情は薄いほど上等だって?でも死んでしまったらあかんやないの! 枝雀「らくごDE枝雀」(ちくま文庫)
2009年 05月 25日
「幽霊の辻」の作者である小佐田定雄と枝雀が枝雀落語五選なる噺を聴いて(速記録が載っている)盃を交わしながら語り合う。
枝雀の筆で漫才より面白い会話になっているが中身はかなり高等な落語の理論、いわば枝雀(と小佐田)の落語原論だ。
しょっちゅう寄席やら独演会やら落語を聴きに行って夜は睡眠薬として毎晩志ん生やら小さんなど今は亡き師匠たちのテープを繰り返し聴く。
そして又、こうして落語の速記録を読んで笑って落語についてのお話を楽しむ。
世の中に落語がなかったら、と想像するだけで恐ろしくなる。
他愛もない人生だ。
他愛もないかも知れないが相変わらず面白くこれも一気読みだった。
「寝床」とか「宿替え(東京では粗忽の釘)」(他に「鷺取り」「八五郎坊主」「雨乞い源兵衛」)など読んでいるうちに高座の声が聞えるかのような臨場感もあって何度笑ってしまったか。
俺は枝雀の高座を観たことがないのに、不思議な感覚だ。
関西弁の面白さが東京落語と違った世界を創りだしている。
「緊張の緩和」が落語の笑いの根本だとか、「ドンデン」「謎解き」「へん」「合わせ」の「サゲの4分類」などは枝雀の知的な面目躍如でスゲーナと感心するが、こういう人が関西の「もっともっと!何でもいいから笑わしておくんなはれ」風土に思いっきり挑戦していって爆笑王となり、それで飽き足らずさらに無駄をなくした落語などを模索し続けた挙句に自殺(1999年)という結果に至ったのかも知れないと天才の悲劇を感じる。
そないに夢中にならんでも長生きしてくれはったらよかったんよ。
枝雀の筆で漫才より面白い会話になっているが中身はかなり高等な落語の理論、いわば枝雀(と小佐田)の落語原論だ。
しょっちゅう寄席やら独演会やら落語を聴きに行って夜は睡眠薬として毎晩志ん生やら小さんなど今は亡き師匠たちのテープを繰り返し聴く。
そして又、こうして落語の速記録を読んで笑って落語についてのお話を楽しむ。
世の中に落語がなかったら、と想像するだけで恐ろしくなる。
他愛もない人生だ。
他愛もないかも知れないが相変わらず面白くこれも一気読みだった。
「寝床」とか「宿替え(東京では粗忽の釘)」(他に「鷺取り」「八五郎坊主」「雨乞い源兵衛」)など読んでいるうちに高座の声が聞えるかのような臨場感もあって何度笑ってしまったか。
俺は枝雀の高座を観たことがないのに、不思議な感覚だ。
関西弁の面白さが東京落語と違った世界を創りだしている。
「緊張の緩和」が落語の笑いの根本だとか、「ドンデン」「謎解き」「へん」「合わせ」の「サゲの4分類」などは枝雀の知的な面目躍如でスゲーナと感心するが、こういう人が関西の「もっともっと!何でもいいから笑わしておくんなはれ」風土に思いっきり挑戦していって爆笑王となり、それで飽き足らずさらに無駄をなくした落語などを模索し続けた挙句に自殺(1999年)という結果に至ったのかも知れないと天才の悲劇を感じる。
「知的なもの」には記憶があるけれど「情的なもの」には記憶がない。もっとテキトーでよかったやんか、枝雀!
「古典落語」と言われるものが同じストーリーをくりかえしながら、いまだにお客さんに喜んでいただいているのは、この「情的なもの」のおかげだ。
“新作落語”が落語となり得るかは、それが「芸」となり得るか、即ちある程度は型のある、積み重ねのきく「芸」であるかによる。
そこが漫談にメッキをかけたフリー・トークとの違いだ。
いい噺には、噺が空中分解せんようにとめてる扇の要みたいなセリフやとか描写がおますなあ。
そういう中でたとえば夫婦の情を表すとしたら、そのセリフはサラッとしたものでなければならない。
押しつけがましい「情」であってはならない。
薄い薄い情ほど上等なものだ。
涙声でジメジメした噺やってたら名人や、ってのはおかしい。
「情」とは「人を先にする心」、自己犠牲というほど大げさではなくて「自分の身に余裕がある分だけ他人を先にする」と言うほどの、それでも実際にはなかなかできない、それを落語の世界でふれて「ほんまはそうありたいもんやなァ」と思いつつ涙する。
そないに夢中にならんでも長生きしてくれはったらよかったんよ。
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yoshihiroueda at 2009-05-25 22:33
「もっとテキトーでよかった」と私も思います。しかし、テキトーでなかったから、芸をつきつめたから、こその枝雀だったのかもしれず、適当なテキトーさというのは難しかったのかもしれませんね。
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結局、ナマでは見ず仕舞いでした。テレビの枝雀寄席はほとんど欠かさず見たのですが、劇場に漫才や落語を聴きに行くという余裕がありませんでした。
枝雀には哲学の裏打ちが感じられましたね。普通の噺家の教養とは次元が違うようです。しかしそれがすべてプラスには働いてはいませんね。ときに拒否したくなるときもありました。
「雨乞い源兵衛」など、いま、他に出来る噺家がいるでしょうか。
ま、ブラウン管の上だけでしたが、上方落語の名人をリアルタイムで見れたというのは我々の世代の利得のひとつですよ。
枝雀には哲学の裏打ちが感じられましたね。普通の噺家の教養とは次元が違うようです。しかしそれがすべてプラスには働いてはいませんね。ときに拒否したくなるときもありました。
「雨乞い源兵衛」など、いま、他に出来る噺家がいるでしょうか。
ま、ブラウン管の上だけでしたが、上方落語の名人をリアルタイムで見れたというのは我々の世代の利得のひとつですよ。
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高麗山
at 2009-05-25 23:23
x
「緊張と緩和」、一番最初に観た30分ほどの高座で、何度聞いたでしょう。
生理学や、心理学用語での“緊張”に対する“弛緩”と言う言葉しか頭になかった私は、かなり違和感が拭い去れなかっつた。
高座が三度ほどと以前のコメントで記した、小料理屋で二言、三言言葉を交わしただけ、愛想の良い小柄なおっちゃん。
顔を合わせた三度は、何時も口角を爛れさせていた記憶があるから、「枝雀さん相当お酒を召し上がるナ」の印象が拭えなかった。
人伝によると、私の推測は的を射ていたようだ。
あのように、人を楽しませる裏にも諸々の厳しい事柄が、現実に存在したんだなと、今更回顧しています。
生理学や、心理学用語での“緊張”に対する“弛緩”と言う言葉しか頭になかった私は、かなり違和感が拭い去れなかっつた。
高座が三度ほどと以前のコメントで記した、小料理屋で二言、三言言葉を交わしただけ、愛想の良い小柄なおっちゃん。
顔を合わせた三度は、何時も口角を爛れさせていた記憶があるから、「枝雀さん相当お酒を召し上がるナ」の印象が拭えなかった。
人伝によると、私の推測は的を射ていたようだ。
あのように、人を楽しませる裏にも諸々の厳しい事柄が、現実に存在したんだなと、今更回顧しています。
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saheizi-inokori at 2009-05-26 06:36
yoshihirouedaさん、おっしゃるとおりですね。たとえそれが通過点であろうとも天才が高きを目指してもがいている通過点であることが凡庸な高座と全然違った緊迫感をもたらしたはずです。
それにしても惜しいです。
それにしても惜しいです。
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saheizi-inokori at 2009-05-26 06:38
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saheizi-inokori at 2009-05-26 06:40
高麗山 さん、本書でも二人は盛んに飲むのですね。それを面白く書きこむ枝雀の胸中もなんとなく感じられます。
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74mimi at 2009-05-26 06:56
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antsuan at 2009-05-26 07:06
英語の「ホワイトライオン」をテレビで見ただけですが、言葉がわからなくても本当におかしかったのを覚えています。
もっともっと質の高いものを追い求めて、それが逆に自分を追いつめていったような感じがしているのですが。
長生きして欲しかったです。
もっともっと質の高いものを追い求めて、それが逆に自分を追いつめていったような感じがしているのですが。
長生きして欲しかったです。
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maru33340 at 2009-05-26 07:17
いつかは枝雀について書きたいと思いながらもう十年たってしまいました。
過度に自分に厳しい知識人でありながら爆笑王の道を選んだ彼の人生の矛盾。
落語を突き詰めた先は極めて厳しい道程だったと息を飲む思いがしますが、同時に「師匠もうそないに頑張らんでもよろしいで。」と声をかけたくなる。
「ただそこにいるだけで空気がほんわかとする」そんな彼が理想とした晩年を送って欲しかったと切に思います。
過度に自分に厳しい知識人でありながら爆笑王の道を選んだ彼の人生の矛盾。
落語を突き詰めた先は極めて厳しい道程だったと息を飲む思いがしますが、同時に「師匠もうそないに頑張らんでもよろしいで。」と声をかけたくなる。
「ただそこにいるだけで空気がほんわかとする」そんな彼が理想とした晩年を送って欲しかったと切に思います。
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saheizi-inokori at 2009-05-26 11:16
74mimiさん、ありがとう。ピンボケでは判定不能ですよね^^。
もう一度撮り直します。
もう一度撮り直します。
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saheizi-inokori at 2009-05-26 11:17
antsuan、英語の落語ってどんな風にやるのかと思っていました。
一度みたかったですよ。
一度みたかったですよ。
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saheizi-inokori at 2009-05-26 11:19
maru33340さん、「ただそこにいるだけでほんわかとなる」、そんな小三治みたいな落語家になっていたと思いますよ。
本人はさぞかし苦しんでの上でしょうが。
本人はさぞかし苦しんでの上でしょうが。
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gakis-room at 2009-05-26 19:07
ある空手家が「平常心は異常を超えたところにある」と書いていましたが,私は納得しました。枝雀は「毎日がただただ機嫌よう,それが1番」と言っていましたが,「機嫌よう」過ごすために私はきょうも空回りでした。枝雀はんは無理なことをお望みなはった?
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MAKIAND at 2009-05-26 21:07
さへいじさ~ん。以前私が見て欲しいって言ってた、取って置きのアジサイ見に来てくださいね~^^
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kaorise at 2009-05-26 21:37
saheiさんお花の写真どんどん上手くなってるんですけど、、、
一番上のはピンボケじゃなくて、これいいじゃん♪と思ったのかと。
だとしたら、saheiさんこそ天才!あんまりいい写真撮らないで欲しいんですけど〜マジで〜これ以上うまくなられたらマジで困るんで〜プロとしてはあ〜(渋谷のギャル風に)
一番上のはピンボケじゃなくて、これいいじゃん♪と思ったのかと。
だとしたら、saheiさんこそ天才!あんまりいい写真撮らないで欲しいんですけど〜マジで〜これ以上うまくなられたらマジで困るんで〜プロとしてはあ〜(渋谷のギャル風に)
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saheizi-inokori at 2009-05-26 22:51
gakis-roomさん、要するに悟りは遠いってことですかね。
有象無象は死ぬまでジタバタ。
有象無象は死ぬまでジタバタ。
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saheizi-inokori at 2009-05-26 22:52
MAKIANDさん、え~っ!そっちまで?遠いなあ。
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saheizi-inokori at 2009-05-26 22:54
kaoriseさん、素人の友人に“お世辞で“同じことを言われましたよ。
撮ってる方はなんも考えてないんだけれど、でもうれしいなあ、もっと言って!
撮ってる方はなんも考えてないんだけれど、でもうれしいなあ、もっと言って!
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saheizi-inokori at 2009-05-26 22:56
by saheizi-inokori
| 2009-05-25 22:14
| 今週の1冊、又は2・3冊
|
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Comments(20)