若者の支持する落語を目指して? 「2010 志の輔らくごin PARCO」
2010年 01月 27日
こいつは春から縁起がいいや。
この人の噺は現代=今の日常社会の一シーンを切り取って、その瞬間というか情景の中にあるおかしさをうまく表現する。
スニーカーの紐をしっかり結んで、さあ出かけるぞ、と勇んだ瞬間に鍵を部屋の中に忘れたことに気がついた。
なぜか靴を脱ぎたくないんだね。
で?
這っていく。
新聞紙を敷いていく。
ホテルで泊った時に持って帰ったシャンプーキャップを靴にかぶせる(そんなのを玄関に置いとくなんて相当しょっちゅう忘れる人だね)。
接地面を少なくするためにエッジを立てて歩いて挙句に足首を捻挫した男を題材に笑わせる。
頭では靴を脱いだ方がいいと分かっていてもバカなことを始めて、そうするとますます視野が狭まってとんでもない結果になる。俺なんかしょっちゅうだ。
ああ、こんなことしなきゃよかった!と後悔する。
もう少し社会性のある噺では「タヌキの里プロジエクト」で村おこしを推進中に補助金がカットされて建造中のタヌキ型の展望台が下半身だけで終わりそうになった村の村長たちの慌てぶり。
テレビで見る若手お笑い芸人たちの芸にはこういうのが多いようだ。
自分たちの行動の可笑しさや矛盾を突きつけられて「あるある!そういうのって」と笑う。
まるで猿を見て笑うように。
俺には彼らの意図は分からんでもないが面白さはあまり感じない。
でも志の輔の噺だと笑える。
志の輔の芸は俺のようなジジイと若い人の笑いの共通点をつなぐのかもしれない。
立川流の噺家の特徴、喬太郎などにもそれを感じる。

新作二つの後「中村仲蔵」をやった(これは以前DVDで見たことに今日になって気がついた)。
ドラマチックに時間もかけて丁寧に(ときに浪花節を感じさせる)。
血筋がすべての歌舞伎世界で一番下から名題に這いあがった伝説の名優・仲蔵が一世一代の工夫で忠臣蔵の端役に脚光を浴びさせる。
俺の弱い、苦労→成功噺、思わず落とす一滴だ。
でも前に聴いた正朝の中村仲蔵の方が俺には好みだ(ああ、正朝!バカなことして、早く戻ってこいよ)。
当然今日の観衆(あえて聴衆とはいわない)は圧倒的に志の輔の方がいいだろう。
たいていの寄席や落語家独演会には見かけないような華やかな若さを感じさせる客たち。
志の輔も
演劇をやる空間でどんなことが出来るか。皆さんはここであったことを外に行って云わないでください(笑い)。“志の輔らくご in PARCO”たるゆえんだ。
渋谷パルコ

寄席で圓生や志ん生を聴いたことが誇りです^^。