命の連鎖を想う

村田喜代子の小説や仏教のことについて語る本を読んでいると“命”について考える。
祖母の歌。
来年は曾孫が生まれるかも知れむ思へば生きて居たいとも思ふ
祖母は間にあったけれど母は曾孫を見ることが出来なかった。
妻は子どもの結婚を見ることが出来なかった。
三人とも行い正しく一生懸命に子育てをした一生だった。
ままならないなあ。
夜もすがら電気毛布のぬくとさに母と添い寝の夢を見しかな
どんなに年を取っても母親に甘える夢を見る。
そういう夢を見ているときの俺はどんな顔をしているのだろう。
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山なみをくぎりて碧きこの朝の晴れたる空を美しと見る
今俺が住んでいるところでは山なみが見えない。
子どもの頃はあって当たり前だった北信濃の雪をかぶった山々のスカイライン、無性に見たくなる。
かつて長野県は教育県と言われた。
その訳は貧乏人が山のあなたの空遠く幸い住むと思ってあの山を越えて行こうと思うからだ。
そのためには勉強をしなくてはと思うからだ。
と、誰かに聞いたことがある。
ドイツ語のSEHNSUCHT(あこがれ)ってそういうことだと。
ドイツも山々に囲まれているらしい。
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母の句。
降りながら雪となりゆく夕景色
富山で育ち長野で俺たちを育てた母、東京で見る雪の夕景色に何を感じたのだろう。
苦労の連続の末に俺と暮らした東京で。
このときの母の心が温かくあったことを今さら願う。
手遅れもいいところ!
瓦斯の火に二月ゆつくり逃げてゆく
逃げる二月を少しでも賞味しようではないか。
Commented by 74mimii at 2010-02-10 05:53
そういう夢を見ているときの俺はどんな顔をしているのだろう>
はあちゃんが眠って居る時のようにスイートなお顔です。
Commented by c-khan7 at 2010-02-10 08:36
母親はありがたいものです。自分が歳を重ねるごとに、その想いがつのります。料理の味付けは母の味がお手本です。
Commented by saheizi-inokori at 2010-02-10 09:24
74mimii さん、子どもたちが並んで寝ているのを見たらほんとにみんなそっくりなのに驚きました。
寝顔って飾れないから素の姿が現れますね。
Commented by saheizi-inokori at 2010-02-10 09:25
c-khan7 さん、ちょっとしたしぐさにも母親の何かが表れますね。
父親は損な役割?
Commented by tona at 2010-02-11 08:33 x
行く、逃げる、去るの3か月ですね。私にはゆったりしているのですが。
1枚目の写真、お母様もご覧になった山ですか。どこの山でしょうか。春未だ早い美しい山姿ですね。
Commented by saheizi-inokori at 2010-02-11 09:05
tona さん、これは去年行った小淵沢の景色です。
甲斐駒かなあ。何べんも観ているのに自信がないです。
Commented by せん at 2010-02-11 22:59 x
お母様は、可愛い息子や孫と暮らせてお幸せだったと思います。

今日、博多から6時間かけて母が来ました。
遺書に居られる時を愛しむ様に、べったりとくっついて過ごします。
編みかけの私のセーターを持ってきて、時々私の体に当ててみながら、炬燵に並んで座ってせっせと編んでいます。
母の得意の里芋と干し椎茸、こんにゃくの煮しめの炊けるいい匂いが台所から漂っています。
「明日はあれが食べたい」と、わがままを言いながら、おだやかな時間が過ぎていきます。
会う度に小さくなっていく母を見ていると、これが最後かもしれない・・・と、小さく覚悟をします。
Commented by saheizi-inokori at 2010-02-11 23:33
せん さん、いいですね、べったりくっついて甘えてあげてください。
私はそうせずに何でも自分でやれると頑張ってしまった。母は甘えて欲しかったのだと思います。
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by saheizi-inokori | 2010-02-09 10:30 | わが母と祖母の遺したまいしうた | Trackback | Comments(8)

ホン、よしなしごと、食べ物、散歩・・


by saheizi-inokori