土偶展、終わっちゃうぞ 小林静雄「縄文の思考」
2010年 02月 20日
この本で知った縄文人のこといろいろ。
1.世界の土器つくりレースの一番手だった。
2.使い勝手の面から見たら”容器放れ”ともいうべき縄文土器は装飾性とは無関係に縄文人の世界観を反映している。
3.土器を煮炊きに使うことにより、大陸における農業を基盤とする新石器社会の連中に勝るとも劣らない食料事情をもたらした。
4.縄文人はそれまでの遊動生活をやめて定住生活に移行することを決意した。
5.その結果一日のうち精神生活に振り向ける時間が大幅に増した。
6.縄文人は定住空間であるムラの周りに食料と資材補給のためにハラを必要としたが、彼らのハラ開発は生態学的な調和を崩すことなく、あくまで共存共栄の趣旨に沿うようなもおであった。
この点がヨーロッパの農地拡大・自然征服という姿勢とは違っている。
(1万5千年前に始まり、1万年以上を超える縄文の歴史を通じて培われた日本人の自然観は健在なのか)
7.縄文人のイエ・竪穴住居空間は炉と祭壇を備えた聖性空間でもあった。
炉には火を焚いていたがそこで煮炊きはしなかった。
8・炉を囲んで座る習慣が会話・団欒を生み、共同幻想としての物語・神話を形成していった。
9.縄文人はイヌに対して殆ど人間と対等の情愛を注いでいた。骨折して歩行もままならぬイヌを飼育し死ぬと墓穴を掘り埋葬していた(弥生人にはその習慣はない)。
現代人がペットとして可愛がるのとは違って互いに生死を共にする狩猟のパートナーとしての深い絆である。
10.縄文人は自分のハラからは確保できない資源を離れた集団から交易に寄り手に入れていた。
その結果日本列島全域に縄文世界観が張りめぐらされていった。
11・磨製石斧や黒曜石などは特産地において交易を前提に大量に採集され加工されていた。
ヒスイは糸魚川の山中一か所だけに産出されて硬い石に穴をあける技術は画期的なものだった。
12.縄文人の交易は見返りに何かを得るのではなく、
モノを与えて心を掴むこと気っぷの良さを一方的に押し付けるものだった。
13.そして腹の足しにならないヒスイに価値を認めさせ有難く貰うようにするためにはコトバが駆使されたであろう。縄文日本語はヒスイの価値というような観念的な価値を語ることが出来た。
14.三内丸山にあったような巨大な建造物は実用的価値ではなく記念物であった。
15.それらは500年から1500年、50世代を通じて工事が続けられた。
記念物の本領は未完成にこそある。いや、未完成ということすら埒外に置いて、ただひたすら造営を継続する行為が重要だった。未完成のいちいちは、それぞれが完成した未完成なのである。16.縄文人は、山を仰ぎ山に登る。
山の霊力と交感したのだ。
17.狩猟漁労採集を基盤とする世界各地の文化では縄文文化に比肩しうるのはバンクーバーのトーテムポールを立てた人々の文化のみである。
それにしてもオリンピックの選手の地元や会社で一か所に集まって折りたたみ椅子に整然と座って声援を送っている。
リーダーに合わせて拍手なんかしちゃって。
これって日本独特の文化じゃないかなあ。
だとすれば淵源は縄文時代なのか。
白河市の県文化財センター白河館「まほろん」で25日から、県内外の土偶を紹介する展示会「ふくしま里帰り展・ふくしまの土偶」が開かれている。時間は午前9時30分から午後5時まで。休館日は10月11日を除く毎週月曜日と祝日の翌日。11月28日まで。... more
オオカミは大神で神聖なる者、
もう20年以上も、そんなことを考えています。
バンクーバー五輪のシンボルはネイティブたちが道標にしたもの。
滅びた先住民INUKに対する畏敬の象徴ではないかと言う人も、、、
大地から生まれる土と密接に暮らす。というところから、彼らの宇宙観みたいなものを感じます。
エジプトの人は猫をあがめた。っていうんだけど
犬は縄文人にとって狼(大神)なんですね
その違いって何なんだろう、、とふと考えた
猫はいたのかなあ。
縄文人は山に登る時、女性がそばに居ないと寂しいので、土で出来た女性を持ち歩いたのが土偶の始まりだとか。
縄文人が何を考えていたのか、遺跡から色々な事が想像されますね。
同学の人に対する厳しい批判もところどころにありましたよ。
昨日だったかのテレビでは石垣島の遺跡を分析してオーストラリアからやってきた人たちとの連続性があるという講演のことが報じられていました。
日本という概念自体が700年くらいに初めて出来上がったのですから、ハイブリッドであることは間違いないですね。
でも誕生日は明日です。22222、2が五つ並ぶんですよ^^。
二番がいいですよ、何事も^^。
小さい土偶の破片がたくさんありました。
でも犬と山と稲作と女って九州っぽいなあって思いました。
うちの両親は犬と一緒に山にいっちゃあ、木の実とか、野いちごとか
とってきて喜んで食べてました。
食器にも奇妙なこだわりがあって、貧乏なわりには、いろんな焼き物を持ってるの、、
父は若い時は山登りも好きでいつも犬と一緒。
寂しがりやなんで、犬か子供かお母ちゃんがいないとだめなの。
犬は愛玩犬ではなくて番犬兼家族みたいな感じでした。
もしかして、、原始的な家族だったのかな、、、
あの芸術センスもそのまんま。
勉強不足のわたしです・・・
鳥と花の名前はいつまでたっても覚えられないけれど^^。