気高く清く 静かに咲いていた、、かったけれど
2009年 10月 21日
童謡とか文部省唱歌をやっている。
こういう時間を持てるだけでも隠居になれてどんなに良かったかと思う。
「野菊」を聴くと小学校の庭を思い出す。
秋の運動会の“遊戯”の曲目だったのは何年生のときだったろう?
「薄紫よ~」で、気取って中空を見上げてポーズをとる。
学校の屋根の向こうに白い雲と青空、そしてやはり”遠い山から吹いてくる小寒い風”が頬をなでた。
こういう風が吹いてくると家に帰った時にだれもいないことがさびしかった。
冬は朝こたつの灰の中に埋めていった炭が消えていないとホッとして、ふ~ふ~、灰神楽になりながら炭ツギをした。
今でも、夕方外にいてこういう風が吹くと、あの、家族の明かり・ぬくもりが恋しい感覚がよみがえる。
太宰が怖がった“家庭の団欒”への郷愁だ。
今週は故郷で小学校の同級会がある。
あの遊戯は何年生のときだったか皆に訊いてみよう。
というわけで、まずは祖母から。
旅二十日十八通のたより来ぬ有難きかな娘のこころばえ
筆まめな祖母でありその子、叔母だった。
俺も小学校の頃から週に一度は葉書を書いた、祖父に祖母に、大学に行ってからは母に。
今の子は驚かないね、メールなら毎日なんどもだから。
野ほうづにあまき親あり此頃のぢぢばば孫に嫌はるるなり
俺は大好きだったよ、おばあちゃん!
母より”あまかった”じゃん。
恋遥か杖もてよけるゐのこづち
鳩吹くや振返らざる亡夫の影
作詞:石森延男
作曲:下総皖一
制作:滝野細道
(一)
遠い山から 吹いて来る
小寒い風に ゆれながら
けだかくきよく 匂う花
きれいな野菊 うすむらさきよ
(二)
秋の日ざしを あびてとぶ
とんぼをかろく 休ませて
しずかに咲いた 野辺の花
やさしい野菊 うすむらさきよ
(三)
霜が降りても まけないで
野原や山に むれて咲き
秋のなごりを おしむ花
あかるい野菊 うすむらさきよ
小学校の同窓会。担任の先生はお元気でしょうか?
美味しい、お酒をたんと、飲んできてくださいね。
自分のおばあちゃんだけでなく、他人のおばあちゃん達にも、、
今でも年上の女性には何だか好かれます。
だからわたしも、恩返しで年下の女性はなるべく可愛がることにしてるの!
特にけなげで綺麗に生きてる女性、うすむらさきの野菊みたいな、、
可愛くってつい贔屓しちゃうのよね。
saheiさんもおばあちゃんに贔屓されてたのね、きっと。
なんか解るなぁ〜母が仕事をしていたので、鍵っ子でした。
この季節(暗くなるのが早くなるから)の、特に夕方に寂しさを感じます。
狭くなるけど入れようかと、、。
さっきまで遊んでいた子が「ご飯だよ~」と呼ばれて帰って行っちゃうと弟と二人、暗い寒い家に戻る。
ラジオしかない家では母を待つのはさびしかったなあ。
わかるわ―この人恋しい感じ
なんでか寒くなると、よけい感じる気がする
寒い中、家に帰ると玄関を開けたとたんに母の炊いたご飯の匂いがぷ~~んと、、
待ってくれている人のいる家は、それだけで温かい気がします。
イタリアで独りで住み始めた時、お昼寝をして目覚めた時の静けさが何とも言えず嫌で、テレビをつけっぱなしにして寝た記憶があります。
私も小さい頃カギっ子でした。笑
「いってらっしゃい」も。
ウルウルっときちゃうわ、、笑
うちでも以前のうちでは炬燵を二つ
(一つはネコ用)使っていました。
ここは狭いので置いていませんけど
あったらいいなぁ~と寒くなると思います。
家庭の温かい雰囲気がありますね、炬燵には。
以前書いたのですが、私も小学校の秋の運動会の思い出につながります。上級生の遊戯にレコードがないので、私と数人がマイクの前で歌って、上級生が踊ったのです。
あれがなかったら野菊がこんなに毎年よぎらなかった。
運動会の共通した思い出があるので嬉しくなりました。
校庭を吹き抜ける秋の風にも負けずtonaさんの声が響いたのでしょうね。
その昔お稽古事で通っていましたよ。週に2回。
駅から某Sスクールまでの間のかき氷屋さんはまだあるかな。
青春時代でしたねー。
そして、おばあちゃんの思い出ってどうしてこんなに
あったかいんでしょうか。
私もおばあちゃんに可愛がられて育った一人です。
母以上に永遠の人です。