文豪たちの真実 金と性と野心と 嵐山光三郎「おとこくらべ」(ちくま文庫)

2004年2月16日
手術(2003年10月ペースメーカー移植)から戻って以来、活動量が増してきたようだ。毎朝8時には出勤して夜10時頃に帰宅するまで次から次へと聴き、観察し、判断し、喜び、怒り、語り、わめき・・。酒もよく飲む。
NYをはじめとして旅行も何回行ったことやら。講演みたいなことも何べんも。
読むホン読むホン、みんな面白い(芥川賞も去年より面白かった)。のどが渇いているときの水のように飲んでいける。映画も観たいし、観れば面白い。散歩もどんどん。生まれて初めて絵を買ったし。
いろんな人にあってその人の考えと自分の考えが合っているのが分かったときなど、とても嬉しい。そういう人に会うことが増えたようでもある。会う人に“感じる”ことができる今なのかも。
しかし、疲れることは疲れるなあ。

(1) おとこくらべ   嵐山 光三郎   恒文社21
 樋口一葉、ラフカデイオ・ハーン、森田草平、有島武郎、芥川龍之介、北原白秋、皆さんはこのうち何人の名前を知っていますか?作品を読んだことは?明治から昭和にかけての作家たちだ。
このホンはこの人たちの死に行くさまを描いた短編集。死を描くということは、生き方を描くことでもある。いつものように豊富な資料と、想像力に支えられてきわめてナマナマしいお話で大変面白い。古い日本と急激に押し寄せる近代の西洋文化のハザマで自らの生き方を(糊口をしのぐことも含めて)模索し悩んだ天才たち。仲間でありライバルである作家たちの存在。何よりも彼らを支え、苦しめ、ときには死に至らしめた女性たち。
たいてい私よりずっと若い頃の話が多いからか、彼らがいとおしく感じられるのでした。
何回か書いたけれど、前の会社で読んだ本を社員に寄贈するときにその紹介がてら送っていたメール(ホンの戯言、と題して)だ。

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先日古本屋でこの本を買ってしまった。
↑に書いた時は単行本だったのがちくま文庫になっていることもあって既読だと気が付かなかった。よくあることだ。

冒頭の「おとこくらべ」で樋口一葉(夏子)と妹邦子、母の極貧生活の描写からぐっとひきこまれてしまった。
朝に茶漬け一杯だけしか食べていないから一日働いてくると腹がクーンとなる。
夏子が台所で米櫃に腕を入れると邦子が
やめにしておおき、一合ちょっとしかないもの。今夜の母さんのぶんだけさ。
という。
たまんないねえ。米の中へ腕を入れて、米がさくさくと音をたてて、肘の内側にひんやりとあるのが好きなのよ。ぞくっとするもの。ああ、お金が欲しい。
夏子が愛しいなあ。
極貧であっても若い作家の卵たちがしょっちゅう遊びに来る。
世に出た作家の噂話もでる。
姉妹は腹ごなしならぬスキッパラ騙しに「おとこくらべ一覧表」を作って興じる。
家柄、お金、学問、顔、色気、才能、将来、性格、女ぐせ、寸評と結論。
一葉が別れたばかりの半井桃水は、順に甲の下、△、並、兎、〇、下、凶、不良、淫乱、蛇の生殺し、毒といった具合。
まあ、こいつはかなり感情的になってるかな。

文豪たちの真実 金と性と野心と 嵐山光三郎「おとこくらべ」(ちくま文庫)_e0016828_11593655.jpg
(用賀でのランチ、「かき揚げソバ又はうどんのキムチ載せごはん付き」というのを見て蕎麦にはキムチが付かないと思ったらついてきた。医者に会うから控えようと思ったのになあ、食ったらうまかったけれど)

どの作家も将来性はひどい。
桃水が凶であるならば、藤村はナシ、花袋(暗澹)、美妙(絶望)、眉山(破綻)、秋声(カビ)、鏡花(暗黒)、紅葉(若死)、露伴(中絶)、子規(若死)、二葉亭(浮雲)、緑雨(寂寥)、、邦子にみんな悪くつけてずいぶんじゃないかといわれると
だって、そうなんですもの。私が言う将来性は、書いた小説が後世に残るか、ってことですもの。
誰よりも自信がある一葉だったし邦子もそう思っていた。

文豪たちの真実 金と性と野心と 嵐山光三郎「おとこくらべ」(ちくま文庫)_e0016828_1283856.jpg
(我孫子・「湖庵」で茨城・筑西産)

やがて夏子は売れだす。
鴎外が後妻に欲しいと緑雨を使いに立てるが雲上の人・鴎外の人間の裏を疑って断る。
鴎外についてのおとこくらべは?(カッコ内は漱石)
家柄・甲(丙)、お金・月給150円(月給80円)、学問・ドイツ語(英語)、顔・タドン(アバタ)、色気・ほんのり(少々)、才能・〇(◎)、将来・左遷(大吐血)、性格・過激(猫)、女くせ・妄想(恐妻)、寸評・留学自慢(坊っちゃん)、結論・官(知)。

「たけくらべ」を書いて鴎外に絶賛された一葉は命旦夕に迫っていることを知っていた。
棺にいれる「おとこくらべ」に邦子は番外として一葉の項を書き入れる。
家柄は丙、お金は☓、学問は△、顔は◎、色気は〇、才能は◎、性格は強情、そして将来性の欄には墨黒々と「前途洋々」と。
築地本願寺に向かう葬列で邦子は、夏子の位牌を握りしめて
そうさ、前途洋々よ。夏姉さんは死んでしまっても、小説はいつまでもいつまでも人々(みんな)に読みつがれる。小説は、お姉ちゃん、前途洋々ですよ。前途洋々です。
そう呟いて一歩一歩ゆっくりと歩いていく。

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(夜も平河町で蕎麦、蕎麦っパラ、それでも一葉が聞いたら羨ましがるだろう)

事実がどうかは知らない。
しかし“真実”、一葉の24年の人生の真実は描かれているのではなかろうか。
義兄の遺した借金を返そうとするプレッシャーに負けて死んだ龍之介、白秋が盲目になって過ぎ越し方に対する痛恨の懺悔、とりわけ姦通罪で囚われた相手の俊子への切なる思い、、いずれも作者が観想した作家たちの真実であり、俺はさもあるべしと共感した。
巻末の「あとがきにかえて」と添え書きのある「文壇血風宴会録」がめっぽう面白い。
文学者たちの暴食品評録とも言える傑作『文人悪食』『文人暴食』や『追悼の達人』の作者の腕の冴えがみられる。

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文人悪食  嵐山光三郎  新潮文庫
漱石から由紀夫まで37人の近代作家を彼らの「食」を切り口に解剖する。作者は元編集者であり実作者であり評論家でもあるので、その視点はきわめて複雑かつウーンとうならされる分析と表現力だ。例えば「小食でかつ美食家であった康成は、最後はマンションの一室で、シューシューと鳴るガスをたっぷりと吸い、極限の悲しい喜びの味を満喫しながら死んだ」。賢治について「食と性への極端な禁欲は、つきつめると畑と自然と山林が、その代償行為となる」。
 作家たちの苦しみ、そこからくるわれわれ“普通の人”からは理解しがたいようなさまざまなエピソードも興味深い。もっとも、漱石が医者から止められていたのに好物の砂糖まぶしのピーナッツを隠れて食べて死に至った、なんて俺たちレベルの話もたくさんある。700余の文献にあたって書いてあるだけに読み応えがある。嵐山氏の筆致に何か懐かしさみたいなものを感じていたが、彼が檀一雄の担当編集者として「檀流クッキング」(檀の書いた料理本の傑作)的生活をともにした上に、作家としては深沢一郎についたことを知っていずれも私の好きな作家たちなので、なんとなくやっぱりという気がした。(2000年10月24日記)

文人暴食   嵐山 光三郎   マガジンハウス
 前に紹介した「文人悪食」のいわば続編。著者はこの2冊を書くために50歳から60歳までの10年を費やしたそうだ。さもありなん、今回も37人の作家の食と人生・作品について書くために、彼らの全集を始め評論・書簡、交友のあった人たちの証言を見るための関係文書など、気の遠くなるような膨大な量の文献にあたっている。「料理は一定のレベルまでは料理人の腕によるが、頂点をきわめたそのさきには、悲しみの味つけが不可欠で、これは食べる側の問題なのである」(久保田万太郎が老いて食べた湯豆腐について)、なんて若い諸君には意味がわからないかもね。それよりもこのホンにでてくる作家(小泉八雲、宇野浩二、壷井栄、武田泰淳、二葉亭四迷、、)とその生活・時代背景などが理解しがたいかもしれない。ほんのちょっと前までの日本はこういう状態だったのだ。表面だけを見ると、なんとなく貧しげで余り良い時代じゃなかったかもしれない。でも、いまより人々が人間らしく生きていたし、インテリは今と違ってインテリの本当の意味(使命感)を知り、恥を知り、責任を知って苦しむことを知っている時代だったと思う。だから食い物との関わりも何か切実で、場合によっては壮絶だったり、滑稽だったり、今の我々の関わりかたとは随分違うようだ。
 前の「悪食」に比べると、今ひとつ読み応えというか迫力に欠けているような気がする。著者が書きたい作家が先になったのかな。それとも読む私の心の状態が影響しているのか。(2002年11月21日記)
Commented by きとら at 2009-05-30 23:04 x
>お姉ちゃん、前途洋々ですよ。前途洋々です。
 
>そう呟いて一歩一歩ゆっくりと歩いていく。
 
 いい芝居の幕切れのような書きぶりですね。井上ひさし『頭痛肩こり樋口一葉』、『泣き虫生意気石川啄木』を思い出しました。一葉と啄木の貧窮と若死に。たしかに作品は前途洋々だったのですが、しゅーんとなりますね。
 
>夏子が愛しいなあ。
 
 明治という時代の、愛しい部分でもありますね。
Commented by sweetmitsuki at 2009-05-31 05:34
一葉という筆名は半井桃水に女性名では何かと不都合があるからと薦められたそうですが、一葉本人は友達にだるまさんも私もおあしがないから(達磨大師は一枚の葉っぱで揚子江を渡ったそうです)と、おどけて話していたといいますから、やっぱし女性もダジャレを言うのでしょうね。
Commented by saheizi-inokori at 2009-05-31 08:04
きとら さん、何といっても24年とちょっとの人生、その最後の一年余でしかものを書かなかった。
惜しいし哀れですね。大したものを書かなくても芥川賞になってもてはやされる今とはずいぶん違う。
Commented by saheizi-inokori at 2009-05-31 08:05
sweetmitsukiさん、これがダジャレかどうかは疑問ですが、しゃれっ気は強い人ですね。
向こう意気も強い。
Commented at 2009-05-31 08:53
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by saheizi-inokori at 2009-05-31 11:04
鍵コメさん、正しい怒りだと思います。そういうお母さんがいて娘さんは幸せです。
Commented by 旭のキューです。 at 2009-05-31 12:42 x
余りにも蕎麦のインパクトが強くて、文章を集中して読めませんでした。以後、気をつけます。
Commented by saheizi-inokori at 2009-05-31 14:08
旭のキューです。さん、こんなもので良ければもっともっと遠慮しないで召し上がってください。
Commented by kaorise at 2009-05-31 16:31
ほんと夏子さんに御飯たべさせてやりたい!
よく生きているうちに報われなきゃ意味がないなんてことを聞きますが、まあそれはそうなんだけども、、、
この報われなくとも私は真実を創っているという信念は「自分はいいものを創っているかわからないけど人が認めてくれるし、、お金もらえるし、、」という他人本位よりずっと良い心持ちですねえ〜
Life is short, Art is longですもの。
Commented by saheizi-inokori at 2009-05-31 16:42
kaoriseさん、食わんが為、母と妹を養わんがために書いた文章、それが認められてわずかな原稿料を求めて一年有余書きつづけて死んでしまった。
自信はあったのでしょうが哀れではありますね。
Commented by せん at 2009-05-31 19:56 x
私の場合は、無理な生き方を病気が気づかせてくれました。
せっかく人生を修正する機会を与えられたのだから、思いっきり本能の赴くままに生きよう!と思います。
saheiziさんも、そうですよね!
自分がどうしたいかを一番に考え、そして周りの誰か(もちろん自分の好きな人限定ですよ(笑))に喜ばれることが、私の本能が喜ぶことなんだと、病気が気づかせてくれました。
Commented by saheizi-inokori at 2009-05-31 21:03
せん さん、そうなんですね。そうは思うのですが、、なかなか思う通りにはできません。
少しでも、と思っています。
Commented by hisako-baaba at 2009-05-31 23:46
読書家ですね。私は眠たがりでさっぱり読めません。でも読みたい本がまた増えました。
Commented by saheizi-inokori at 2009-06-01 07:49
hisako-baabaさん、私も休日など寝転がってゆっくり読もうとすると睡魔が何匹も襲ってきます。
かえって電車の中とか待ち時間などがはかがいきます。
moreでご紹介した「文人悪食」も面白いですよ。
Commented by せん at 2009-06-01 18:27 x
良いことも悪いことも「愉しんでる?」って声掛け合って、いきましょう!
Commented by saheizi-inokori at 2009-06-01 18:53
せん さん、自分の人生ですものね。
Commented by tona at 2009-06-01 21:30 x
一葉姉妹の「おとこくらべ」面白いですね。
鴎外と漱石比べも抱腹絶倒ものです。
このように他のことも比較してみると笑えることも多いような。
もっと暇人になったらやってみたいです。

用賀のランチ、美味しかったでしょう!!自分で真似して作ります。
Commented by saheizi-inokori at 2009-06-02 07:09
tona さん、食うので精いっぱいでいながらこういう気持ちを持っていた一葉姉妹に乾杯!です。いじらしくもある。
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by saheizi-inokori | 2009-05-30 22:03 | 今週の1冊、又は2・3冊 | Trackback | Comments(18)

ホン、よしなしごと、食べ物、散歩・・


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