今日は「天地明察」のことを書こうと思っていたけれど melodynelson-2812さんから
一昨日の記事へのコメントで「新潮45」3月号に載っている、菅野典雄・飯館村村長と中川恵一・東大医学部付属病院放射線科准教授の対談について書いてくれとの注文があった。
拙ブログで記事のテーマについてリクエストがあるなんて空前絶後(たぶん)、主観を交えず対談の肝と俺が感じた言葉を摘記してみよう。
(俺の独断で話し言葉を書き言葉に変えたり、簡略化したりしている。)

菅野*現在避難している人の9割弱が村から車で一時間ほどの距離に留まっている。
飯館村は「地域のコミュニケーションででき上がった村」と言っても過言ではない。村の機能をなるべく保ったまま、全村避難という難局を乗り切る方法はないものかと考えて、職員が昼夜を問わずに不動産屋などを駆け回ってできたことだ。
事故の当初、世の中の常識は、「弱者である子供と年寄りをまず避難させるべきだ」、だったが村長の高齢の義母は2ヶ所を転々とした挙句に亡くなった。
中川先生と話をしてそういう常識はおかしいとわかり、先生に村のリスクコミュニケーションを依頼した。
中川*東京の”御用学者”(とグーグルで検索すれば出てくる)と言われる自分のいうことなど信じてくれない。大切なのは、住民同士で意見交換したりして理解を深めてもらうことだ。
4月に村に行ったときは妊婦や小児は避難させた方がいいと思った。
2012年1月19日の朝日新聞に毎日の食事に含まれているセシウムの調査結果が報じられていて、福島県は年間0.023ミリシーベルト、内部被ばくの心配はなかった。
結論めいたことを言えば、管理され流通しているものを食べ、除染はしっかりやれば、少なくとも40歳を過ぎた人だったらそう遠くはない将来、村に戻れると思う。
菅野*政府は自分たちが決めた基準を、世論に反応してすぐに撤回するが、それは自己保身に走っているとしか思えない。
苦労するのは首長だ。
事故以来、政府とマスコミの対応に、村は翻弄され、悩まされてきた。
国の政策や報道のされ方によって村民の心が大きく揺さぶられる。その振れ幅がものすごく大きい。こちらが信念と覚悟を持って取り組んでも、政府の言うことは玉虫色に変わるし、マスコミは飯館村を汚染された土地として繰り返し取り上げ、その後の顛末については報じない。
中川*4月からの食品中の規制値を厳格化したのは小宮山厚労相の指示と聞く。
上に述べたように今でも福島の内部被ばくは十分低いのをさらに低くする(野菜でアメリカの12分の1、水で120分の1)ことで東京のお母さんたちはより安心と思うかもしれない。
だが、いまでも苦しんでいる福島の農業は壊滅的になる。
年間100ミリシーベルト以上の被ばくで将来の発がんリスクは上昇する。
100ミリシーベルト以下では、発がんに影響を与える生活習慣の中に被ばくリスクが埋没してしまう。
野菜不足は100~200ミリシーベルトを被ばくしたのと同じ発がん率になり、受動喫煙は100ミリ、一日2~3合の日本酒を飲めば500~1000ミリ、タバコは2000ミリ以上の放射線を浴びたのと同じになる。
飯館村の除染も、福島県内の学校の校庭の表土を除去するのも必要だが、放射能を恐れて過剰反応し、他の巨大なリスクが見えなくなって、生活が破綻したり、ましてや避難することで命を失うなど本末転倒。
チェルノブイリでは、年間5ミリシーベルト以上となる地域の住民に強制避難をさせた。
その結果、被ばくは減ったけれども、見ず知らずの土地での孤独や仕事のない経済的な不安、発がんの恐怖でストレスが体と精神を蝕み、彼らの命を削った。特に精神的ストレスに弱い男性の寿命が大幅に下がった。
菅野*今まで村民には寝たきり老人や赤ちゃんも含めて一人100万円近くの金が渡って失業保険も期間を延ばして支給されている。
そのために働く意欲を失ってしまった人もいる。
放射能から避難するという特殊性が、心の荒廃を生み、人間が人間たる証の労働の営みも損なわせる。
道路を新設することに予算を割く前に、事故以前の生活に戻れるような”復興”にまずは力を注いで欲しい。
「国が責任を持って除染をする」というのは、ありがたいようだが、実は村が勝手に動けないことも意味している。
大手ゼネコンからの孫請け、ひ孫請けの、村には縁のない人たちが除染に入ってきているが、住民とのコミュニケーションがうまくとれず、除染は進んでいない。
せめて予算の一割を村の裁量で使えるようにしてしてほしい。
そこに住んでいる人が故郷を想う気持ち、家族を大切にする気持ち、自分の生計や子供の教育を担ってもらった田畑や家畜への想い、そこから出てくる努力や情熱や知恵をうまく活用していくことが復興の原点である。
私たちが私たちの故郷のために、がむしゃらになって復興していければ、予算も少なく、期間も短くて済むはず。国はそこがわからない。
裁量権さえ与えてもらえれば、様々な意見を持つ村民から飛んでくる矢も、すべて受け止める覚悟がある。
今、2年で村民を村に戻したいと目標に掲げている(袋叩きに遭っているが)。
戻ろうという意思が続くのはせいぜい3年、2年という数字は村民に希望を持たせたい、国への強いメッセージでもある。

melodynelsonさん、拙い引用ですが、以上です。
金万能、技術信仰、原子力ムラ、、そういったところからもっとも離れた生き方をしてきた”までい”の桃源郷・飯館村がどうしてこんな目に遭わなきゃいけないのかと、怒りを覚えます。
村長の心の中にも義憤は煮えたぎっているのかもしれない。
それなのに、村の復興を信じて、国に任せるのではなく自分たちの手に苦労を引き受けて行こうという決意には頭が下がります。
飛んでくるどんな矢も引き受ける!
中央の政治家や官僚たちに聞かせたい。