桜の下に獅子が二頭いた 幸弘☆満斎☆広忠☆能楽現在形・第9回(宝生能楽堂)

子方の羯鼓の舞の途中から始まった。
前回とは違って今日は小鼓・成田達志がリードした。
ふわ~っ!ふあ~っ!と4回も続いただろうか、腹の底から迸るような凄みのある気合いが太鼓・前川光範の気合いを誘いだす。
いやあ~っ!
笛・幸弘は待ち兼ねたようにエンジンを全開する。
打楽器のようにかけ声を出せない代わりに笛に気合いをぶつける。
笛が壊れないか。
広忠が嬉しそうに参加する。
うをーーっ!やはり広忠は吼える。
吼える息子を後ろから睨みつけるような怖い顔をした忠雄が後見に入ってくる。
なにもしないのに舞台が緊張する。

桜の下に獅子が二頭いた 幸弘☆満斎☆広忠☆能楽現在形・第9回(宝生能楽堂)_e0016828_228267.jpg
(尾山台、「松力の湯」、自由が丘「白山湯」に入ろうと思ったらもうなくなっている。
がっかりして歩いていたらこの銭湯があった。
有難いことだ。脱衣所のガラス戸越し。)

花若が羯鼓の舞を終えると
獅子團乱旋(ししとらでん)は時を知る~
甲高い声で宣する。
どういう意味かは良く分からない、獅子の出番だぞ~、みたいな意味か?
地謡が
雨村雲や奏すらん
すると、静寂。
それまでの狂騒が静寂の深さをひときわ増して感じさせる。

つめた息が我慢できなくなるくらいな長い静寂の後
とん   とん
小鼓の低い、何かを探るような、又は密やかな合図を送るような音、獅子が前脚でそっと洞穴の地面をひっかいているのか。
バン バン
太鼓が答える。
とん トン
小鼓は前よりわずかに高い音で間隔も詰める。
太鼓、バン、バン。
たん!たん!
大鼓は獅子の尾が地を打つのだろうか。
幸弘が黙っているはずもない。
直ぐに全開で獅子の武者震いを伝える。
吼えている、吼えている、確かに獅子が近くで吼えている。

桜の下に獅子が二頭いた 幸弘☆満斎☆広忠☆能楽現在形・第9回(宝生能楽堂)_e0016828_1050352.jpg

獅子そのものが舞うという設定の「石橋」などとは違って「望月」の獅子は、小澤刑部友房が仇・望月の前で舞う獅子舞として演じられる。
それなのに、獅子そのものが躍り出たかと感じるほどの迫力。
赤頭、金の扇(獅子の口の見立て)をつけたシテ・小澤・金井雄資の舞は片山のそれよりも大ぶりでストレートに獅子の動きを写しているかのように感じた。
ただ片山の獅子はピクリとするような小さな俊敏な首の動きなどがいかにも獅子らしいところが俺には好みだ。

それにしても圧巻だ。
ワキ・望月・宝生欣哉を討つ場面もたっぷりとドラマテイックに盛り上げた。
前の記事で前回の「望月」を上回るようであるならば超絶としか言いようがない、と書いたが、少なくとも前回にひけを取らない迫力の舞台だった。
仇を討った後、脇正を向いて立つシテには誇りと喜びがはっきりと感じられた。
全身から湯気があがっているようでもあった。

子方が始めのうち声も細く前回に比べて見劣りがするようだったが、後半は成田たちの応援、シテの獅子奮迅の働きに引っ張り込まれて堂々親の仇を討ったはアッパレである。

桜の下に獅子が二頭いた 幸弘☆満斎☆広忠☆能楽現在形・第9回(宝生能楽堂)_e0016828_10514433.jpg

先にやったのは、狂言「法師ケ母」
シテ・野村萬斎が酔っ払って、ヨロヨロふら~りふらり、橋掛かりを登場する。
心なしか顔が赤らんでいるようにみえた。
その場面、
総じて人間の楽しみは、春は花、秋は月、、俺はただ酒じゃ、はっはっはっはっはっ、、うわ~はっはっはっ、はっはっ
豪快に屈託なく笑う、その場面を観るだけで元を取った気になった。
もちろんそういう酒飲みはきっと失敗して後悔することになるのだが。
アド・女房・高野和憲、地謡に万作、万之介、深田博治、村山悠樹、月崎晴夫。
笛・幸弘、小鼓・成田達志、大鼓・広忠。

桜の下に獅子が二頭いた 幸弘☆満斎☆広忠☆能楽現在形・第9回(宝生能楽堂)_e0016828_21571393.jpg
(呑川緑道で) 

最初にやったのが一調「起請文」
謡・辰巳満次郎
大鼓・亀井広忠

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(タイの白子、たまり醤油の香ばしい香り、黒コショウが効いている)
Commented by たま at 2009-04-13 00:19 x
花ニラはの花は6弁にて、好き、嫌い・・・の順ならば必ず「嫌い」になる花占い。して、タンポポの花弁でで試すやいかに・・・?

雪国・越後湯沢にてもすっかり雪の消えて、桜爛漫でした。例年より1ヶ月は早いのだそうです。

さて、花屋が花占いしたら、「花売らない」で商売あがったり・・・?
Commented by きとら at 2009-04-13 00:27 x
>総じて人間の楽しみは、春は花、秋は月、、
 
 やはり能は品行方正のストイシズムですね。
 落語では「女」が入るはず・・・。(笑)
 
 今日は妹に切符を貰って「オペラ座の怪人」を観ました。
 二度目です。妹は七~八回観てます。(笑)
 迫力満点の舞台でしたが、こちらは物量の迫力でした。
Commented by convenientF at 2009-04-13 04:17
何とまぁ、自由が丘「白山湯」には4年間お世話になったのです。
すぐ近所のアパートに同級生の兄弟と住んでいて、タオル、石鹸、着替えを持ったまま「白山湯」から駅周辺の「金田」「モジリアニ」や可愛いママがいるトリスバーに直行。

1年生の時、「白山湯」の当時の若女将が嫁いできました。番台で挨拶したら、何と小学校の後輩!

2月に、また跡地をみてきましたよ。
Commented by 74mimi at 2009-04-13 06:05
「白山湯」がなくなったのはお客さんが少ないからでしょうか。
寂しいですね。
この「松力の湯」の富士山 懐かしいです。
昔の銭湯は殆ど富士山だったような気がします。
Commented by saheizi-inokori at 2009-04-13 07:31
たま さん、タンポポの花占い?終わるまでに恋人が年をとってしまう?
湯沢のウドを食べたいですよ。味噌つけて。
Commented by saheizi-inokori at 2009-04-13 07:33
きとらさん、狂言はその点、身近ですね。
オペラ座もこれから繰り返しそうですか?
Commented by saheizi-inokori at 2009-04-13 07:34
convenientFさん、金田は前には時々行きました。昨日行った店の親父が金田の親父と親友です。どっちもいい店だなあ。
Commented by saheizi-inokori at 2009-04-13 07:36
74mimiさん、二・三年前に行ったときは白山湯も混んでいたのですが、経営するのも体力も大変だし、土地が高いところだから年をとると楽な経営を考えるかもしれません。
ぽかっと空地になって駐車場があったのはさびしあったです。
Commented by convenientF at 2009-04-13 09:22
「白山湯」に最後に入ったのは丁度50年前の3月ですが「金田」へは年に1回ぐらい行きます。

我々が住んでいたアパートは「自由が丘らしい」ショッピングビルになってしまっていますが、白山通りを挟んで白山湯の反対側に住んでいるヤツに設営させてほぼ毎月自由が丘で飲み会をやっているからです。

白山湯こそが我が青春の最終章!
Commented by saheizi-inokori at 2009-04-13 13:51
convenientFさん、白山通り、それで白山湯だったのですか。
ご主人があちらの出身かと思いましたよ。
Commented by convenientF at 2009-04-13 14:02
>ご主人があちらの出身かと思いましたよ。

アメリカでは散髪屋はChinese、東京では江戸の昔から風呂屋は加賀の人らしいんですよ。

だから「白山湯」というネーミングに迷いはなかったでしょうね。
Commented by saheizi-inokori at 2009-04-13 23:43
CFさん、あちらとは加賀のことでした。越後の人も多いようですよ。
Commented by convenientF at 2009-04-14 08:16
加賀人の「湯屋」は、江戸勤務を命じられて江戸に駐在(駐在所は本郷の現東大)した加賀鳶(火消し)がそのっま居残って開いたもののようです。

越後人の湯屋の起源は知りません。
Commented by saheizi-inokori at 2009-04-14 11:16
CFさん、「松の湯」「竹の湯」「梅の湯」「大黒湯」「鶴の湯」「寿湯」、、都内に多い銭湯の名前です。
あのお宮風の建物も加賀のものだと聞いたことがあります。
Commented by saheizi-inokori at 2009-04-14 16:09
みたび,CFさん、やはり新潟県人の銭湯経営者は多かったようです。そのワケは辛抱強い新潟県人でなければ勤まらない仕事だとか、新潟県人が多かったとか言われています。
http://www.niigata-nippo.co.jp/rensai/n22/n22_h97_k97.html
をご参照ください。
Commented by convenientF at 2009-04-15 09:59
saheizi-inokoriさん、

ありがとうございました。

昨夜は、数ヶ月先まで予約が入っているというのに暴力で(笑)割り込んだ「心臓シンチグラム検査」で遅くなり、今朝もくたびれていて遅くなりました。

やはり銭湯は越後人の方が多かったのですね。質実剛健で団結力も強いからでしょう。
一方、加賀人は贅沢で見栄っ張り。前田藩は徳川以下の大名にカネを貸して暴利をむさぼっていましたから、現代でも加賀人は勤労を好みませんね。

その代わり、宮造り、九谷焼、加賀宝生、加賀友禅などがあるわけです。維新後は敏捷な越中人や近江商人が加賀経済を蚕食し、近年は阪神ヤクザ資本の支配下にあります。もっとも、彼らは利口で表面に出ませんから、超老舗の和菓子屋、旅館、料亭などの現オーナーのバックのバックまで世間にはあまり知られていないようです。

越後人と加賀人の違いは二人の首相を比べればわかりやすいでしょう(^^;)。
Commented by saheizi-inokori at 2009-04-15 22:24
convenientFさん、シンチノ結果はいつですか?私も今日肺やら何やらのCTの結果を聴いてきましたよ。まだ直ぐにはくたばらないようです^^。
Commented by convenientF at 2009-04-16 03:46
4月21日(火)夕方に、シンチの翌日にやった超音波の結果と合わせて結果を聞くことになっています。

その前に既に掛かり付けの内科、心療内科、鍼灸師のオピニオンを得てあります(^^;)。
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by saheizi-inokori | 2009-04-12 21:50 | 能・芝居 | Trackback | Comments(18)

ホン、よしなしごと、食べ物、散歩・・


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