不安な日本人 内田樹「日本辺境論」
2010年 02月 11日
アメリカ人は「われわれはこういう国だ」という宣言から始める。「『私は何々である』と規定するところからはじめられたというか、はじめなければならなかった」。だから、「アメリカの作家と話していてもみんな言うのは、アメリカっていうのは要するに一つのアイディアなんだ、ということです。」内田樹が柴田元幸の著書(高橋源一郎との共著)からの引用をして、これを聞いたときに“思わず膝を叩いた”という。
それに対して
私たち(日本人は)自分たちがどんな国民なんだかよく知らない。日本人にとって、「われわれはこういう国だ」という名乗りは、そこからすべてが始まる始点ではなく、むしろ知的努力の到達点なのです。だから「日本人論」が書店に溢れている。
「日本とは何なのか、日本人とは何ものなのか」を知ることこそは私たちの「見果てぬ夢」なのです。「日本人とはしかじかのものである」ということについての国民的合意がない。
誰もが、「ほんとうの日本人はどこにいるのか」と「きょろきょろ」訪ね歩いている。ここに欠けているのは「私が日本人である。日本人を知りたければ私を見ろ」とすぱっと言い切る態度である。アメリカ人もフランス人も中国人も、、やることなすことがアメリカ人(フランス人、中国人、、)としての自分自身によってなされているという確信が深く内面化している。
「アメリカ人とは何か」という問いは日常の実践そのもののうちで常に検証されるべきことになっているから、改めて問いとして立てて論じあおうなどとは考えない。
みんな違うにきまっているんだから!
日本人だけがきょろきょろとあたりを見回して「日本人の標準的なありよう」を探して、そういうことに対しての国民的合意がないことに不安になっている。
半分ほど読んだところだ。
分かったようで分からない。
だからどうしろというのか。
そういう“辺境性”が癒しがたい日本人の特性だとするならどうにもならないのではないか。
それとも、、そういう問いを立てて誰かに答えをもらって、いっときの安心に安住するのがいけないとでも言いたいのか。
難しいけれどもっと考えてみよう。
もっと後に答えが出てくるのかもしれないが。
建国記念日でもあるし。
綺麗に飾られた雛人形を眺めている時。
冬の晴れた朝、富士山がくっきりと見えた時。
質素だけどしみじみ美味しいお惣菜をおかずにご飯を食べてる時。
路傍のお地蔵さまが、暖かな編み物を羽織っているのを見た時。
で、大旨、取れて育った所が日本で、そこの知識をもって場所関係なく生きている。
多分、時間があっても答えは出せないので私は考えないだろぉなぁ・・・・・、
日本人とは?日本とは?ということを気にしないでも生きてこれる、それが日本なのかもしれない。
外国から来たものをすなおに“学んで”都合よく自分のものにしてしまう。
そして自分の生きるスタイルをもった人ほど日本人論など気にしないで生きているのです。
真面目で勤勉な国民性だと思うのですが?
中国の思想を受け入れただけか、と。
所詮、私はこうだ!などと言いきれないのが人間なのではないかと、だからね、私的にはそんなことを平気で言い切るアメリカ人のほうがおかしい。
それはすなわち、彼らの人間性の底が浅いということ、そして思い込みが激しいということ。ではないか
と、、
これはこうだと決めつけず、上に行ったりちょっと落ちたり、堅くなったり柔らかくしなったり、そういうのがいいなあと、固まりやすい私は思います。ははは
単純な人は多そうですね、あの大統領だった人とか^^。
でも外国の知性ある方々にとっては日本文化は大変貴重なものです。
そういう方々に日本の伝統や文化をわかりやすく謙虚にお話できれば素晴らしい人間関係が築けると思います。
実は日本人にとって一番学ぶ価値があるのが自国の文化かもしれません。
でも母にいわせると日本の文化伝統を学ぶには努力と鍛錬が必要なので(彼女は生け花の先生です)なまじじゃ続かない、のが現状なんですって。。。
翻って現在の日本人は、麻生が「GDP第二位の国として協力しあいたい」とオバマに言ったそうで、情けない有様です。