月、日、星、ホイホイ、、サンコウチョウが啼く 村田喜代子「故郷のわが家」
2010年 02月 08日
久住高原の生家に戻って家の整理をする。
江戸時代の伊万里もある古い家を片付けて売り払う。
連れはミニチュアダックスフンドのフジ子、言葉が分かるのはサンチと一緒。
一生懸命片づけをしていると早い時間に眠くなる。
8時ころに寝たら2時ころに目が覚める。
蒲団の上で深夜放送を聞きながら台所にある冷や酒をちびりちびり。
そしてまた寝。
都会の生活とは異なる結界に過ごす日々、笑子さんは様々に思いをめぐらす。
夢と回想とうつつのアワイが定かではないような思い。
死んだ者や今までに出会った人たちの思い出。
交通機関の発達で距離が縮まってしまったから昔のように望郷の念なんてなくなった。
だから時空の壁に隔てられた場所に寄せるのが現代の望郷だ。
養鶏場の恵子さんとドイツ人の夫をもつミユキさんとの淡いけれど心が通い合った交友。
自然の恵みで作る質素だけど豊潤な食事(年を取ると食事がだんだん簡素になって水のようになっていきます)。
毎日の散歩で眺める高原の自然、雄大な雲海。
笑子さんの結界はものを考えるのには最適かもしれない。
日常の事柄に潜む宇宙の単純な真実を笑子さんは見抜いている。
それはいわば仏教的な対称性の世界への回帰につながる思念ではないだろうか。
「蕨野行」でも語られた輪廻の思想。
夢の中で笑子さんは犬になって前に飼っていた相棒・ラブラドルの万吉を乗せた車を挽く。
数千頭の犬を実験台にしたクロード・ベルナールやヤギの胎児を使った人工子宮に対する明確な嫌悪・拒絶。
臨死のベルナールに神の救済を保障した神父に対する否定。
一生を電気技師として仕事一筋に生きた同窓生は最後に自分のノウハウで東京大停電をもたらしたいと半ば真面目に語る。
銀行で札束を勘定しつづけた友だちも最後には銀行内の現金泥棒をしたいという。
自己実現のために。
二人とも一生をかけて習得した職能が自分の生には意味をもちえなかったことを実感しているのだ。
近代科学・技術・文明に対する懐疑・否定だ。
人間が動物たちを支配して帝国を作ろうとするキリスト教的世界観に対する否定だと思う。
ドイツ人は散歩が好きだ。
それは森の治癒力を知っているからではないか。
村の青年たちがガダルカナルに遺骨収集に行く話、風力発電の話、雲海に沈んだ世界に海底に沈む地球のイメージを重ねる、、命を見つめ命をいとおしむ。
神の国を覗いた者と、その王国を築いた神とでは、業績はまるで違います。現代の科学者は最初のほうの難しい仕事は神に依頼して、人体部品のところで俄然、開店営業を始めたってことではないでしょうか。ちょっと先走って七面倒臭いことを書いた。
村田の小説だ。
そんな理屈を忘れて笑子さんの世界に遊んだらいい。
9つの連作短編が楽しませてくれることは請け合います。
新潮社
でも・・・美味しいかしら!?
村田さんは、いろいろな不思議な魅力を持った老婆を多く書いていますね。なんとも不思議な世界へ引き込まれます。
北九州市近辺がでてくるので、住んでいた頃を思い出し、よけい引き込まれました。
次はこの本です。ご紹介ありがとうございます。
又読む本が増えました^^。
その昔、「信濃川分水路」関係の取材でJRの某水力発電所(新潟県)のダム工事現場に現れ、現場監督との会話の中で、「岩着」(がんちゃく)という専門用語にえらく感心されたようです。
岩盤まで表土を剥いで直にコンクリートを打って緊結することをいうのですが、「土着」とは確かに違うと、しきりに感心するヘルメット姿の笑顔が素敵な「おばさま」の姿だったと聞きます。
ちなみに「養生」って言葉は、ホントは、専門用語でコンクリートを打った後、菰をかぶせて水を撒き、コンクリートがしかと「水和反応」して、しっかり固まるようにする段取りことをいうのです・・・と言ったら、もっともっと感心されたとか・・・?。
満濃池で会えるかな?
会いたいなあ。ちょっと怖いけれど。
うわ、おもしろそう、
読みたい本がまた増えました。
うん....私もこういう看板はねえ、、ちょっと引きます。
おいしいものを出してくれると思えないんだもん。
汚い赤ちょうちんが、、やっぱり魅力的ですよねー