圓生を偲ぶ実力噺家たちの競演 第494回 落語研究会
2009年 08月 28日
30年前に急逝した(80歳)から高座に接した人はもっと少ないだろう。
亡くなった日にパンダも死んで、新聞の扱いはそっちがずっと大きかったってェ、今でも語り草、噺家連のプライドは傷ついた。
それほど畏怖されていた名人だ。
たしかにウマかったなあ。
学生時代、空っけつで寄席に飛び込んで、笑うことでいろんな虫を騙していた時(今も変わらないのう)、トリに圓生が出て酒を飲むところをやったものだから虫の奴、目え覚まして大変だったことがある。
レパートリーが広くて音曲が旨くて(子どもの頃から義太夫語りで売れていた)隙のない高座だ。
俺は志ん生派だから今ひとつで全集も買ってない。
もっとも百席ってんだから買うのも容易じゃない。
今回の落語研究会は圓生を偲んで「圓生十八番」特集だ。
6月に二つ目になったばかりの小太郎が「初天神」を好演した後4人の実力噺家の競演。
正朝・「紀州」
圓生と先代正蔵の不仲は有名だが楽屋で同席すると正蔵の方がとっつきやすくて圓生は周囲を緊張感で圧倒したそうだ。
その人が現れると皆が緊張する人はもう一人、談志がそうだった。
いや~な緊張感が漂ったという。
談志が倒れて年内の公演を中止したという報道に接したばかりなのに、噺家の言葉はたしかに世間の非常識かもしれない。
噺としてはどうということもない噺をいろんなクスグリや地噺をしながらつなぐのだが、とぼけたギャグを言って「圓生はこれをしゃべってんですよ、DVDを見ると大受け」と注釈をいれる。
もう一つ円生のクスグリをとやってみて、今度は自分のをひとつやってみますと、だがそれもイマイチなので、自分の頭を扇子でぴしゃっとやって笑いが起きる。
俺はこの噺家の軽み、聴きやすく明晰な言葉使い、噺の分かりやすさ、肩の力を抜いて自然にほほ笑むような笑い、みんな好きだ。
志ん輔・「庖丁」
談志の独演会のCD全集をもっている。
その中でこのネタだけは自分で高座にかける自信がなくて圓生に頼み込んでやってもらったという語りが入っている。
それだけの難しいネタを志ん輔はみごとに料理した(ネタおろし)。
凄いなあ。
扇遊・「夏の医者」
圓生と地方に行った時、夜中急にカツ丼が食べたいといいだして誂えた。
半分食べて「セコでげす(うまくない)」と言って当時前座だった扇遊の前に丼を滑らせた。
「セコなら半分も食わなきゃいいのに」と思いながらも残り半分を頂いたことが大事な思い出になっているという。
ウワバミに呑まれて下剤を呑ませて助かったというような子ども向けの絵本にでもなりそうなお話をこれも好演。
YouTube↑を観ても場内をつかむって点では決してひけをとらないと思った。
さん喬・「猫定」
殺されそうになっていた猫を買い取った博打うちの定吉。
猫がサイの目を読んで鳴き声で教えるから有卦にいる。
入りすぎてオカミに目をつけられたんでちょっくら上方の方に目くらましに行ってる留守に女房が間男をする。
帰ってきた定吉を亡き者にしようと男が竹槍でブスリ、そのとき猫がギャッと鳴いて男の喉首を掻き切る。
猫は長屋に帰って女房の喉首もかっさばく。
て、おどろおどろした噺、最後は少々もたもたする(原作そのものが)噺をなんとか飽きさせずにやってみせた。
先日上野鈴本では「鴻池の犬」で犬になって見せ今日はニャアニャア猫になり器用なものだ。
ところで上にも書いたように談志が危ない。
先日「ひとり会」をみたばかり、もしかしてあれが最後の高座になったなんてことのないように!
夜、談志の「夢の寄席」をずっと聴いていた。
何年前の収録だろう、若い力のある声で、それがしょっちゅうガンだと思うとか、語るに足る人と語りあいながら死んでいきたいなどというセリフが飛び出す。
半分夢の中、うつらうつらしながらそれを聴いていた。
大きな広告より効き目がると思うのですよ。
最も、寄席で収録されたテープものは、ご両人とも聞き取りにくいです。
本人が喋りたくてしょうがなかったらしいけれど、文楽だったら出ませんね。
「猫定」ものすごい噺ですね。オチはどんなん、なんでしょうか?
みんな恐れをなして外に出てしまうのですが按摩の三味市は目が見えないから平気でお参りをしている。
そこに素浪人がやってきて隣の部屋にいる怪物を一刀のもとに斬り伏せてみるとそれはあの猫、二人の喉首を咥えていた。
主の仇を討った忠義の猫としてお上から報奨金がでたのでそれで両国回向院に猫塚を建立した、猫塚の由来です。
と、まあ、オチは特にないのです。
でもパンダの方が大勢の人に知られていたかもしれないなあ。
居ても立ってもいられず、今日行ってきました。明日感想をアップします。
感想楽しみにしてます。
落語では脇を固める事の多い猫が、主役じゃないですか!!ウレシ。
猫の噺は猫に世話になってますなあ。