山道を歩きながら考えた 人間の品性とは?
2009年 07月 05日
鶯やキビタキ、オオルリだろうかいい声で啼いている。
昨夜の酒が気持ちよく流れ出て行く。
後で入る人は酔っ払うかもしれない。
まだ新緑と言える木々の気を吸いこみながら道端の花の名前を教え合ったり木イチゴを摘まんだり、20年近い仲間の旅行は楽しい。
お互いが見栄を張ったり勘ぐったりすることもなく自然な自分をさらけ出していることが一番。
今日のメンバーは16人だったか、老若男女と言いたいが老中男女が、このメンバーに収まるまでには結構出入りはあった。
いろんな動機で集まって、いろんな個性をぶつけ合って、馴染めない人は去って行って自然に残ったのが今のメンバーだ。
今はもう説明不要、会えばすぐに家族のようにバカを言いあい、黙っていたければ黙っていて、お互いのことをとても心配しているが、それは一瞬のうちに観察して、さりげなく思いやる。
俺は少し前から枯れたり落ちた椿がとても気になるのだ。
俺は貧乏で奨学金とアルバイトで大学を出た。
生まれついてのセレブみたいな人と飯を食ったり、話をするのが苦手だ。
なんとなく俺の下品なところが、見透かされているようで落ち着かない。
この旅行会のメンバーには生まれついてのセレブはいないようだ。
だから、気持がゆったりとして笑いの絶えない付き合いが出来るのかもしれない。
では、彼らは下品か?
とんでもない!
不正を嫌い、人を蹴落とすようなことは夢にも考えない。
自然を愛し弱いものをいたわる心がある。
徒党を組んでなんだか美味しいものにありつこうというような気持からもっとも縁のない連中が残ってこうして“徒党を組んで”山道を歩いているってのが面白い。
木イチゴのうまさ!
駒場の木イチゴ、なんだか昔の駒が遊んでいる情景が浮かんできた。
阿武隈川・・・息子と勉強したのを思い出しました。川の長さだったか、
私の人生には品性や、ましてセレブ何て言葉がないガサツ者ですから、
書けることなどないのであります。
ただただ、そんな方々と並ぶのは恥ずかしいの一言。
母の言うことを聞いてりゃ良かった、
なんてね、ま、今からは、今までの人生一生懸命やってきたってゆうことで、
奴等とならんでやりますよ、居直り蛸が、あっぱれ!と言われるまで居直ります。