イーストウッドのアメリカとの絶縁宣言? 映画「グラン・トリノ」
2009年 04月 29日
クリント・イーストウッドが監督も主演も音楽も、、多才にしてその才がどれも図抜けている。
どの映画も凄い。
これはその中でも代表作ともいえそうな素晴らしい出来だ。
(等々力渓谷)
妻に死なれた今は若い頃にフォードの自動車工として自分が造った「グラン・トリノ」と愛犬、ビールと噛みタバコ、あとは朝鮮戦争で“命令によって仕方なく、ではなく自らの意志で”人を殺したことの悔恨とともに生きる老人。
白人であること、男であること(数少ない友人たちと酒を飲み悪口雑言でじゃれ合う喜び)、なんでも自分の意思と力で対処していくことを生き方の中心においている。
離れて暮らしている子どもや孫たちのあり方に腹が立ってしょうがない。
男がフォードを作ったのに対して息子はトヨタを売るセールスマンだという設定が利いている。
男はいら立ったときに猛犬があげるような唸り声をもらす。
妻の生前の依頼だといって懺悔をするようにと何回もやってくる若い神父がうるさい。けれど話だけは聞くことになったのは彼の執念に負けただけではないだろう。
妻の強い希望だということもあるが何がなし空虚だからではなかったか。
話を聞いても手厳しく拒絶するだけではあるのだが。
隣に引っ越してきたモン族が嫌だ。
イエローなんて!
モン族の占い師にズバリ
車とか兵隊だとか、道具立ては違っても共感するところは多い。
時々血を吐く。
やっと病院に行って“女”(信用できるもんか)の医者から重篤な病名を告げられるとさすがに息子に電話してみる。
普段は用もない電話が来るとにべもないのに。
でも結局用件は告げられない。
一人で死んでいくことを選ぶ孤独。
相変わらず煙草は止めないし食べるものはビーフジャーキー。
そんな老人が隣のモン族の若い姉弟と心を通い合わせ自分の家族より大事に思うようになる。
見逃せないエピソード。
姉が不良に襲われそうになるときに一緒にいた白人の男が弱弱しく尻尾を巻くのに対してイエローの女である姉が毅然として抵抗する、それを通りかかった男が救うのだが、そのときに彼女に感動するのだ。
一人前とは認めずに差別的発言の対象としていたイエローであり女であるのに。
それを機に彼女の手引きで男は隣の家族に心を開いて行く。
この映画のテーマに関わってくるエピソードだ。
(等々力不動)
淡々とユーモアをにじませながら、偏屈だけどなんとも気になる(カッコいい)親父の日常を描いている前半(それにしてもシットリと落ち着いた映像が渋い)が隣の姉弟を救うあたりから急転してくる。
それは彼に生きる意味を与える変化で観ている俺たちもほっと暖かい気持になる。
しかし同時に暗い予感がつきまとう。
その予感が現実になったときに彼の人生に対する答えが示される。
ハード・ボイルドだ。それも最上の。
あんなにも愛した白人の、男たちの、ピカピカの車に代表されるアメリカに対する絶望。
山の精霊を信じる少数民族であるモン族の難民を登場させ、老子の教え・道を表すタオを少年の名前として、彼らと共にいると子どもたちと居るよりも心が休まると男がつぶやくのはイーストウッドのメッセージだと思う。
そもそも白人、男、アメリカはそれほどに大したものであったのか?
はっきりその価値を確かめられるのはビンテージカーとなったグラン・トリノの輝きと老いたる愛犬だけではないか。
その二つを残して彼は自分の存在証明に立ち上がる。
愛犬が長く腹這いになり首うなだれて静かに男を見送る。
そして最後は
銃弾を浴びて倒れた姿、イーストウッドの考えるキリストではないか?
戦場で人を殺した男、自分とその領地を守るためには「殺してやる」と簡単にいう男が、熟慮を重ねたあげくに辿りついた最適解。
それは自分の命を生贄とすることによって愛する者の命を守り、さらに悪人の命すら救うこと。
もう、男だとかなんだということではない。
人間としての究極の姿だ。
”神学校を出たばっかり、童貞の頭でっかちの神父”が老婆に約束する永遠の命、それを彼は自分の体を投げ出して現実に守ってやったのだ。
カトリックに対するアンチテーゼ?
エンド・ロールの背景になった気持ちの良い海岸通り、道(タオ)では命は風になり海の水になりしていくのではなかっただろうか。
千の風が吹き抜ける海っぺりを走り抜けるタオを乗せた「グラン・トリノ」。
さてさて、似た者老人の俺様はいったい、、どうしたらええんや?
(参考・タオ)
固くて強いものが
世の中を支配しているかに見えるがね
本当は、
いちばん柔らかいものが、
いちばん固いものを打ち砕き、
こなごなにするんだよ。
空気や水のするように、
タオの働きは、隙のない固いものに
滲みこんでゆき、
いつしかそれを砕いてしまう。
何んにもしないように見えるが
じつに大きな役をしているのだ。
このように、目に見えない静かな働きは
何もしないようでいて深く役立っている。
これは、この世ではなかなか
人に気づかれないんだが、
比べようもなく、尊いものなのだよ。
加島祥造「タオ---老子」より 第43章 人はなかなか気づかない
どの映画も凄い。
これはその中でも代表作ともいえそうな素晴らしい出来だ。
妻に死なれた今は若い頃にフォードの自動車工として自分が造った「グラン・トリノ」と愛犬、ビールと噛みタバコ、あとは朝鮮戦争で“命令によって仕方なく、ではなく自らの意志で”人を殺したことの悔恨とともに生きる老人。
白人であること、男であること(数少ない友人たちと酒を飲み悪口雑言でじゃれ合う喜び)、なんでも自分の意思と力で対処していくことを生き方の中心においている。
離れて暮らしている子どもや孫たちのあり方に腹が立ってしょうがない。
男がフォードを作ったのに対して息子はトヨタを売るセールスマンだという設定が利いている。
男はいら立ったときに猛犬があげるような唸り声をもらす。
妻の生前の依頼だといって懺悔をするようにと何回もやってくる若い神父がうるさい。けれど話だけは聞くことになったのは彼の執念に負けただけではないだろう。
妻の強い希望だということもあるが何がなし空虚だからではなかったか。
話を聞いても手厳しく拒絶するだけではあるのだが。
隣に引っ越してきたモン族が嫌だ。
イエローなんて!
モン族の占い師にズバリ
誰からも尊敬されていない。今、生きることに意味を見出していない。過去についての後悔ばかりだ。と言われたときには俺だ!と思った。
車とか兵隊だとか、道具立ては違っても共感するところは多い。
時々血を吐く。
やっと病院に行って“女”(信用できるもんか)の医者から重篤な病名を告げられるとさすがに息子に電話してみる。
普段は用もない電話が来るとにべもないのに。
でも結局用件は告げられない。
一人で死んでいくことを選ぶ孤独。
相変わらず煙草は止めないし食べるものはビーフジャーキー。
そんな老人が隣のモン族の若い姉弟と心を通い合わせ自分の家族より大事に思うようになる。
見逃せないエピソード。
姉が不良に襲われそうになるときに一緒にいた白人の男が弱弱しく尻尾を巻くのに対してイエローの女である姉が毅然として抵抗する、それを通りかかった男が救うのだが、そのときに彼女に感動するのだ。
一人前とは認めずに差別的発言の対象としていたイエローであり女であるのに。
それを機に彼女の手引きで男は隣の家族に心を開いて行く。
この映画のテーマに関わってくるエピソードだ。
淡々とユーモアをにじませながら、偏屈だけどなんとも気になる(カッコいい)親父の日常を描いている前半(それにしてもシットリと落ち着いた映像が渋い)が隣の姉弟を救うあたりから急転してくる。
それは彼に生きる意味を与える変化で観ている俺たちもほっと暖かい気持になる。
しかし同時に暗い予感がつきまとう。
その予感が現実になったときに彼の人生に対する答えが示される。
ハード・ボイルドだ。それも最上の。
あんなにも愛した白人の、男たちの、ピカピカの車に代表されるアメリカに対する絶望。
山の精霊を信じる少数民族であるモン族の難民を登場させ、老子の教え・道を表すタオを少年の名前として、彼らと共にいると子どもたちと居るよりも心が休まると男がつぶやくのはイーストウッドのメッセージだと思う。
そもそも白人、男、アメリカはそれほどに大したものであったのか?
はっきりその価値を確かめられるのはビンテージカーとなったグラン・トリノの輝きと老いたる愛犬だけではないか。
その二つを残して彼は自分の存在証明に立ち上がる。
愛犬が長く腹這いになり首うなだれて静かに男を見送る。
そして最後は
銃弾を浴びて倒れた姿、イーストウッドの考えるキリストではないか?
戦場で人を殺した男、自分とその領地を守るためには「殺してやる」と簡単にいう男が、熟慮を重ねたあげくに辿りついた最適解。
それは自分の命を生贄とすることによって愛する者の命を守り、さらに悪人の命すら救うこと。
もう、男だとかなんだということではない。
人間としての究極の姿だ。
”神学校を出たばっかり、童貞の頭でっかちの神父”が老婆に約束する永遠の命、それを彼は自分の体を投げ出して現実に守ってやったのだ。
カトリックに対するアンチテーゼ?
エンド・ロールの背景になった気持ちの良い海岸通り、道(タオ)では命は風になり海の水になりしていくのではなかっただろうか。
千の風が吹き抜ける海っぺりを走り抜けるタオを乗せた「グラン・トリノ」。
さてさて、似た者老人の俺様はいったい、、どうしたらええんや?
(参考・タオ)
固くて強いものが
世の中を支配しているかに見えるがね
本当は、
いちばん柔らかいものが、
いちばん固いものを打ち砕き、
こなごなにするんだよ。
空気や水のするように、
タオの働きは、隙のない固いものに
滲みこんでゆき、
いつしかそれを砕いてしまう。
何んにもしないように見えるが
じつに大きな役をしているのだ。
このように、目に見えない静かな働きは
何もしないようでいて深く役立っている。
これは、この世ではなかなか
人に気づかれないんだが、
比べようもなく、尊いものなのだよ。
加島祥造「タオ---老子」より 第43章 人はなかなか気づかない
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fromnothingblog at 2009-04-29 22:56
ふふふ~ん。私は尊敬してます。さへいじさん。^^
いつもこちらでいろんな勉強させていただいてるんです。
今日も、ねっ。この映画みますね。映画大好きなんです。
いつもこちらでいろんな勉強させていただいてるんです。
今日も、ねっ。この映画みますね。映画大好きなんです。
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naou7 at 2009-04-29 23:19
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HOOP at 2009-04-29 23:38
ご覧になったのですね。
私も見たい映画の一つなのですが、耳が遠くなったのか、
主人公の台詞がどうにも聞き取りにくくて、いまひとつです。
字幕を目で追うのはとても無理なので、
TVで吹替え版を放送するまで、おあずけかもしれません。
私も見たい映画の一つなのですが、耳が遠くなったのか、
主人公の台詞がどうにも聞き取りにくくて、いまひとつです。
字幕を目で追うのはとても無理なので、
TVで吹替え版を放送するまで、おあずけかもしれません。
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maru
at 2009-04-30 00:05
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うーん、本当に世の中には同じ考えの人がいるのですね。全く同感です。(しかしsaheiziさんの記憶力には毎回感服します。)
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kaorise at 2009-04-30 02:35
愛なんでしょうねえ、彼は愛を再生されたのね、モン族の兄弟に。
西洋的男の価値観っていうのは依存しやすくて、楽なんですよね〜
日本もそうだけど、まあ、男の価値観は幻想病の一種ですから。
ハードボイルドも物語なら幻想的で割り切れるけど、実際は迷惑だし。
イーストウッドはハードボイルド(幻想)の正義を超えたかったのかも。
ハードボイルドなのはグラントリノを可愛がってる偏屈で孤独な「様式美」「正義」にこだわって形骸化してるオヤジなのだけど、
最後はキリスト教本来のメッセージを実践する、、そこが面白いですね。
自らの十字架を背負い、死をもって永遠の命を生きる、という。
私はイエスは人類に「愛」の概念を広めた人物だと思っています。
もしかしたら、イーストウッドは絶望しているのではなく、西洋文化の中にある本質(愛の思想)を再生したかったのかもねえ、、
でも〜カッコ良すぎ〜!そこが玉にきずだったりして☆
西洋的男の価値観っていうのは依存しやすくて、楽なんですよね〜
日本もそうだけど、まあ、男の価値観は幻想病の一種ですから。
ハードボイルドも物語なら幻想的で割り切れるけど、実際は迷惑だし。
イーストウッドはハードボイルド(幻想)の正義を超えたかったのかも。
ハードボイルドなのはグラントリノを可愛がってる偏屈で孤独な「様式美」「正義」にこだわって形骸化してるオヤジなのだけど、
最後はキリスト教本来のメッセージを実践する、、そこが面白いですね。
自らの十字架を背負い、死をもって永遠の命を生きる、という。
私はイエスは人類に「愛」の概念を広めた人物だと思っています。
もしかしたら、イーストウッドは絶望しているのではなく、西洋文化の中にある本質(愛の思想)を再生したかったのかもねえ、、
でも〜カッコ良すぎ〜!そこが玉にきずだったりして☆
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saheizi-inokori at 2009-04-30 06:44
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saheizi-inokori at 2009-04-30 06:46
naou7さん、それぞれの登場人物がくっきりと描かれていて、また会いたくなるような魅力的な人が何人もいましたね。
モン族の人たちがとてもいい。
モン族の人たちがとてもいい。
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saheizi-inokori at 2009-04-30 06:49
HOOPさん、私は字幕専門ですが、ときどき会話の切れっぱしが聴こえてきてニュアンスを知ることができると嬉しいです。
ちゃんと聞きとれたら味わいもずっと深くなるのでしょうね。
ちゃんと聞きとれたら味わいもずっと深くなるのでしょうね。
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saheizi-inokori at 2009-04-30 06:50
maru さん、早くまとめないとすぐに忘れてしまいますよ^^。まあ、忘れてもいいのでしょうね。何かが心の底に残っていれば。
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saheizi-inokori at 2009-04-30 06:58
kaoriseさん、幻想、様式化された正義みたいなものに依存していれば安心できた時代が過ぎ去ったのかもしれません。
映画の中の若い神父も主人公のカソリック批判を受け入れたようです。
その時はじめてキリスト教の再生がスタートするのかもしれませんね。
映画の中の若い神父も主人公のカソリック批判を受け入れたようです。
その時はじめてキリスト教の再生がスタートするのかもしれませんね。
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みい
at 2009-04-30 10:01
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この映画観たいと思って、まだ観てません。
saheiziさんの記事読んで、感動(ネタバレまで読んでしまいましたが^^)行きます!
saheiziさんの記事読んで、感動(ネタバレまで読んでしまいましたが^^)行きます!
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saheizi-inokori at 2009-04-30 11:21
みい さん、ありがとう。
実際の映画ははるかに感動的ですよ。
実際の映画ははるかに感動的ですよ。
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convenientF at 2009-04-30 14:56
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saheizi-inokori at 2009-04-30 15:51
convenientFさん、そうです。彼が主演でこの映画が出来たのだと思います。他の人では考えられない。
あの女性のボクサーの映画ご覧になりましたか。あれもそうでしたが。
あの女性のボクサーの映画ご覧になりましたか。あれもそうでしたが。
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convenientF at 2009-04-30 16:40
いつも旬の話題、取り上げる速さ、感想の鋭さに感嘆しながら、
最後まで、一気に読ませていただきました。
イーストウッド、年齢を重ねていくほど、好きになります。
額や目尻の皺も味がありますね。
是非この映画見てみよう..と思いました。
最後に記した、詩人・加島祥造氏のタオの一節、
心に染みますね。
「求めない」という彼の言葉、久々に思い出しました。
と同時に、あの仙人のような風貌も!!
最後まで、一気に読ませていただきました。
イーストウッド、年齢を重ねていくほど、好きになります。
額や目尻の皺も味がありますね。
是非この映画見てみよう..と思いました。
最後に記した、詩人・加島祥造氏のタオの一節、
心に染みますね。
「求めない」という彼の言葉、久々に思い出しました。
と同時に、あの仙人のような風貌も!!
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saheizi-inokori at 2009-05-01 00:21
convenientFさん、「ミリオン、、」はあると思いますが確かめてはいません。
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saheizi-inokori at 2009-05-01 00:23
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convenientF at 2009-05-04 14:32
ギョーカイの後輩たちにこの映画の話を持ち出したら「内容よりも、先ず台詞をよく聞いてください。原語通りに忠実に訳したら”上映禁止”モンですよ」とのことでした。
日本社会では厳禁の”差別語”だらけのようですね。
日本社会では厳禁の”差別語”だらけのようですね。
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saheizi-inokori at 2009-05-04 14:54
convenientFさん、そういう匂いはしましたよ。英語は分かりませんが。
by saheizi-inokori
| 2009-04-29 22:12
| 映画
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