横浜慕情 中華街から「束芋展」(横浜美術館)へ
2010年 02月 18日
家から横浜は両国より近いのになかなか行かない。
40年近く前に仕事で住んでいたこともある。
横浜スタジアムが平和球場だった頃、その近くで、大晦日には港に停泊している船が一斉に汽笛を鳴らすのが除夜の鐘の代わり、なかなかいいものだった。
あの頃、ランチに飽きもせず食った「ネギそば」の店を探したが、店の名も忘れて適当な店に入って食べた(写真の店ではないです)。
失敗でした。
ほぼ満員なのが嘘みたい。
我が次男は横浜で生まれた。
仕事の帰りに病院に寄ったらもう生まれたという。
妻の部屋に行ったらぐっすり寝ていてお腹の上に布団みたいなのがかけてある。
恐る恐る押してみたらふわっと沈んだので生まれたことを信じた。
アカンボは別室にいるが妻と一緒でなければ会わせないという。
取り違え事故が起きていた頃だ。
寒かったけれど少し町を歩いて懐旧にふけった後に横浜美術館へ。
「束芋 断面の世代」展。
75年生まれの束芋は自らを団塊の世代に対して断面の世代という。
塊の中にあることは否定しないけれど個の尊重を重視し、尊重の表現として無関心を装う。
実際に触れる距離に居ながら情報を集積することで、その感触を想像して満足するような関係(「団断」という映像インスタレーションについてのコメント)。
ブロガーみたいなもんか^^?分かるようで分からないようで、、気分は分かる、、。
束芋(たばいも)とは本名田畑の三姉妹の二女だった彼女が友人から「たばいも」と呼ばれていたのだそうだ。
ちなみに姉は「たばあね」、妹は「いもいも」だったって。
暗い部屋の中で観る者も作品の一部になるような気分。
ねっとりと、ぬらっと変形していく。
指が足が体が頭が髪の毛が、、電話機に自転車に凶器に。
贓物感覚、エロス、やわらかいもの、仄かなユーモア、病めるもの、、。
(吉田修一の「悪人」のイメージ)
かと思えば「BLOW」、個の内側から発散されるものの変化と成長は生命の勢いとまがまがしさを俺の体に吹き付け撒き散らし体を抱きとるかのようだ。
座って部屋の一部になって視続けることもできる。
これは昨日駆け足でこなかったのは正解だった。
もう一度来てみようかと思う。
それまでに俺の胎内(そんな感じなのだ)で窯変しているかもしれない。
ダリ、マグリットなどのシュール・レアリズム、「自画像/肖像画に学ぶアートの歴史」など、、やっぱり又出直そう。
束芋-断面の世界-とても楽しみにしていた展覧会です。 そもそも映像作品というのが好きなジャンルですし、 束芋の持つ、あの粘り気とか湿り気のような、まとわりつくような雰囲気が堪らない。 横浜美術館て、小ぶりながらちょっと造りが洒落ていて、 その…凝った空間が展示物に勝ってしまうようなことが時々あったけれど、 今回のこの束芋展はその辺りはお見事でした。 きっと建物の構造に作品世界が寸断されないように工夫されたんでしょう。 雨の平日の夕方、空いてるところを狙って ほとんど真っ...... more
ブログ朋に教わったのです。
3月13日18・30から日本橋亭で小満んの会があります。「粗忽の釘」「お神酒徳利」「鴬宿梅」、行ってみようかと思ってます。
武田百合子、しばらくご無沙汰です。
今は村田喜代子^^。女流がすきなんですねえ。
横浜中華街、、懐かしーー
saheiziさんもご存じのとおり、実家からは近いのだけど、もう何年も行ってないわー
除夜の鐘の代わりに汽笛を一斉に、、なんて素敵ですねーー
今でもやってるのかしら?
マグリット、ローマに来た時見に行きましたけど、好きです。
なんかね、不思議に心に響くものがあった気がします。
元気だったなあ、あのころは。
束芋、とはもう忘れられない名前です。これからの活躍も期待されます。
中華街で意気込んでいただいた昼食、2回は外れ、1回は当たりでした。
高価なお店だと美味しいのでしょうか。
御二男さんの出生のことが思い出される横浜ですね。
今回マグリットはベルギーまで見にいきました。
日本人好みの作家なので、「光の帝国」が来日した時はもう黒山の人だかりだったんです。
あの時は泣く泣く見るのをあきらめましたが、今回はゆっくりみられましたよ。
高いからおいしいとは限らないのではないかなあ。
カフエの方も行ってみようかな。
鎌倉近代美術館の内藤礼展が最低だったので、横浜の束芋展でぜひ口直しをしたいと思ってます。
あれ、縄文人・佐平次さんも土偶展はまだでしたっけ?
でしたら、ぜひお急ぎください。
mmiizzz さんも。
中華街は、もはや横浜より北池袋です!
乞う、ご期待!
北池袋。期待してますよ。