す女」(ハヤカワ文庫)
2010年 04月 19日
復讐物は好きで、まして“疾走感がある”などと”殺す文句”に弱い。
少女の目の前で父が母を殺す。
サディスティック、猟奇的殺人。
父は少女にこれは事故だったと証言させようとする。
父の暴力に怯えている少女はうなづく。
しかし警官に訊かれたときに
お父さんがやったの。お父さんがママを殺したの「お父さん」と「ママ」の使い分けが意味があるのだろうなあ。
前の方で父は自分のことを「パパ」と言ってるんだけど。
小学校のとき近所に進駐軍の通訳をしているオジサンがいて遊び半分で英語を教わってから高校卒業まで、ずいぶん長いこと英語を習ったのに、こんなに簡単なことがわからない。
少女は長ずるに及んで猟奇的連続殺人を犯す。
それを追いかける刑事の苦闘、モデルとの破局、美しい編集アシスタントとのロマンス。
娼婦のエピソード。
いくつかのストーリーが同時並行的に進行する。
それを疾走感と言えば言えるかな。
文章がダメ、ごちゃごちゃとつまらないことを書きこんでまるで俺の文章。
文章からは疾走感は伝わらない。
読者の目くらましのつもりなのかいろんな人物が出てきては、そのたびに主語が変わっていろんなことをやる。
そのエピソードに魅力がない。
最後の謎解きもやや無理な感じで疑問が残る。
途中でなんども放り出そうと思いながらも最後まで読んでしまった。
「取りつく島」があったのか、それとも「取りつく暇」があったということかな。
「取りつく品」はあまりなかった。
読まれるのを待っている本がたくさんあるのに。
特に翻訳本でがっかりは辛いです。
たのしい映画でも見て気晴らししてください。
ジム・キャリーの「フィリップ、君を愛してる!」なんて面白そうですよ〜
わかります、その何となく消化不良の気分
私もいい本に出会えると、よッしゃーと元気が出るけど、期待外れのに出会うと、、がっかり
それでも私はなるたけ読み切りたい人だから我慢して読もうとするけど、
それでもあまりにひどくて読むのをやめる時もある。
食べたものが腸の途中で止まってる気がして気持ち悪い
saheiziさんの選ぶ本、いつも当たりなのに
こういうことってあるのね、過大広告にひっかかっちゃったね
追って書きます。
とくに難しい本はね^^。
桜新町は八重桜がきれいなところです。
取りつく暇が私にも大ありですが、昔は律儀に一旦取りついたものは最後までがモットーでしたが、吉里吉里人同様、この頃はすぐ投げ出し傾向です。
1回くらい、どうしてダメだったかを記録として残してみたいものです。とこの感想を読んで思いました。
でもつまらないものがあるから面白いものもあるのかもしれない。
>「お父さん」と「ママ」の使い分けが意味があるのだろうなあ。
>読者の目くらましのつもりなのかいろんな人物が出てきては、そのたびに主語が変わっていろんなことをやる。
出版社(ハヤカワ)が翻訳者にどれだけの自由裁量権を与えているかによって、この辺りは大きく変わると思いますよ。
昔の「早川書房」は訳後のストーリーの完成度を唯一の基準とし、たとえば原著にないセンテンスを加えることも許されたんですけどね。
おそらく「お父さん」とすることでパパよりも他人行儀の感じを出したのでしょうね。原文がどうなってるのかわかりませんが。
主語が変わるというのは視点が変わっていくのですね。それはそれで意味のある面白い効果がでることもあるのですが。