78歳野村万作が狐になった 狂言・「釣狐」(「万作を観る会」)
2009年 10月 20日
どこか狂おしい狐。
直面、角帽子、萌黄色の紋付、辛子色の袴、黄がかった手袋と足袋。
もう演じないつもりでおりました『釣狐』を、袴狂言という演式で、前シテだけ試みることに致しました。面・装束なし、後シテなしの異例ではありますが、素の姿を通じて、この曲の特異性と、私が目指してきた狐の芸を感じ取って頂ければと思い立ちました。「御挨拶」に万作は書いている。
「釣狐」の動きの稽古の初日に、特殊な格好をして動くものですから、橋掛りをちょっと歩いただけで足が張ってしまって動けなくなりました。いや、すごいものだなとびっくりしましたね。ああいうものは毎日のように稽古しないと体がついていきません。と「狂言三人三様 野村万作の巻」(2003年刊)で語っている。
万作25歳のときが初演、父・6世万蔵に“言葉は言葉、動きは動きで、ずいぶんと日をかけて“教わったという。
その万蔵は、その動きについて
構えと運びからして、ふつうの狂言とはまったく違ってきます。それまでに蓄えた技術を壊すような、まったく逆の状態を作るのです。具体的には、両肘はぴったりとつけろ、身を縮めろ、足の爪先もしっかり付けて運べと言われます。杖は、鳩尾のところにつけろと言われ、何しろ相当に無理な姿勢です。(「狂言 伝承の技と心」)と語っている。
萬斎は「釣狐」をやっているときに幻覚症状みたいなものを起こすともいう。
それほどの難しい大曲であるから万作は93年には62歳で”最終公演”を行った。
16年ぶりに袴狂言という形で演じた。
猫の様子を見るたびに、もう一度やりたいと思うんです。顔を振ったりふっと見たりするするときの動物的な動きを見るたびに、これは狐の動きだなとしょっちゅう思っています。という。
古狐が僧に化けて猟師(萬斎)に狐を獲らないように掛け合いをする前場。
人間ではないことを見破られないかとびくびくする。
抑えていてもつい狐のような甲高い声がでてしまう(落語にもあるね)。
狐の仕草も。
猟師の家を辞しての帰途、油で揚げたネズミが仕掛けてある罠を見つけ、罠であることを知りつつもその匂いに惹きつけられて手を出したくなる。
何度も行きかけては「仲間を滅ぼした憎い奴、敵討にしてくれる」とか「一口に食ってしまおう」などと食欲と危機回避の間の葛藤が、まるで俺の弱さを見せつけるようで、それで俺も獣なんだと思わされるようで、凄かった。
クシ、クシ、クシュクシュ、杖の先の匂いを狂おしく嗅ぐ姿と声が今も残っている。
前シテだけといっても1時間近い長丁場だ。
その前に素囃子「安宅」を演じた、大鼓・亀井忠雄、小鼓・幸正昭、笛・一噌仙幸がそのまま残って低く次第を囃すのもよかった。
加藤周一は「狂言三人三様、、」の冒頭に「狐と義経と野村万作」という文章を書き、
俳優と同時代に生きていなければその俳優を通じてのみ知ることのできる「演劇的なるもの」を知ることはできない。私は万作さんと同時代に生きた幸運を感謝している。彼は一つの芸術的表現の深さ、そこに汲みつくすことのできない歓びを訓(おし)えてくれた。と結んでいる。
休憩を挟んで狂言「止動方角」
初めて見たがとても面白い。
馬の役・野村遼太がずっと馬の着ぐるみで四つん這い、しかも手足を動かし続け。
おじいちゃん(万作)の狐になるまでの修行のようで楽しかった。
太郎冠者・野村萬斎 主・石田幸雄 伯父・野村万之助
国立能楽堂
ちょっと前まで能狂言なんて縁なき衆生でした。
やはりお兄ちゃんがいるとモノマネがすごいです。
もっとも「もっと」「お代り」「食べる」「おいしい」、、食べる関係が多いなあ。
聞く方はほとんどわかるみたいです。
でも本物みたいにもみえてすごいです。
私の知ってるおばあちゃんは娘の頃きつねに化かされたんだよ。
つきあってた彼氏のお友達も小学生の頃化かされたの。
二人ともすごい田舎の人なんだけど、そういうのよくあったらしいです。
むかしそのお話を聞いてびっくりしました。本当なんだなって!
もう万作さんのは見られませんね。
萬斎のを観ることにしましょう。とはいえ簡単には観れません。
なんでも精神病にしてしまうより、狐や狸のせいにして笑っている方が健やかですね。
楽しいですねぇ~
電話してくるのですがなにをしゃべってるのかわからない。