ショッピングセンターの再生は街との共生にある

一昨日、大塚のことを書いたついでに「ショッピング・センターがないことが魅力の一部になっている」みたいなことを言った。

おもちゃ箱を開けるような楽しみ、もうどこにも取り換え用の部品がないようなゼンマイ仕掛けの消防車、鼻がもげている人形、歯でかんだ後が残っている万年筆、揃ってない上に裏で表が分かってしまうトランプ、、“開発”から取り残されたけれど、どっこい、しぶとく生き延びている東京の街の魅力。

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(本郷菊坂・「菊水湯」の脱衣所に飾ってある梟のコレクション)

危うい魅力だ。
おじいちゃんやおばあちゃんが元気でいるうちはいいけれど、、。
銭湯マップで探して行くと廃業になったばかりの銭湯の多いこと!

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(大塚・サンモール商店街、人形焼きの店には広島ファンのおじいさんがいる。ちょっと耳が遠くなっているがいつもおまけしてくれる)

取り替えの利かない、おじいちゃんやおばあちゃんの言葉や笑顔や渋面で出来上がった店の集まりが醸し出す味。
そして肝心なことは、古びた店の間にところどころ若い感性の意欲に満ちた店が光っている。
青山とか銀座のようにいかにも”エッヂが利いてます”という装いをするのではなく、むしろ用心深く鋭さを隠して地の人間になろうとしているかのようだ。

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(大塚・「岩舟」、知らないと通り過ぎてしまうような地味なファサード)

土地バブルのときに老舗の後継者の多くが自分が千両箱の上に住んでいることに気がついてビックリ仰天、生業を忘れて不動産業にウツツを抜かしたり何となくもっと”気の利いた”仕事に浮かれていった。
遊んだり騙されたりして千両箱を使っちまった人もいる。
そうした狂騒の煽りの中で何とか生き残って目を覚ました人たちもいる。

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(池袋・メトロポリタンプラザ、何やらタワーみたいなものが出来た。周囲の柱には巨大な白いカバーが巻かれた。さて、この不況対策となるのだろうか?)

ショッピングセンターは本当はもっと夢のあるワクワクした仕掛けだったのではないか。
それがいつの間にか坪効率、前年比に代表される数字が支配する無機質な空間になり果ててしまった。
その土地に愛着を持つのではなく収益を還元してくれる投資対象としてしか考えない企業がやればそうなる。
前にも書いたように、ここでは新奇であることすらマンネリ化している。
驚きも感動もない、最低限の必要だけを満たすとそそくさと帰って行くお客、そういうお客を“回転率”が上がるといって喜ぶ店すらある。
「お客様第一」というワッペンを胸につけてマニュアル通りの接客をするスタッフはまだましだ。

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(板橋で、昔は”うまい”酒を売ったのかもしれない)

かつて貧乏生活から脱出してキラキラ輝く商品群が手の届くものになってきた時のあの高揚感、あれも欲しいこれも足りない、目覚めると今まで知らなかった欲望が疼きだす。
それが実はかなり薄っぺらな大衆向けのものであったにせよ、一応”貴方のライフスタイル”を”提案”されると自分の価値まで高まったような気がしたものだ。
そういったことどもが昔のショッピングセンターのワクワク感の源だったのかもしれない。
だとすると人々がものに飽いた現在、単純に”原点復帰”ではショッピングセンターの輝きは取り戻せないだろう。
品揃えを変えてデイスプレイを変えて店名を変えてスタッフも変えて、、いろいろ変えて目先を変えても何にも本質は変わらない。
陳腐な新奇。

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(池袋・地下鉄に出来た新しい商店街、スペースを生み出して店舗開発する側の気持は分かるが、顧客サイドからすると待ってましたとはならない?)

何か、別の新しい価値観を提示する”物語”が必要なのではないか。
たとえば土地の歴史とそこに住む人々の物語、即ちおじいちゃんやおばあちゃんの笑顔や渋面が表すような。
数字では表せない、そこに行って直に触れて初めて分かるような価値。

大規模商店開発を認めさせるためのその場限りの“地元との協調”ではなくて心底街との共生を考えるのは必須の条件だろう。
そして“危うい“魅力の街をいつまでも輝いている街にするのだ。
おじいちゃんの渋面を晴らしてくれると有難いなあ。

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(花屋の娘、って大事なんだよね。「野菜のタネ各種 大特売」と黒板に大書してあった)

100年に一度、ならば今こそチャンス、新しい”ショッピングの楽しみ”を味あわせてくれる店を創ることを考えたらどうだろうか。
いわゆるその道のプロよりも哲学者とか人類学者、歴史学者(別に学者じゃなくともいいのだけれど)、いろんな素人、しかし、人間のことを楽しく深く考えているような素人を集めて街の人と一緒になって”新しいショッピングセンター”を創ってごらんよ。
Commented by kaorise at 2009-04-17 23:20
ショッピングモールに行くと”万人向け”の感性と管理意識が蔓延していて、窮屈で、、それにすぐに退屈してしまいます。
同じものを買うにしても個人商店で何十年も商いをやっている人から買うのは明らかに気分が違うんです。
多分その道ひとすじの「知性」と「物語」を客は品物と一緒に買うのだと思います。
リサーチできてて商品をよく知ってるとか、歴史がどうこうというのが知性ではなく、商いそのものに対する知性というか、、、
知っていても空気を読んで知らないふりをしたり、人に恥をかかせない配慮をしたり、長年の経験から生まれた間や余裕の知性です。
商店街は間がいっぱいありますよね、、歩く人がその街の物語に自分の物語を自然に描ける、そんなアソビがある。許された気分がある。
管理されたショッピングモールやいかにも「高級でござい」のお店では
等身大の物語はなかなか生まれない気がします。
どんな職種も同じですが、単なる「知識」を「知性」だと思い込んでいると退屈でつまらない事になる気がするんですよね、、、
知識を経験によって応用できて初めて知性になるのかもしれないですね。
Commented by kaneniwa at 2009-04-18 02:20
周回遅れのランナーが
一時的にせよ
トップに立つということはありそうですね。

そのランナーがどこに行くのかに注目ですね。

BYマーヒー
Commented by convenientF at 2009-04-18 05:22
>高揚感、あれも欲しいこれも足りない

”提案する”側もドッグレースのグレイハウンドになっていた。メクラ滅法走り続けて気がついたら1日2食の生活が身についてしまった。今でも昼飯には無縁。

やがて我々グレイハウンドを数字だけで計るヤツらが幅を利かせるようになった。ワシはソイツらに片っ端から噛みつき、そしてサッサとレース場を去ったが残った仲間たちは無残。金髪碧眼や白い「ソーブ」をまとった「屍肉食い」たちの餌食。

さ、菜の花にシラス干し、納豆で朝酒を少しやってから鍼に出かけるか。
Commented by 散歩好き at 2009-04-18 08:46 x
4月5日に例年の桜散歩に出かけ8時半前に菊坂を通りました。何時もは10時頃其処を通るので肉屋さんで菊坂コロッケを買い和菓子屋さんで桜餅を買うのを恒例としていますが両店とも開いていました。コロッケは間に合いませんでしたが桜餅は買えました。
お年寄りの家族でやっているのに偉いですね。
Commented by saheizi-inokori at 2009-04-18 09:09
kaoriseさん、CD一枚、テイーシャツ一枚、それが置いてある店の佇まいで輝きが変化する。
同じ曲や同じシャツなのに、違う物語をまとって現れて私を惹きつける。
それは売る側の物語なんですね。
それも商品の価値なんですね。
大量仕入れ、画一的商店つくりからは物語は生まれてこない。
マニュアルでのスタッフ養成では物語は作れませんね。
北野たけしが「売れるタレントには彼一流の“間”がある」と語っていましたが、商店も同じなんだなァ。
Commented by saheizi-inokori at 2009-04-18 09:11
kaneniwaさん、後継者、次のランナーが必要だと思います。駅伝、終わりなき駅伝。
Commented by saheizi-inokori at 2009-04-18 09:14
convenientFさん、小原庄助犬やんけ、ころばんように気いつけてや。
なんや知らん、誰かさんの喋りがうつってもうた。
Commented by saheizi-inokori at 2009-04-18 09:18
散歩好きさん、あの辺の薬やで胃の薬をお願いしたら、症状やら目的を訊ねてくれて生薬となんかのドリンク剤を店頭でお湯で割って飲ませてくれました。当座のすっきり感のためにはこれがいいといって。
それを飲んで菊水湯に入ったらホントにすっきりして能鑑賞が滞りなくすみました。
好い街だなあとおもいました。豆屋さんもありますね。小さな豆腐やとか。
Commented by ume at 2009-04-18 10:33 x
「巨大“パワーセンター”の全貌。日本経済新聞“優秀製品・サービス賞”部門で、〈最優秀賞〉に輝いて注目を浴びる上越ウイングのすべてを、開発責任者が初めて綴った貴重なドキュメント。」こんなコピーのついた本が出版されたのは1995年。当時、日本初のパワーセンターということで、大変に賑わったものでしたが、ディベロッパーは倒産し、キーテナントも撤退。今は何ともさびしい様相を呈しています。ここへ行くと時代の流れの速さを感じます。
Commented by saheizi-inokori at 2009-04-18 12:25
ume さん、日本中が上越ウイングで一杯ではないでしょうか?
古い町のくすぶったような店では逆に時が止まっているような気もしますね^^。
Commented by convenientF at 2009-04-19 03:09
朝湯朝酒は大好きだけど朝寝が出来ないのは「小原少々助」と呼びます。
Commented by orangepeko at 2009-04-19 08:33 x
おはようございます。
>土地バブルのときに老舗の後継者の多くが…生業を忘れて不動産業にウツツを抜かした…
文字通りの老舗がありました(*^m^*)今は店もなくなりました…

>ショッピングセンターは本当はもっと夢のあるワクワクした仕掛けだったのではないか…
日本中、至る所に「ショッピングセンター」が出っ張って金太郎飴状態(>_<)
個性もなく…マニュアルに沿った接客で楽しくないです(;-_-) =3
ショッピングが楽しくなくなりました・゚・(ノД`)・゚・
疲れるだけです(^^;…気持ちに余裕がないからでしょうか…(・・?)

ささやかな地域の特産品を生かした「道の駅」も巨大化して…
観光バスでお客が押し寄せているという…
商品はその地に関係のない物まで仕入れるらしい…(・・?)

夢と希望のあるショッピングセンターって夢ですかね(^O^)
地域活性化も、本当はそんなに難しいことではないと思うのですが…
Commented by saheizi-inokori at 2009-04-19 08:41
convenientFさん、右に同じです。
朝寝してたら朝湯も朝酒もできないじゃんね。負け惜しみを言ってますが、なあに目が覚めてしまうんです。
Commented by saheizi-inokori at 2009-04-19 08:43
orangepeko さん、これだけの深手を負った今こそ夢を現実にするチャンスだと思うのですが。
そういうものでないと、もう誰も要らないのではないでしょうか。
Commented by convenientF at 2009-04-19 15:48
本郷界隈では、湯島天神下の高名な「シンスケ」の他に、「岩手屋本店」にも数十年前からチョクチョク行ってます。
サイデンステッカー氏ご贔屓の店として「知る人ぞ知る」居酒屋だそうですが、私は大好きな「宮古カントリークラブ」(鈴木善幸が自ら大枠を設計し、私費も投じたコース)の話がしたくて行きます。

岩手訛りも楽しみなんです。
Commented by saheizi-inokori at 2009-04-19 16:20
convenientFさん、シンスケは何回か行きましたが岩手やは多分まだです。
東京のあちらこちらに行きたい店を用意しておくと楽しいですね。
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by saheizi-inokori | 2009-04-17 21:59 | 梟のゴタク | Trackback | Comments(16)

ホン、よしなしごと、食べ物、散歩・・


by saheizi-inokori
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