立ち上がれない!と小沢昭一は言った 第一回「噺の扉」
2010年 04月 09日
メモ帳に記入漏れだった。
歯医者とクリニックで膵臓や肝臓の脂のその後の成長を確かめ、すぐ死ななくてもいいと聞いて、夜7時からの開演までどう過ごそうか、新しくできた三菱一号館美術館で「マネとモダン・パリ」展を見てから日本橋公会堂へ。
道に出ている地図看板をみて人に三度も訊いたのに迷ってしまった。
日本橋にも狐狸化生は棲息していたとは!
永田町からはかなり離れているのに、
そうだ、兜町あたりからも遠征してきているのかもしれない。
前置きはともかく、何とか開演に間に合って三三「権助提灯」。
女の焼もちは愛する人など焼く対象が決まっているけれど男の焼もちは見境なくなんにでも焼く。
向こうから見ず知らずの男が美人を連れて歩いてきただけで“あの野郎!”と焼く、こんな気持ちは女にはわからないらしい。
そんな枕からこれは珍しく本妻と妾が仲好くしている噺。
台風が来るという夜に本妻はお妾さんが心細いだろうから今夜はあっちで寝てくれ、旦那、鼻の下長くしていそいそと権助に提灯持たせていって見ると、妾の立場でそんな畏れ多いことはできない、ぜひ奥様と一緒にいてください、本妻はトンデモナイ、、、本妻の家と妾の家のあいだを行ったり来たりで、夜が明けた。
こういう仲良し=焼もちが一番怖い。
三三はいつ聴いても“若いのに達者だなあ”と思う。
逸材であることは間違いない。
何が足りないんだろう、俺は彼の独演会のチケットを並んでまで買う気にならないのだ。
相性?かな。
小朝「男の花道」。
見台を置いて噺も講談のようだ。
元は講談、正雀がやるらしいが小朝が誰から学んだかは知らない。
江戸時代、シーボルトについて西洋医学を学んだ半井源太郎と人気絶頂の女形中村歌右衛門の奇縁が元になった男と男の信義の噺。
小朝はくすぐりもいれず脱線もせず真正面からやった。
聞かせた。
小沢昭一「隋談」。
立ち上がれと言われても、立ち上がれない!与謝野も平沼(平岡と間違えっぱなしだった)も小沢とは(麻布)の後輩だ。
あんな高校を出た連中には大したことが出来っこない。
麻生太郎は昭一の息子(一郎と名付けてしまった)と寿司やで一緒になる。
一郎に
あんたのお父さん亡くなってどのくらいになるんだろうと尋ねたそうだ。
情報量が少ない!名古屋の屋台のような店でも
お客さん、死んだ小沢昭一にそっくり!あっちこっちで殺されている。
永六輔の言葉が可笑しくなってる噺とか、ときどき繰り返しもあったり、普通の人がしゃべるとどぎつくて聞く方が白けてしまいそうな悪口やエロ噺、死に関わる本音の噺だが、ちっとも嫌な感じがしない。
大らかな自在な語りの中に一本筋の通った達観と温かみがあるからだろう。
膝代わり(真打の前の出)は真打がゆっくりしゃべれるようにあっさりとやって、しかも会場の今までの笑いを一旦整理して改まった空気で真打を迎えなければならない、、それは分かっているし、そろそろ時間も迫っているんだけれど、と言いながら、「品川甚句」(日本芸能遺産に登録したい。楽しく絶妙な歌唱)をやり、ハーモニカを引っ張り出して「愛染かつら」「高校三年生」「東京行進曲」などをアンコールを求めてやる。
高座でしゃべり歌い演奏するのが楽しくてしょうがないんだね。
最後にもう一度「立ち上がれ!なんとか立ち上がろう、、立ち上がれない!」と楽屋に呼びかけ幕をおろしてもらった。
小満ん「柳田格之進」。
黒紋付に黒の服、すっきりと登場。
こういう大きな処でやるのは不得手です。150人どまり、、「噺の扉」という名前にひきつけられて出ることにしたという。
小朝はパンフレットに、小満んに
前座の頃から沢山の噺をお稽古して頂きました。私の大好きな師匠です。と書いている。
なぜそんなに好きなのか、その理由はほどなくおわかり頂けると思いますが。
俺は前にもこの人の「柳田格之進」を聴いたことがある。
浪々の身にありながら志を失わず、すっくとした佇まい、さりとて侍風を吹かして肩に力が入るというのじゃない、むしろ粋とすらいいたいような柳田と、大きな両替商の旦那でありながら人をその真価でみて平らかな付き合いをする万屋源兵衛の格調の高い交友が、大きな舞台に負けずに描き出される。
通常の演出を変えて娘は吉原に行かずに済んだとか番頭と娘を結婚させるというやや無理な噺をカットするのも小満んらしい優しい心配りだ。
小朝が
ついに念願叶っての三人会がスタートします。とその思いを書いているが、俺はその狙いをまっすぐに評価したい。
今日、満員だった観客の全てがそうだったかは疑問だが。
小朝がいつものように笑わせる軽妙な高座を務め他のメンバーがそれを盛り上げる“わかりやすい笑いの場”を期待した人は失望したかもしれない。
とくに小満んと小朝の芸の根っこにそういうつながりを認めたくない、または認められない人にとっては。
私はそんなに焼き餅を焼かないと、自分では思っているので、奥さんと二号さん、そんなに仲いいなら3人で仲良く暮らせばいいのに、と、思ってしまいます。
昔、フランス映画で、(タイトルは忘れました)恋多き女性が妊娠し、身に覚えのある男性を一堂に集めて「あなたたち全員が父親よ。」と、言い放ち、その後みんなで末永く幸せに暮らしました。メデタシ、メデタシ、と、いうハッピーエンド(?)を観た覚えがあります。
自分の場合ですか?分かんないですねぇ。
経験してみないと。
とくに現代では性による違いは少ないのかなあ。
この噺の二人は表面焼かないふりをしながら、じつは真っ黒焦げなんじゃないかな。
プライドで包み隠しているだけ。
私もときどき生きている人のことを死んでいると思い込んだり逆に亡くなった人に年賀状を出すことがあります。麻生太郎並みです。
小沢さん家は逆で、親父さんが昭一か。
で、麻生さんは、、、
あ、太郎だった。
あれ?
鳩山さん家はおじいさんが一郎なのに、昭一がいないぞ!
いつの間にか死んでたって?