ちょいともの足らない権太楼 軽味が似合う正蔵 第495回落語研究会(国立劇場)
2009年 09月 26日
前回の落語研究会が先月の27日、やれやれもう一月が経ってしまった。
なんてったって民主党、こいつの動きに目を奪われているまに、といっても政権についてまだ10日なんだなあ。
あんな”坊やたち”に何が出来るか、と冷ややかに見ていたのだが政権交代後の閣僚記者会見を観て興奮してしまい、その興奮はまだ続いている。
革命ともいえる仕組みの大転換は口にされただけかもしれないがワクワクさせる。
それだけ今までの政治・日本に鬱屈していた。
腹の底に怒りがどす黒くたまっていたのだ。
(代沢「森巌寺」、閻魔さまが見ておるぞ、政治家・官僚諸君)
このひと月に聴いた落語は他に志ん輔三夜の楽だけかもしれない。
この記事を書いた同じ日に政権交代の記者会見があって俺は興奮して、それで寄席に行かなくなった、、のではない。
でも、いい落語を少し聴くというのもアリだな。
や、「少し」とはいえないか。
(神保町・「さぼうる」、ビーフカレー650円、山もりだ)
古今亭朝太「あくび指南」
「四季のあくび」のほかに「湯屋のあくび」があるなんてやってみせる。
志ん生が「強情灸」かなんかのマクラでやってたの、朝太のは、あくびというより下から出そう、ぶくぶく、、。
隅田川馬石「首提灯」
江戸っ子が辻斬りならぬ道を尋ねる田舎侍に虚勢を張って絡んで(サムライに対する反感が根っこにあって)とうとう首を切られて歩いて行くうちに首の異常に気がつくという噺。
テダレの侍なのだ。
江戸っ子がきるベランメ~啖呵が聴きどころなのだが、どうも馬石、標準語の江戸弁なんだ。
俺にもどこがどうといえるわけではないけれど。
マクラで本人が言ってたが兵庫の出身、ハンデイだ。
喜多八のこの噺を聴いてみるとその違いがよくわかる。
(東京駅・「カフエ・グラン」、タイカレー、涙が出るほど思い出があるレストラン)
林家正蔵「星野屋」
まったく期待してなかった。
枕は
その時も「相変わらず下手だなあ」と。
ところが中途から面白くなった。
商売が旨くいかないので
仲入りの休憩でパンフレットを読むと、正蔵は
狙いは当たったね。
正蔵、襲名後ネタおろしを50数席、高座年間五百席の目標で頑張っているそうで、その成果が出たのかもしれない。
もしかすると伸びるぞ。
(大原・裸祭り、神輿の柄を縛る。けっこう熟練がいる)
柳家喬太郎「饅頭こわい」
うまいもんだ。饅頭のことじゃない。
(これもなかなか難しい。途中で外れては駄目、七色のすべてがどこからも見えるようにするのが”ほんとう”だという)
柳家権太楼「化物使い」
人使いが荒いご隠居、毎夜化物が出るので安い家に引っ越すと聴いて、それまで辛抱のよかった杢助がやめてしまう。
普通は久蔵に対するご隠居の猛烈な人使いぶりが語られるのだが権太楼は、それを略して、暇をくれ、というところから始める。
この噺の聴きどころのひとつが杢助の旦那に対する一種の皮肉な眼差しと二人の間の不思議な“友情”にあるとすると、それを抜かすのは異議ありだ。
一つ目小僧に対して飯炊き、糠漬けの扱い方、行儀作法などを重箱の隅をつつくように指導して小僧がべそをかくさまを丁寧にやるのだが、同じことの繰り返しのようでいつもの権太楼独特の浮揚感から爆笑へつながる快感がない。
まあ、調子の悪い日もあらあな。
次回に期待します。
なんてったって民主党、こいつの動きに目を奪われているまに、といっても政権についてまだ10日なんだなあ。
あんな”坊やたち”に何が出来るか、と冷ややかに見ていたのだが政権交代後の閣僚記者会見を観て興奮してしまい、その興奮はまだ続いている。
革命ともいえる仕組みの大転換は口にされただけかもしれないがワクワクさせる。
それだけ今までの政治・日本に鬱屈していた。
腹の底に怒りがどす黒くたまっていたのだ。
充実していればいるほど「時」の速度は速いが、過ぎ去ってから振り返った時の「遠ざかり方は」遠く感じられる俺の「時の速度と密度に関する考察」の一端だ。
このひと月に聴いた落語は他に志ん輔三夜の楽だけかもしれない。
この記事を書いた同じ日に政権交代の記者会見があって俺は興奮して、それで寄席に行かなくなった、、のではない。
でも、いい落語を少し聴くというのもアリだな。
や、「少し」とはいえないか。
古今亭朝太「あくび指南」
「四季のあくび」のほかに「湯屋のあくび」があるなんてやってみせる。
志ん生が「強情灸」かなんかのマクラでやってたの、朝太のは、あくびというより下から出そう、ぶくぶく、、。
隅田川馬石「首提灯」
江戸っ子が辻斬りならぬ道を尋ねる田舎侍に虚勢を張って絡んで(サムライに対する反感が根っこにあって)とうとう首を切られて歩いて行くうちに首の異常に気がつくという噺。
テダレの侍なのだ。
江戸っ子がきるベランメ~啖呵が聴きどころなのだが、どうも馬石、標準語の江戸弁なんだ。
俺にもどこがどうといえるわけではないけれど。
マクラで本人が言ってたが兵庫の出身、ハンデイだ。
喜多八のこの噺を聴いてみるとその違いがよくわかる。
林家正蔵「星野屋」
まったく期待してなかった。
枕は
嘘から出た真、真から出た嘘なんて、人間は、とくに男と女は嘘をつかないとやっていけないようです。などとやって、前に聴いたときのように身内ネタなどの漫談をしないで、少ししわがれ声で噺にスッと入った。
その時も「相変わらず下手だなあ」と。
ところが中途から面白くなった。
商売が旨くいかないので
50両やるから別れてくれ、俺は死ぬからと旦那に言われた女が、じゃあ私も一緒に死にます、と言って吾妻橋まで来るが旦那だけ飛びこまして自分はちゃっかり帰ってきてしまうあたりから、女と旦那の嘘のつきあい・騙し合いがリズム感があって楽しかった。
仲入りの休憩でパンフレットを読むと、正蔵は
男女の化かし合いが、ドロドロ状態ではなく、軽く、ゲーム感覚で描かれている。しゃれた、面白い噺だなあと感心したそうで、俺のような先代の桂文楽師匠に間に合っているオールドファンが「暗くて地味で、いやな噺」というのに対して
僕が感じた面白さを、なんとか形にしたいと語っている(長井好弘の文章)。
狙いは当たったね。
正蔵、襲名後ネタおろしを50数席、高座年間五百席の目標で頑張っているそうで、その成果が出たのかもしれない。
もしかすると伸びるぞ。
柳家喬太郎「饅頭こわい」
うまいもんだ。饅頭のことじゃない。
柳家権太楼「化物使い」
人使いが荒いご隠居、毎夜化物が出るので安い家に引っ越すと聴いて、それまで辛抱のよかった杢助がやめてしまう。
普通は久蔵に対するご隠居の猛烈な人使いぶりが語られるのだが権太楼は、それを略して、暇をくれ、というところから始める。
この噺の聴きどころのひとつが杢助の旦那に対する一種の皮肉な眼差しと二人の間の不思議な“友情”にあるとすると、それを抜かすのは異議ありだ。
一つ目小僧に対して飯炊き、糠漬けの扱い方、行儀作法などを重箱の隅をつつくように指導して小僧がべそをかくさまを丁寧にやるのだが、同じことの繰り返しのようでいつもの権太楼独特の浮揚感から爆笑へつながる快感がない。
まあ、調子の悪い日もあらあな。
次回に期待します。
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kaorise at 2009-09-27 00:12
な、、なんだかその吾妻橋の女房、わたしみたい。
「おほほ、、可愛いダボハゼちゃん、そのままレインボーブリッジまで泳いでお行き!あたしゃこの50両でサンマみたいにすべすべした男を買いにいくわ。」
一つ目小僧の化物使いも、まさにわたし。。
「一つ目だからって甘えるんじゃない!泣くな!やればできる!」
みたいな感じかしらん。
「おほほ、、可愛いダボハゼちゃん、そのままレインボーブリッジまで泳いでお行き!あたしゃこの50両でサンマみたいにすべすべした男を買いにいくわ。」
一つ目小僧の化物使いも、まさにわたし。。
「一つ目だからって甘えるんじゃない!泣くな!やればできる!」
みたいな感じかしらん。
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旭のキューです。
at 2009-09-27 09:42
x
鳩山首相の25%削減って、根拠があると思うのですが、その根拠がしりたいです。核削減発言も日本がリーダーになって、かっこいい発言ですね。
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saheizi-inokori at 2009-09-27 10:33
kaoriseさん、それがね、旦那もさる者、川に船浮かべさせてすぐ助かる仕組み。女の心を試したという。もし一緒に身投げしたら新しい店をまかせようって。
女が悔しがって、でも50両あるからというと「そりゃなあ、偽金だ」という。
エイ!悔しいと金を放り投げると「ホントの金だ」と男は懐へ。
するとお母さんが「ちゃんと3両抜いといたよ」でサゲ。
みゅうちゃんは人間使いが荒い?
女が悔しがって、でも50両あるからというと「そりゃなあ、偽金だ」という。
エイ!悔しいと金を放り投げると「ホントの金だ」と男は懐へ。
するとお母さんが「ちゃんと3両抜いといたよ」でサゲ。
みゅうちゃんは人間使いが荒い?
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saheizi-inokori at 2009-09-27 10:35
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c-khan7 at 2009-09-27 16:49
「湯屋のあくび」って、どんなんですかね。休みの日に一番湯にはいり、今日は一日のんきにすごせたなぁ〜あ〜〜あ。。ってんですかね。
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saheizi-inokori at 2009-09-27 17:03
c-khan7さん、そうそう、都都逸かなんか唸っているうちに、あくびがこみ上げてきて、ふああ~っつ、もぐもぐ、あくびを食べちゃって、あとはナンマダブナンマダブって。いい湯だなあ^^。
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c-khan7 at 2009-09-27 22:45
まったく関係ありませんが、「サブウエイ・パニック」観ました。70年代の映画なので、通信網がアナログだったり、ファッションやら人種問題やら注目箇所満載。オチはコミカルで笑えました。一番のお気に入りはテーマ曲のカッコよさでした。
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saheizi-inokori at 2009-09-28 08:27
c-khan7さん、面白そうですね。
携帯がない時代はつい昨日なのにもう想像しなくてはいけないくらい遠くなってます。
携帯がない時代はつい昨日なのにもう想像しなくてはいけないくらい遠くなってます。
by saheizi-inokori
| 2009-09-26 21:38
| 落語・寄席
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