大正文壇スキャンダルの実相 川西政明「新・日本文壇史 第一巻『漱石の死』」
2010年 02月 07日
危篤の席に呼ばれていない松岡譲が新聞記者である菊池寛をダシにして夏目邸に行く心理など、まるで松岡が独白しているような描写だ。
伊藤整の名著「日本文壇史」が明治までの作家たちを描いたのを継いで「漱石の死」から始まる大正文壇を克明に“実況中継”する。
著者の38年間の評論生活を通して渉猟した日記・作品・評論、、豊富な資料と透徹した洞察に裏付けられた実況中継、面白くないはずがない。
漱石の娘をめぐる久米正雄と松岡の恋の争い、芥川龍之介の”月光の女””愁人”との恋。
白秋は有夫の俊子を愛して姦通罪で収監される。
きらいな人を愛して一生を送ることは貞操の鏡で、私のように、きらいな人をきらって、好きな人と愛し合うことは、国の掟がゆるさないのは理不尽だと俊子は悪びれないが当時では大変な勇気だ。
文壇スキャンダルといえば谷崎潤一郎が妻・千代を親友の佐藤春夫に譲った事件だ。
そのユクタテを詳述してあるが、これだけでもひとつの小説を読むかのようだ。
谷崎は芸術にとどまらず実生活においても性的人間でなければ満足できない。
平凡で面白みのない千代では不満、14歳の義妹・せいを強姦して「痴人の愛」のナオミに育て上げようとする。
肉体だけではなく精神的にもマゾヒズムを求める(しかし、せいは谷崎を棄てて奔放に生きる)
あはれ春夫の絶唱「秋刀魚の歌」は千代をめぐる谷崎との確執の渦中で生まれた。
秋風よ
情(こころ)あらば伝へてよ
ー男ありて
今日の夕餉に ひとり
さんまを食らひて
思ひにふける と。
千代を春夫が好きになって谷崎から譲られたという単純な話ではなく紆余曲折、春夫の“性=男女のあり方”に対する目覚めなども経て、二人の文豪と千代(他の男とも結婚話があった)がとことん話し合ってたどりついた結論が細君譲渡だ。
二人の芸術家が自己を飾ることなく真率な話し合い・対立・和解をする。
男女のスキャンダルだけではなくて谷崎が中国の作家たちと交流するさまや春夫が新宮中学時代に講演会に出席して時間つなぎに話をさせられたことが大逆事件にまでつながっていることなども、俺にとっては初めて知った話だ。
相馬泰三という俺は読んだこともない作家が一時は流行作家になりかけるが文学の壁(それは彼の人間の壁でもある)に阻まれて文壇から消えていく話が最終第7章にある。
貧乏な(谷崎、志賀、春夫などと違って)相馬が自らの貧乏を作品に扱う、その扱い方を友人・広津和郎が容赦なく面前で批判する。
「貧乏」の幽霊から、君が君自身を解放することを希望する。広津は
僕らはたがいに友情の涙もろい表現によってうぬぼれを育て合いたくない。顔を赤らめ合い咬み合ってまでも、たがいの欠点を責めるにいささかの妥協もしないかわりに、その根本には信頼と尊敬をもつことは決して忘れない、そんな厳格な愛情により育て合いたい。と考え二人の間に信頼と尊敬が保たれているのを信じて疑わなかった。
(まいばん、星がよく見える。
さっき房総の海岸にいる友だちから電話、富士山が今までにないほど美しく見えるって)
文壇というものが機能していた“良き時代”だったと思う。
この後全10巻が出版される予定、楽しみが一つ増えた。
岩波書店
今では結婚相手以外との恋愛経験のない人の方が「そんなんで一生終えて後悔しないの?」と、逆に心配されたりして、本当、時代は変わりましたね。
知らないことが多くて間に合わない!
姦通罪のあった時代でも男は妻妾同居などやりたい放題をしても許されたのですね。白秋を愛した俊子と章子、谷崎の妻・千代などはその桎梏から自由になろうとしたともいえます。
ちょっと高い本でもあります^^。