異界はわが心にある 映画「Dr,パルナサスの鏡」と落語「松山鏡」と坂道
2010年 02月 06日
映画館は中老年がうようよ、一体何で?と思ったら「おとうと」だ。
素直に観たらきっといいと思うだろうに、へそ曲がりはヒース・レジャーに。
1000歳、不死のDr,パルナサスの鏡を潜り抜けるとその人の心・欲望が形に表れた世界が広がっている。
娘が16歳になったら悪魔に差し出すという契約と引き換えに手に入れた不死の命、死ねない苦しみと娘を失う悲しみ。
鏡の向こうのパラレルワールドの映像を美しいと思うか?
俺はちょっと安っぽく感じてしまう。
そうするとこの映画の見所はかなり減じてしまうな。
それでも楽しい映画だった。
「松山鏡」という落語がある。
鏡のことを知らない村人が18年前に死んだ父親の墓参りを欠かしたことがないのを地頭が褒めて何か欲しいものをやろうという。
金も田畑もいらない、夢でもいいから父親に一目なりとも会いたい。
知恵の回る地頭は鏡をやる。
孝行息子が覗いてみると、なんと懐かしい親爺殿ではないか。
それからは毎日葛篭に隠した鏡をみては挨拶して生きがいにする。
それを不審に思った嫁御、亭主の留守に鏡を覗いてみると悔しい~!こんな女と毎日遊んでいただか泣いて怒っても亭主には身に覚えがない。
通りかかった尼さんが、では私が見届けましょうと覗いてみたらばお二人とも喧嘩はやめれ、中の女は済まないと頭を丸めてござる。
上↑二枚は国立近代美術館、岸田劉生《道路と土手と塀(切通之写生)》と誰かさん。
一番下は俺の机の脇に。
描いたのは春日清彦さん、子どもの頃近所にいらして家族ぐるみで仲良くしていた。
信州大学の教授をしていたが早世された。
ときどき近所のスケッチに連れて行ってもらって指導もしてくださった。
貧乏だけれど贅沢な日々。
今はそれも異界の出来事だったかと思われる。
死の前年に描かれたという「家族」という絵が好きです。本物観たいなあと思いました。
贅沢な思い出ですこと・・・。
私も、10年位前に車椅子の絵描きの先生によくスケッチに連れて行ってもらいました。
先生中学の美術教師だった大正11年生まれの先生は、白髪のロン毛にいつもオシャレなヘアバンドで、外国製のなんてったっけ?煙草を1日50本も吸う、ダンディーでしかし内には常に篤い闘志を秘めたステキな男性でした。
特攻隊の時の事故で足を悪くされ車椅子なのに、車の運転はすごく達者な方で、よくスケッチに連れて行っていただきました。
田舎の小川の畔や山の畑などで、先生とキャンバスを並べてご指導頂いた日々を、佐平治さんのお話を聞いて懐かしく思い出しました。
障害者ボランティアに寝食を惜しまず尽くされ、いつも己のイデオロギーを熱く語られて、決して妥協はしない男らしい方でした。
今思うと最後の武士のような先生が亡くなって、あれ以来あんなに男らしい男に会ったことがないな~。
今生きているのは一人だけ、、。
亡き親を鏡の中に観る男は本当に父を見ていたのかもしれない?
それにしても、ほっこり出来る落ちでひと案心!!!
早く母を失った娘が、その形見の鏡に映る自分の姿を母だと思って懐かしんでいると、やがて母の霊が現れる。
まだ能は観たことがないのですが。
まだ見ていない映画ですが、予定に入れてあるのです。
昨夜の志の輔落語、彼が語った2本のうち後の話、びしっと袴姿で登場、
古典だ! 素晴らしかった。「くず屋がクズと一緒に仏像を200文で買って・・・」と言えばお分かりだと思います。面白かった。多分、800人以上の日本人がその時間、グット集中した、多分タイ人には理解しがたい時間と場所だったに違いなかったと思います。ほんと、バンコクde落語もひと味違って面白い!
落語もともかくこういう頑固・正直者に対するタイの人の評価はどうなんでしょうね。