懐かしい60年代 形を視るデザイナー「田中一光ポスター展」

朝日の記事に
早川良雄の「カロン洋裁」「秀彩会」のポスターを駅で盗んだほど心酔していた
という田中一光の展覧会、久しぶりの銀座へ。
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文字を楽しむ。
大小、配置、色、、。

多くの作品に既視感がある。
そのものをみていなくても様々な作品の源流であり見本であったということか。

62年の民藝「火山灰地」、握りこぶしと太い腕、俺も観た芝居だ。
滝沢修、清水将夫、宇野重吉、、彼らが俺の前で芝居をしてくれたんだ。
60年代の面白さについて田中は
馬車馬のように走るもろもろの日本の近代化に反旗を翻す運動
が広がったと書いている。

67年の神戸労音のポスター、緑の地の左上に3人の男?が白く抜かれてピンクの影が長く伸びる。
ハッとする。

73年の「三文オペラ」など西武グループのアート・ディレクターとしての仕事をみていくと、このころセゾンには文化発信の力があったと思う。
岩波、朝日、サントリー、ソニー、暮らしの手帖、、「旅路」(67年)の国鉄一家にだってそういう気配はあったように思う。
”馬車馬のように走る日本”の宣伝部長役を果たしていた。
経済、社会に文化の装いが必須だと信じていたのかもしれない。

さて田中の面白がった60年代の精神、セゾンのような企業による文化創造力ってのが結局幻だったのか。
今、わくわくする企業・宣伝があるだろうか。
トヨタ、キャノン、、心配でドキドキする。
宣伝は思いつき、ダジャレ、エコと称する情緒の安売り、スターへの依存。
アヒルと猫に任せられるか。
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(「ディスカバー・ジャパン」とくらぶべくもない)

夜テレビで熊谷守一のことをやっていたので終わりまで観てしまった。
自宅の庭でひたすら視る、視る、視る。
雨を視る、蟻を視る、木の葉を視る。
そのありかたは熊田千佳慕に通じる。
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雨を視続けて描いた絵は(写真右)一見しゃれたデザインの如くだ。
しかしハイスピードで写真(左)を撮ると熊谷が実相を捉えていたことがよくわかる。
早川や田中、優れたデザイナーもきっとひたすら視ていたのだろうと思った。
Commented by 夢八 at 2010-01-31 14:46
熊谷守一の目は、脳に映写されて、
現像と解析が行われていたんじゃないでしょうか。

田中一光さんは僕なんかからは、カリスマのごとくで
した。
Commented by saheizi-inokori at 2010-01-31 15:05
夢八さん、熊谷は「人間なんて哀しいものだから描かずにはおれない」というようなことを云ってました。
見人なのですね。
田中さんは人間的にも素晴らしい人だったと聴きました。
Commented by tona at 2010-01-31 16:38
>忙しい忙しい!お辞めになる前はこれほどとは思わなかったでしょうね。結構なことです。暇になったらボーとしてしまいますよ。
熊谷さんを観ました。好好爺。
友人の父親(画家)の仲間だったそうで、とても優しい方だったそうです。本当に見方が違っていたのですね。次回はそのことを知って鑑賞したいですね。
田中一光氏のポスター、この1枚を見ても凄いです。
いろいろなつながりを展開していただいて佐平次さんの奥の深さに感嘆しています。
Commented by saheizi-inokori at 2010-01-31 16:57
tona さん、そうですね、つながりですね。
この間の若い演劇人たちもつながっている!
Commented by gakis-room at 2010-01-31 18:46
思想がなくなったのか,それとも思想が成立しがたいのか,あるいはその両方なのか。
Commented by sweetmitsuki at 2010-01-31 19:18
まるでラスコーの洞窟で発見された旧石器時代人がギャロップで走る野牛の姿を正確に捉えていたのに匹敵する眼力ですね。
機械がなかった頃の人間は本当に凄いです。
Commented by saheizi-inokori at 2010-01-31 22:07
gakis-room さん、その両方、かもしれないですね。
Commented by saheizi-inokori at 2010-01-31 22:09
sweetmitsuki さん、今伝わっている土着の人形とか布模様などにその気配を感じることがありますね。
Commented by fukuyoka at 2010-02-01 00:16
あひるとね猫に任せられるか、saheiziさんほんと面白い!ほんとにそうです。この頃の広告ほんと面白くない。今日も有楽町西武がなくなるニュースが出ていましたね。田中さんとはデザインの分野が違ってもデザインの夜明けの60年代からリアルタイムに生きて来ましたのでいい時代を知っている幸せを感じます。食べること、料理のこと、観劇のこと、仕事のこと、主人とともにいい友達でした。
Commented by saheizi-inokori at 2010-02-01 09:16
fukuyoka さん、いい展覧会を教えていただきました。
今週はもう一度早川さんを若い美術家を引率していきます^^。
タダになるし^^。
fukuyoka さんの、“いい時代”の思い出を書きませんか、マジに。とてもいい本が出来ると思います。
ご主人も喜ばれると信じます。
Commented by HOOP at 2010-02-01 12:51
小学校の同級生に同姓同名がいたので、
中学か高校の時分にポスター作者として有名なことを知り、びっくりしました。
て、もちろん別人だったわけですが、、、
Commented by c-khan7 at 2010-02-01 13:56
熊谷守一さん。小さき物たちへの愛を感じますね。。
白猫が寝そべってたり、アリが列をつくっていたり。。
Commented by saheizi-inokori at 2010-02-01 14:57
HOOP さん、田中英光という作家もいましたね。
Commented by saheizi-inokori at 2010-02-01 14:58
c-khan7 さん、蟻はどの足から歩き始めるかを見届けたのです。愛がなければできないかもしれない。
Commented by せん at 2010-02-01 15:53
熊谷守一の「陽の死んだ日」という作品が、倉敷の大原美術館にあります。
初めて観たのは、もう20年も前の絵を描きだして間のない頃でした。
幼くして亡くなった息子の亡骸を荒々しいタッチで描いたもので、観る人の心を揺さぶる作品です。
幼子を抱え生活が貧窮し、妻に絵を描いてくれるように懇願されても頑として絵筆を持とうとしなかった熊谷が、ろくに医者にかけられなくて急逝したわずか3歳にも満たない息子の亡骸を、急き立てられるように夢中で描いたのだと云われています。
描かずにはいられなかったのだと・・・。
ちょうど、子供たちが同じくらいの年頃だった私は、彼の心中いかばかりかと察すると、この絵の前で動けなくなったことを覚えています。
画家の使命のような衝動に突き動かされて描いたのでしょうか?
大原美術館には、ほかにも若くして亡くなった関根正三や、古賀春江など、私をその絵のから動けなくしてしまう作品がいくつもあります。
ときどき、創作に行き詰ったとき、車を飛ばして逢いに行きます。
Commented by saheizi-inokori at 2010-02-01 16:32
せんさん、その絵もテレビで見せてくれました。
娘さんを亡くして骨箱を首から下げて家族と歩いて帰る絵も。
大原美術館には学生時代に行きましたが何にも分からないアホナ時代でした。
Commented by せん at 2010-02-01 18:06
私など、今でも何にも分からないです(-_-;)
ただ、好きか嫌いかだけ・・・。
自分の好きな絵や仏像達に時々逢いに行く時は、まるで恋しい人に逢いに行くみたいに胸躍らせてわくわくしてしまいます。
やっと念願叶って逢えたあかつきには、彼等の前でうっとりと立ち尽くしていつまでも見入っています。
傍から見てる人は、きっと気持ち悪いでしょうね。
Commented by saheizi-inokori at 2010-02-01 19:48
せん さん、たまにそういう人を見かけますよ。
むしろ羨ましいですよ。
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by saheizi-inokori | 2010-01-31 10:46 | こんなところがあったよ | Trackback | Comments(18)

ホン、よしなしごと、食べ物、散歩・・


by saheizi-inokori