梟通信~ホンの戯言:こんなところがあったよ
2024-03-23T13:42:39+09:00
saheizi-inokori
ホン、よしなしごと、食べ物、散歩・・
Excite Blog
自由が丘のサバの塩焼き
http://pinhukuro.exblog.jp/30865860/
2024-03-23T12:44:00+09:00
2024-03-23T13:42:39+09:00
2024-03-23T12:44:58+09:00
saheizi-inokori
こんなところがあったよ
年を取ると目も身体もカサカサになるのだ。
せめて心だけは潤いを保ちたいと思うが、これもなかなか難しいなあ。
今月いっぱいで使用期限が切れるタクシー券を使って眼科まで行った。
春は強い風が吹くといつても今年は度を越しているという話から花粉症が大変だと嘆きを聞いた。
黒い車にねばつく花粉がつくとなかなか落ちない、運転にクシャミがいちばん危ない、、。
うん、そうだね、と相槌を打ちつづけると気が晴れたようで、下車するときには明るい声で「お気をつけて!」といってくれた。
病院のドアを開けると、がら~ん、待合室にも診察室にも誰もいない。
「わあ、いったいまたどうして」というと、受付と看護師が声を揃えて「たつたいま!」、それまで混んでいたのだと。
視力眼圧を測って診察室へ、女医さんも「そうそう今年はいつもと違う、いつもと違う」と繰り返す。
いつものように網膜やレンズの具合をみてもらって、いつものように四本処方してくれた、「五本でもいいんですが」と、これもいつものようにいってみたけど、スルーされた、いつものように。
その間、ものの十分、待合室は満員になつていた。
自由ヶ丘に出て、前回見つけた薬局で、240円、現金のみというのに、「そんな大金もっているかな、あ、あった俺って金持ち」とおっさんジョークをいうと、「はい、大金10円お釣り」と付き合いのよい薬屋だ。
あれ、こんなところにこんな店があったっけ?
「わあ、サバの塩焼き定食,うまそう、1200円だけど、、タクシー券使ったのでバス賃が浮いたから、贅沢してみるか」、ドアをあけると、「すみませ~ん、12時からなんです」、そうかまだ12時前だったか、歯科医が空いてたもんな。
べつの路地で沖縄料理の店を見つけて、ひさしぶりにソーキ蕎麦もいいな、と二階までエレベーターで行ってみると、とても清潔ないい店なのに「すみませ~ん、ランチやってないのです」。
自由ヶ丘デパートの二階を歩いてみるが、カレーは腹具合がイマイチだし、カキフライ定食は1600円とおよびじゃない。
まあ、こうやって歩くのが楽しいのよ。
けっきょくさっきの店に戻って「サバの塩焼き」。「はい、畏まりました」、いい返事だ。
現役時代はランチのサバの塩焼きをよく食ったなあ。
とくに池袋のあの店、うまかったな、ふむ、この店もうまいぞ。
ここも清潔な感じが気持ちよい、見ると壁に床屋の櫛とハサミが額に飾ってある。
尋ねてみると、お父さんが、ここで床屋をやっていたという、いまも健在のよし。
断って写真を撮ったら、喜んでくれて、帰る時にドアまで出てきて、「またお出で下さい」と最敬礼しておくってくれた、1200円の価値あるね。
春から夏にかけてのパンツ、ズボンのことだけど、がないので、無印週間をやっているという無印に行ってみた。
よいこらしょ、と三階まで歩いて、「テーパーパンツ」を見たけれど、イメージじゃないので、すぐ近くのユニクロに河岸を変える。
やさしい女性店員に手伝ってもらって、いかにも昔のズボン、ネービーを選び、裾上げをしてもらう。
篝縫いだと280円、しかも洗濯でほつれやすい、ミシン縫いだと無料で、そういう心配はない。
それじゃミシン、縫い目がみえて何が悪い、ブランドのタッグを付けて歩く人だっているじゃないか。
20分くらいで仕上がるというので、すぐ近くのドトールで300円のコーヒーを飲みながら本を読む。
「ソウルの人民軍」、情勢判断を誤った愚かな南進のおかげで命の安全が曝されて、著者は自家に引きこもり、人が訪れれば、板の間の隅を剥がして、菰と枕を用意しておいて、隠れる暮らし、それが90日間続くと、アメリカが仁川上陸して、こんどは、韓国軍がソウルに戻って来る。
卑怯にもさっさと逃げた連中が、大きな顔をして、人びとを「審査」する。
北も南もやることは同じなのだ。
となりの席に座ったおっさんは、分厚い雑誌をめくるのに余念がない。
ちらっとみたら、オーデイオの写真が載っている。
それを舐めるようにして見ているのだ。
新聞配達などで金をためて初めてカメラを買うときに、母がとっていた「アサヒカメラ」の広告の、焦点距離とか明るさなどのデータを、眺めてわくわくしていたことを思いだした。
風もだいぶ収まった街を歩いてバスに乗って帰った。
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会津は永遠です
http://pinhukuro.exblog.jp/30848098/
2024-03-10T11:23:00+09:00
2024-03-10T11:23:25+09:00
2024-03-10T11:23:25+09:00
saheizi-inokori
こんなところがあったよ
そのなかで珍しかったのは、警察庁について
私たちは警視庁です。
あなたのお子様は窃盗容疑で逮捕され、被害者に215万円の賠償金を支払う必要があります。
至急下記口座にお振込下さい。ひっかかる人がいるのだろうか。
裏金と嘘つきの自民党に投票するような人ならありえるかもしれない。
異次元の少子化対策、新しい資本主義、安全安心、アベノミクス、誠心誠意、火の玉になって、スピード感をもって、信頼回復、、休む間もなく口をついで出るのは、インチキばかり。
それに騙されて、政党助成金を負担し、増税に甘んじ、防衛装備品の費用を負担し、あまつさえ自民党に投票する。
215万円より深刻な被害に遭っているのではないか。
夕方、散歩に出て、美しい夕焼けをみながら、角を曲がろうとしたら、向こうから歩いて来た、乙にすましたマダムが、すれ違いざま、ブブッと落としていくではないか。
僕は足を速めて逃げ去ったので、被害に遭わずに済んだ、あれが前を行く人でなくて不幸中の幸いだった。
彼女も自民党支持者かもしれない。
(碑文谷公園で)
録画しておいた新日本風土記で、奥会津の暮らしをみた。
たぶん前にも見たような気がするが、何度見ても懐かしい会津の冬景色。
こうしている僕が、56年前に、雪の会津線のデイ―ゼル車の先頭に乗りこんで、只見まで通票調節に行ったことが夢の中の出来事のようだ。
とつぜん雪崩がきて、前はすっかり雪がかぶって動けない。
機関士が汽笛を鳴らすと、川をはさんだ雪原から、蟻がはい出るように人が現れて、だんだん人の姿になって、一列になってこちらをめざして歩いてくる。
部落の人たちが助けにきたのだ。
助けに来た人たちの多くは、すでに亡くなってしまったと思うが、助け合って生きていく暮らしは、続いている。
裸参り、道具祭り、、昔から伝わる神々との、謙虚なつつましい暮らし。
その暮らしも、高齢化や過疎のために、いつまで続くのかと心配になる。
雪の中を野菜や日用品を巡回販売する人、石油を配達してくれる人、、いろんな人たちが支えている暮らし。
八十路の爺は、画面にむかって感謝の念を送る。
たった一年しかいなかったけれど、もっと彼らの暮らしのことを学ぶのだったと反省もする。
「テスカポリトカ」(佐藤究)は、あと百ページ。
テスカポリトカとは「煙を吐く鏡」、アステカの神、永遠の若さを生き、すべての闇を映し出して支配する神、生贄の人間の心臓と腕を好んで食べる神。
臓器密売(子供の)などおどろおどろしい話がつづく。
ここまで読んだら最後まで読もう。
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春風駘蕩
http://pinhukuro.exblog.jp/30846875/
2024-03-09T12:03:00+09:00
2024-03-09T12:21:03+09:00
2024-03-09T12:03:01+09:00
saheizi-inokori
こんなところがあったよ
それでも、土曜日だから、便器磨きからもろもろの大掃除をして、仕上げにストレッチをしたら、だいぶ軽快した。
きのうは、カミさんがサンチを見ていてくれるというので、昼飯後すぐに散歩に出た。
やってきたバスに乗り、下馬六丁目で下車、学芸大前を通り過ぎて、碑文谷公園に出た。
野球場の向こうではテニスに興じる女性たちの声がにぎやかだ。
ポニーが幼い子供たちが乗るのを待っている。
池を一周、大きなギターを抱えて座る男の子と、自転車に乗ったまま、話をする子、春休みか。
自転車を置いて、その横でしゃがみ込む、中年の男。
着物を着たママと可愛いドレスの女の子を撮るおばあさん(?)。
幼い子供を遊ばせるママたち。
暖かい日差しを浴びた公園は春風駘蕩。
(数年前に足の形に合わせてインソールを作ってもらった店)
踵を返して、学大商店街をクロスして、駒沢通りの一本北の細い道を歩きながら、けっきょく祐天寺の、古民家カフエに出た
隣りに母と娘らしき二人連れ、ほとんど話をしないで、ランチをとる。
鯖らしき焼き魚を黙々と一時間以上かけてキレイに食べていた。
僕はカフエラテで、「もう死んでいる十二人の女たちと」の「じゃあ、何を歌うんだ」と「私たちは毎日午後に」を読む。
前者は1980年の光州事件、後者は福島原発事故に作家がどう向き合うのかを、小説にしている。
前衛というのだろうか、隠喩や独特の文体で、晦渋といってもよいかもしれない。
1985年光州生まれの作家は光州事件を知らない。
知らない事件に、謙虚に真摯に向き合うこと、世界中で起きたほかの虐殺とどう違うのか、同じなのか、英語で語られるか韓国語で語られるかによって、事件の色合いまで変わってくるようだ。
難解な二作を読んだ後、佐藤究の「テスカトリポカ」に移る。
メキシコの麻薬戦争の描写から、一転舞台は川崎に移り、暴力団の幹部とメキシコから逃げてきた女性の間に生まれた息子の悲惨な生い立ち、それにもかかわらず、怪力無双の少年に育ち、非道な両親を殺してしまう、かと思えば、再び舞台はメキシコに戻り、アステカ王国の神官の血を引く祖母に、アステカの神々を祀る秘法を教わった麻薬ギャング団のトップ四兄弟の話になる。
550頁の長篇の120頁を夢中になって読んだ。
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平潟温泉アンコウ旅(2)
http://pinhukuro.exblog.jp/30788428/
2024-02-05T12:52:00+09:00
2024-02-05T12:52:23+09:00
2024-02-05T12:52:23+09:00
saheizi-inokori
こんなところがあったよ
夕方には帰ってきたのに、もっと何日か過ぎたような気もする。
朝のルーテインに戻り、ほっとする反面、何もせずに上げ膳据え膳だったのが、なつかしく感ぜられる、ハイマートロスならぬ旅ロス気分。
起きぬけに温泉、これぞ天国、みんなはまだ寝ているらしい、六時の天国で、昨日の酒の気を抜いた。
夜もご馳走だったけれど、旅館は朝飯が楽しみだ。
とりあえずビールを一杯ぐっとやって、おもむろにお膳を眺める。
おお、おう、なんとまあ、揃った出そろった、日本の正しい朝飯だ。
ワカメと油揚げの味噌汁、大根おろしにシラス干し、ヒジキの炊いたの、納豆、カレイの煮たの、焼き海苔、とろりんちょの温泉卵、昆布の佃煮、香ばしい揚げ物、さっぱりした香のもの、極めつけはつやつやした茨城コシヒカリの飯。
猫も嘆くほど、キレイに平らげる。
港でやっていた朝市がコロナ以降、開かれないというので、そのまま歩いて駅に向かう。
東京は雪とか雨とかいうけれど、こちらはどんより曇って、昨日より寒い。
寒い外を歩くのは嫌いじゃない。
大津港駅の前にある古い建物、駅のおじさんに尋ねたら、かつて日通の倉庫だったが、いまはつかわれていないそうだ。
こじゃれたカフエくらいできそうだが、なんといっても人けがないのだ。
まっつぐ帰るのは、もったいないような気がして、僕はどこかそこらで途中下車して、駅の近くをぶらつきたい。
そういうとOちゃんが、いいですね、と乗って来る。
M君Kさんもつきあってくれるという。
S君は下りで仙台へ、O君も真っすぐ水戸へ。
買える
来る途中で目に留まった日立に降りてみようか、あ、海がみえるよ、そうそう高台にカフエがあってそっから見えるよ、お土産も買えるかも、、話はまとまって四人は日立で降りた。
忽然と現れたモダンな空間、日立出身の妹島和世がデザイン監修した日立駅、その海に向かった突端に浮かんだガラス張りのカフエ。
自動改札に切符が吸い込まれて出てこない、係に訊くと、この区間は百キロを超えていても、特定区間として途中下車はできないのだという。
あのカフエに入りたかったというと、切符を取りだしてくれて、こんどは自動改札でなくて、声をかけてお通りください、あんがと。
駅ピアノを弾く人がいる。
海が見える。
カフエに入ろうとした、Kさんの笑い声が響く。
彼女が休みの日に、昼から女子会で飲み放題歌い放題980円のラーメン屋が日立にあるのよ、といっていた、その店の女性がレジにいたというわけだ。
下に見える海岸まで高波は襲ったという、この場所は退避場所にもなっているようだ。
カフエの拡大解釈で、反対側の物産販売所に行って、「世界一の大煙突」はどこにあるのかと訊いたら、陸橋の上から見えると教えてくれて、155.7mあった煙突が、1993年2月にとつぜん三分の一を残して倒壊したことなどが載っている、映画のチラシをくれた。
(真ん中あたり、山の中腹に見えるのが、煙突の残り)
Oちゃんが買いたいという「そぼろ納豆」があるという、駅前のショッピングセンターに行く。
マーブルなんとかいう、広場やホールもモダンにしてギリシャをも思わせる。
M君が先に帰ったので、Oちゃんと僕の二人旅になる、そのための、弁当とつまみと酒を仕入れる。
日立から勝田まで各駅、そこでKさんとサヨナラして、特急に乗り換えるや座る間もなく発車オーライ。
さっそく弁当やつまみを広げて、水戸の辛口「一品」で乾杯!お疲れさまでした!
百閒は、列車食堂の飯がうまくないなどと利いた風なことをいう人に対して、「走る列車に揺られて、つぎつぎに移り変わる景色を眺めて物を食える。そんな贅沢をしながら、味がどうのこうのをいうのは心得違いだ」と宣わっているけれど、日立のスーパーで仕入れてきた弁当とレモン酢のハムが辛口の地酒に合うまいことか!
うまいね、おいしいですね、瞬く間に四合瓶が空になった。
東京まで一時間ちょっと、二合づつ飲めるの?と心配したKさんに、写メを送って、報告するOちゃんであった。
彼女が東京駅でサヨナラして、すぐに品川。
まだ一時前、早くから行動すると一日は長い。
山手線で恵比寿に降りて、バスを待つ間、ドトールでブログを仕上げた。
夜は湯豆腐で芋焼酎のロックを数杯、抑制を解いた二日間が過ぎていった。
(大津・叶匠寿庵「石山寺名物 石餅」)
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夢と消えた渋谷駅
http://pinhukuro.exblog.jp/30772307/
2024-01-31T11:21:00+09:00
2024-01-31T11:24:23+09:00
2024-01-31T11:21:30+09:00
saheizi-inokori
こんなところがあったよ
誰かが見ている、視線を感じた、誰かが僕の噂をしている。
ふりかえると茶色のアイシャドウの人と目が合う。
もうちょっと背筋を伸ばして歩けばいいのに、ハイ!
歯科医のデスクには6月のカレンダーも置かれている。
半年先の予約をしている人もいるのだ。
また暑くなるのかな。
僕も3月まで予約をいれる。
バスで渋谷駅に出る。
土曜日に水戸に鮟鱇鍋を食いに行くので、列車の切符を買うため。
以前は恵比寿駅で買ったけど、恵比寿のみどりの窓口がなくなつてしまった。
障害者割引を受けるのは券売機じやだめなのだ。
仲間と品川から特急でいく、その指定券はOちゃんが取ってくれた。
お酒を飲みながら行きましょうね、ツマミとお酒とお弁当を買って行きますね、ア・リ・ガ・トサンキュー!
カイカイが軽快しつつあるのがうれしい。
みどりの窓口はがら空きで、すぐ買えた。
往復3400円、障害者割引のお陰。
久しぶりに来たので、駅をひと回りする。
相変わらず工事中で、ゴミゴミと落ち着きがない。
ニョキニョキと、新しいビルが出来て、人口が減っているのに、既存のビルは大変だろうな。
あっちを向いてもこっちを向いても、オオタニさん!
62年前に大学に入って駒場の寮で暮らした頃は、恋文横丁とか宇田川町のバーとかお好み焼き屋で飲んだ。
大盛堂書店が僕のランドマーク。
長野の高校生のときからの憧れの店だった。
あの頃から、渋谷駅からの道の方向感覚がつかみにくかったけれど、今はもうひと回りわかりにくくなったな。
駅が四角形だと思いこんでいるゆえの錯覚。
モヤイ像が出来たのは1980年だから、その時は国鉄に入って、青葉台の宿舎に住んでいて、ふたたび渋谷駅が通勤駅だった。
転勤が多く何度も引っ越ししたから、最寄り駅も仙台、会津坂下、千葉、関内、板橋、名古屋、渋谷、吉祥寺、方南町、桜新町と変わった。
そのなかで正月の買い出しなどで、渋谷駅の周辺の利用は多かったと思う。
疑似うつ病を克服すべく、休日に料理をするときも渋谷駅前の東急プラザ地下で食材をみつくろった。
いずれ、「我が家」というものが持てたら、センターキッチンにして、休みの日には友だちを呼んで、、千葉で誕生祝いにせしめたカクテルセットなども大事に持ち歩いていた。
あの頃、夢みたあれもこれも、どれ一つ叶わず、ハカナイ夢のままに消えてしまった。
それをあざ笑うかのように、渋谷駅まわりも変わってしまつた。
ハチ公はあの頃からあつて、もっと存在感があった。
周りが大きくなつて、名前だけは国際的になったらしいが、なんとなく小さくなったように感じた。
バスで帰ろうとして、用心のために、トイレを探してマークシティのダイソーに入る。
無いものはない!と言わんばかりの品ぞろえに圧倒される。
しかし、僕の夢はカケラも残っていないのだ、そう思いながらションベンをして帰った。
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エーダンモール~用賀 連日の徘徊
http://pinhukuro.exblog.jp/30643146/
2024-01-08T11:36:00+09:00
2024-01-08T11:36:44+09:00
2024-01-08T11:36:44+09:00
saheizi-inokori
こんなところがあったよ
戦後焼け出された人たちのために、国が長屋形式の住宅を建て、そのご営団住宅になったことが、名前の由来だ。
がらんとした商店街で、唐揚げを買った。
モモ、子供の握りこぶしくらいのを三つ330円、見ている前で揚げてもらって、袋の口を開けたまま、持ち帰ったら、道中イイ匂いがした。
きのうは、方向を百八十度変えて用賀に行く。
子供たちの遊ぶのを眺めて、
よその窓を写し、
国道246の陸橋に上がってみる。
工事現場は、「谷沢川分水路取水施設工事」、谷沢川の洪水予防のためらしい。
千円カットの店に並んでいる若者は、あすの成人式のためかな。
用賀駅からバスで帰る。
元旦からの歩行数、毎日平均6117歩、まずまずかな。
「リンカーンとさまよえる霊魂たち」、あと僅かで読了。
逮捕された池田議員とは、こんな人。
多額裏金疑惑ランキングでトップ3に躍り出た池田佳隆衆院議員(比例東海)の旧統一教会イベントでのスピーチ。旧統一教会もう飽きた?いや、こういう事なんですよ。人としてのスタート地点の問題なんです。あらゆる事が根っこで繋がってるんです。 https://t.co/iSMDzvsDun— 岡本宏史(外科医 Hiroshi Okamoto) (@hiroshiok531) December 11, 2023
さらに、2018年には、文部科学省の前川喜平元次官が名古屋市の中学校で授業した際、池田氏らが文科省に照会するなどした「教育現場への圧力」問題が発覚。文科省は池田氏らから照会を受けた後、名古屋市教委に、前川氏の中学校での講演内容を詳細に聞くメールを送っていた。
この時も約1週間、公の場から姿を消し、党内外から批判を浴びた。(望月衣塑子)
自民党はさっそく除名したが、本来議員になるべき人ではなかった。
検察は、これを突破口により核心に迫ってほしい。
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220円で行く別世界
http://pinhukuro.exblog.jp/30539908/
2023-12-21T11:46:00+09:00
2023-12-21T11:46:17+09:00
2023-12-21T11:46:17+09:00
saheizi-inokori
こんなところがあったよ
国旗が出ている建物、近づいてみるとKENYA RESIDENCEとある。
大使館の人の宿舎なのだろうか。
その隣に、こんどはアゼルバイジャンの大使館だ。
その角を曲がると、エジプト大使館の文化・教育・科学部の表札。
アゼルバイジャンのイスラム教はシーア派、エジプトのそれはスンニ派、ケニアはキリスト教が多数、仲良くやっているのかな。
その先に大きな塀をめぐらした古い建物。
塀にはガラス戸の掲示板があって、佼成新聞やなんやかやが貼りだしてある。
仏像の頭があって、下に「両手でほほをなでてください あなたの望みを必ずかなえます」などと書いてある。
平和を望んだ人はいなかったのか。
角に大きな時計が、ちゃんと生きている。
そこを曲がると、塀際に古びた水槽がいくつかおいてあって、そのひとつには「うらしまさんを竜宮まで乗せた亀です 亀さんの大好物はミミズです
お母さん歌ってください ♪昔、♪昔 うらしまは」などと書いた紙が貼ってある。
亀さんをみないで過ぎてしまった。
門がしまっていて表札も出ていたが、どういう方なのかはわからない。
豪邸が並んでいるかと思えばワンルームマンションらしきものもある。
豪邸はいずれも高い塀をめぐらして、人を寄せ付けない。
こういう家で育った子供はどんな大人になるのだろう。
駒沢通りに出て、降りたバス停の二つ先のバス停から帰ってきた。
往復220円で、いつもとまるで違う世界を覗いてきたような気がした。
大きなマンションの一階に床屋があった。
僕は歩いてニ百歩足らずの床屋に行く。
ここの住人もそのくらいの距離に床屋があるのだ。
ただし、僕は横へ、彼らは縦へ。
大佛次郎「からす組」。
調べたら、細谷十太夫というのは実在した人物だった。
須賀川で博奕打ちや農民などの命知らずを組織して官軍と戦ったのだ。
ゲリラ戦で、官軍を悩ませるようすが「血沸く肉躍る」。
細谷、姉歯、片倉、佐藤、菅野、、出てくる苗字が仙台・会津時代に知った人のそれと同じなのが、なつかしく感じる。
彼らの先祖もれっきとしたお侍だったのだ、そんな風には見せなかったなあ。
きょうは柳津の「粟饅頭」にありつけた。
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馬のいない馬事公苑
http://pinhukuro.exblog.jp/30525129/
2023-12-13T12:06:00+09:00
2023-12-13T12:17:24+09:00
2023-12-13T12:06:59+09:00
saheizi-inokori
こんなところがあったよ
近くの馬事公苑が、長い工事期間を終えて、ようやく開園したというので、そっちに向かう。
まず公苑の前の農大の「食と農の博物館」で久闊を叙する。
展示は「JOZOO――醸造と発酵のせかい」
クサヤ、鮒寿司、そうかあ、コーヒーも発酵食品なのか。
作家の酒豪番付も貼りだしてある(昭和44年「酒」の特別付録)。
東の正横綱は井上靖、西は源氏鶏太、東張り出し大関に戸川晶子、西の張出大関に瀬戸内晴美が顔を出している。
ノーメヌ賞川端康成、残念賞(てなんだい)に三島由紀夫は翌年割腹するのは、これをはかなんだのか。
さっと見る限り、もうみんないなくなってしまった、天国でへべれけになっているのかも。
(スナネズミ)
あまり変わり映えもしないバイオリウムにも入って、ぐるっと一回り。
受け付けの警備のオジサン以外の誰にも会わずに公苑に入る。
以前と変わって見透しのよい広場が広がる。
枯れた芝生の上で煉瓦でできたお馬の親子がくつろいでいる。
子供の広場にも誰もいないのは雨模様だからか。
かつては子供の広場はもっと奥にあって、もっと広く雑木林とか池などと混在していたような気がする。
あの雑木林がすっかり見すぼらしくなって押し込められている。
受け付けに戻って、「JRA馬事公苑ガイド」をもらって、「前より狭くなりませんか」ときくと「いやあ、前を知らないもんで」、失礼しました。
メインアリーナをみて、メインプロブナードを歩くが、人影はまばら、馬影はなし、鳥のさえずりが灰色の空にひびく。
いくつかある放牧場の方に、馬を走らせる砂の道を横切って向かうが、どこにも馬はいない。
と思ったら厩舎の隣のBスクエアというところで、一頭だけ訓練をしている。
スマホではうまく撮れなかった。
池も残っているけれど、点景にとどまって人を寄せ付ける風情に乏しい。
みすぼらしく見えた雑木林の中に踏み入って、ようやく、以前の佇まいに接した。
しかし、キレイになり過ぎて、これでは獣たちは棲めないな。
あちこちに立派なトイレがあるのは、感心といえば感心。
あの見事だった桜は、みな刈り倒されたらしく、苗木のような樹々が植えられて、これが見ごろになるころは、僕はあの酒豪たちの世界にいるのだ。
紅葉の枝の高さにつくられた「ユニバーサルデザインに対応したフオレストパス」というのを歩いて、ツリーハウスに行くと、今日はメンテナンスで中に入れない。
小さな女の子がパパに連れられてきて、がっかりしている。
それでも、色とりどりの紅葉の林を歩いたら、僕の機嫌もよくなった。
お昼時になったので、外に出て近所を歩くがそれらしき店がないので、やってきたバスにひとり飛び乗って、着いたところは成城学園前。
駅ビルの三階の食堂を見て歩くが、どこも成城マダム御用達の、千円では門前払いの店ばかリだ。
トイレだけ使って、駅前の、いつもとは反対側の道を歩くが、ここも千円以下はない。
ソバ屋のウインドウにカツ丼が飾ってあって、食べたかったけれど、値段が書いてない。
入ってみて、1100円なんて言われたら「1000円分だけのご飯にしてくれ」と云う訳にはいくまい。
やむを得ず、反対側のなんどか経験済みのネパールのカレー屋にはいり、野菜カレーランチ990円を食す。
隣りの男が、でかいナンをお替り(自由)しているのを見て、ちょっとうんざりする。
食べ終えて、さらに線路の反対側にまわってみると、なんということだ、よさげな店が並んでいて、いずれも千円以下で大威張りだ。
こんどはここだな。
上島珈琲の、空いているけれど掃除が行き届かない二階の窓際のソファに坐って、暖かい日差しを浴びながら、福原麟太郎のエッセイ集「命なりけり」を心楽しく読みふける。
けさ、シュトレン、次男の嫁さんから、ピエールマルコリなんとか。
濃厚、うまい。
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世田谷で紅葉狩り
http://pinhukuro.exblog.jp/30507612/
2023-12-07T12:39:00+09:00
2023-12-07T18:17:15+09:00
2023-12-07T12:39:12+09:00
saheizi-inokori
こんなところがあったよ
経過を診てもらって薬をもらう。
油断するとまた、ばあッと湿疹ができるのだ。
本屋によって来年のメモ帳を買う。
予定と云ったら病院の予約がほとんど、いちばん簡単で安いのを選ぶ。
いままでずっと黒ばっかりだったけれど、ちょっと花模様。
新しいメモ帳を手にすると、わくわく感が湧いてくるのは、まだ元気があるのかな。
足底なんとかで、まだ違和感があるので、すぐにバスに乗って松陰神社前で降りる。
神社前の商店街には入らず、世田谷通りをあるいて、上海料理の「大吉」で、990円の「エビ野菜ラーメン」を頼む。
野菜どっさり、麺はこの間の三茶の店の方がうまいけれど、ここだって合格点だ、だいいち並ばないで食えるんだから。
餃子二つをサービス、腹いっぱいになった。
このところ、食い過ぎが続いて、体重がじりじり増えて62キロを超える日が多い。
まあ、やせこけた年寄りよりも肉付きのいいお爺ちゃんの方がよかろう。
「アンジェリーナ」の窓際の席が空いていたので、そこでコーヒーを飲みながら、吉村昭「冬の鷹」を読む。
「解体新書」を訳出した前野良沢が主人公だ。
孤児から身を起こして、才媛の妻と子供に恵まれ中津藩の藩医という、安定した境遇にありながら、ほとんど手掛かりのないオランダ語を学ぼうとする。
吉村昭は、なにげない描写の一つひとつに納得の行くまで考証を重ねて、事実を描く。
そのことを思い起こしながら、一行一行鑑賞して読むのだ。
良沢の苦心惨憺も、吉村の「ほんとはどうだったか」を探る営みに相通じるものがあるだろう。
吉村はそれを感じつつ良沢の偉大さを、より深く理解したのだと思う。
一行一行だけでなく一言一言も大事に読むべきだと思う。
しかし、文章がこなれているので、ついつい先へ先へと読んでしまうのだ。
二時間近く、本を読んだ後、近くの実相院にいく。
すこし盛りを過ぎていたけれど、美しい紅葉を見ることが出来た。
吉良氏朝またはその子頼久の創建、境内は世田谷百景に撰ばれている。
天明などの古い、しかもどこかの殿様らしき人の寄進した燈籠があちこちにある。
ユダヤ人がイスラエルの地に建国しようとするシオニズムは、必ずしもすべてのユダヤ人の支持する運動ではない、ということ、むしろユダヤ教正統派の人びとは「イスラエルをパレスティナに返還すべきだ」としている。
アメリカ合衆国議会は、シオニズム批判(つまりイスラエル批判)が反ユダヤ主義であるという法案を圧倒的賛成で議決。米国内ではユダヤ人が日常的に反シオニズムの抗議デモをしているにもかかわらず。
米英独仏で、シオニズム批判・イスラエル批判それ自体をタブー視、違法化する動きが非常に強い。 https://t.co/ME9eBcyKGp— 早尾貴紀 (@p_sabbar) December 6, 2023
「反シオニズムは反ユダヤ主義ではありません。シオニズムに反対することは決して反ユダヤ主義ではありません。イスラエルを批判することは決して反ユダヤ主義ではありません。シオニズムはユダヤ教ではありません。イスラエルはユダヤ人国家ではありません。」ユダヤ教正統派の人々の主張です。 https://t.co/hlHFJrRJ5j— 内田樹 (@levinassien) December 6, 2023
イスラエル軍は、パレスチナの一審、控訴審、最高裁の入っている司法省の建物を爆破した。それによって何十万件もの重要な裁判書類が消失した。
これはイスラエルのガザ攻撃の本質を示している。「ハマス掃討」などでは全くない。
ガザ地区、そしてパレスチナそのものの「抹消」を明確に狙っている。 https://t.co/sHne6suz0e— 早尾貴紀 (@p_sabbar) December 5, 2023
一部の大規模な国立大学に運営方針の決定などを行う合議体の設置を義務付ける「国立大学法人法改正案」が、成立しそうだ。
強い権限をもつ合議体のメンバーは文科大臣の「承認」を必要とし(日本学術会議を想起!)「稼げる大学」をめざす。
たとえば東大では、学生寮が不足しているのに、白金台や目白台キャンパスの余剰地に三井不動産などとホテルや老人ホームを作ろうとしている。
この法律案は、異常なスピードで国会審議がなされて成立した。
田中優子・前総長「注意が必要なのは、これから何が起こるか。次々に、津波のようにやってくるのではないか。で、それはおそらく、アメリカと一緒に何かをするため。この法改正は大学の問題だが、その他色々な政治的な課題と繋がっていると考えた方がいい」#国立大学法人法改悪に反対します pic.twitter.com/hRTpYdq3UC— Choose Life Project (@ChooselifePj) December 5, 2023
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自由ヶ丘で赤ちゃんと指タッチ
http://pinhukuro.exblog.jp/30496283/
2023-11-22T12:25:00+09:00
2023-11-22T12:48:14+09:00
2023-11-22T12:25:24+09:00
saheizi-inokori
こんなところがあったよ
いま、書いてわかった「自由が丘で会おうね」という施設名なのだ。
hp(https://jiyugaoka-de-aone.aeonmall.com/)をみたら、「自由ヶ丘 デユアオーネ」が正式名称。
一階の市場はスルーして外付けの階段で二階へ、そこからエレベーターで三階に行った。
エレベーターのなかは、赤ちゃんを乳母車に乗せた若いカップルが二組。
そのひとりの赤ちゃんが可愛いったらありゃしない、天使の笑顔で僕に手をさしのべる。
思わず人差し指で指タッチ、しかし触れてはいけない、空気でタッチ。
パパが笑いながら「ありがとうございます!」、僕の方がよっぽど「ありがとう!!」。
三階にはテラスがあって、青空の下でおしゃべりをしたりして、くつろいでいる。
高い建物がないところだから、眺めがいい、富士山は雲でみえなかったけれど。
写真を撮ってから、住宅にむけて撮影は御遠慮くださいの小さな表示に気づく。
階段とエスカレータで二階と一階の店、雑貨小物、軽飲食・カフエ、ワイン、靴、レディースフアッション、ヘアサロンなどをみて、待ち合わせの駅前にいく。
やはり乳母車が多い。
会場は、いぜんにも来たことのある「仁松庵」、ちょっとした料亭の入り口のような飛び石を伝って予約した席につく。
満員の客はすべて高齢の女性とみた。
少子化日本の消費衰退に抗うシニアたちをもっと大事にせよ!
割烹着をつけた仲居さんが、飲物を訊いてあとは3500円のコース。
僕は「大七」を燗で、このところずっと焼酎のロックばかりだったけれど、たまにはね。
K君が、さあ、どうぞ、とついでくれた盃を口にもっていくと、ほのかな懐かしい酒の香り、熱いのを一口飲まんか、ぱあっと豊かなコメの精華が広がる。
「ああ、うまい」と吐息をもらすと、生ビールしか呑まないK君が、「うらやましいなあ」という。
M君が「福島の酒ですね、故郷の酒ですか」というから「そうです、我が心の故郷」というと、会津坂下の稲田の光景が瞼に浮かぶ。
世相、弁証法では正反合で、より高い次元が導かれるのに、今の日本・世界は悪悪悪、どんどん下降していく悪の螺旋階段だ。
議員たちの劣化、そういえば昔の先輩は仕事はともかく、話は機智に富み、懐が深く、頭もよかったよなあ。
そうそう「哲学」があったよ。
イスラエルとハマスの対立は宗教だけじゃない。
かつてネタニエフはパレステイナの統一政権をつくらせないために、自治政府に対立するハマスを支援した。
アメリカがタリバンを育成したのと同断だよな。
そういえばかつて国鉄の幹部は当局に協力的な機関車乗務員を国労から脱退させて動労をつくったのが、松崎明の革マルに牛耳られてえらい目にあったな、あれも似たようなもんか。
なんたって、日本は中国の子供といってもいいんじゃないか。
言葉とか格言とか、日本人の根っこには中国の俤がある。
ドイツの力が落ちたのはメルケルのせいだ(M君)。
話題は、あっちにいったりこっちにきたり、K君はゆっくり、M君は猛烈な早食い、その中間の僕、それでもK君の生ビールの三杯目、僕の徳利の二本目が空くころには、みんなきれいに平らげて、そろそろ時間だ、楽しかったな、また来年だね。
好い気持ち、好い天気、もったいないので、九品仏・浄真寺まで歩いた。
紅葉には早かったが、ゆっくりと人けの少ない境内を歩く。
自由ヶ丘駅まで戻る途中、ブログで知ったカフエで280円のデカフエを啜って、三国志を読んだ。
二階はホテルのロビーのように豪華で、コーヒーは800円だって。
二日も続けて贅沢な時間を楽しめたことに感謝だ。
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目黒権之助坂
http://pinhukuro.exblog.jp/30494928/
2023-11-20T12:00:00+09:00
2023-11-20T12:00:29+09:00
2023-11-20T12:00:29+09:00
saheizi-inokori
こんなところがあったよ
退院のときは、カミさんが抱いてタクシーに乗って帰った。
こんどはミスもしないで無事帰宅、と思いきや、なんとタクシーのなかに身障者手帳を置きっぱなしだった。
乗ってすぐに、身障者であることを告げて、手帳を運転席との間のトレーにおいて見せ、いつもならすぐにポケットに戻すのだが、あの日はサンチのことなどでいつもと違うせいか、そのままにして降りてしまったのだ。
降りるときに振り返って、忘れものはないかを確認したのに、トレーまでチェックしなかった。
さいわいレシートを取ってあったので、すぐにタクシー会社に電話したら、ありました、というので、きのう取りに行った。
着払いでおくってもらう選択肢もあったが、ひさしぶりに目黒駅周辺を歩いて見たかった。
「目黒の権之助坂、目黒川の手前」というから、目黒通りに面しているのを確認してバスで権之助坂の入り口で下車。
橋の上に立って見渡すも、それらしき建物はない。
「手前」ってのが、どっちからだい?行ったり来たり。
最初からそうすればよかった、スマホに訊ねてみたら、目黒通りに面してはいないで、目黒川に面しているのだ。
田道なんたらという川沿いの道を歩くが、こんな細い道にタクシー会社が面しているのか、ちょっと不安になりかけたら、タクシーがたくさん駐車しているところに出て、その上はゴルフの打ちっぱなし、ここだと思うが入り口がわからない。
会社に電話したら、川沿いは川沿いだが、入り口はもう一本内側だった。
道路に面した一階のすみの螺旋階段をあがると、埃が積もったような古い車からピカピカの新車まで、タクシー車がおいてある。
壁沿いの通路をいくと会社の事務室、ドアをあけると、国鉄時代に通ったこともある、なつかしい乗務員の詰め所らしいスペースがあって、事務室のなかには、男が二人。
そのひとりに、受領書を書いて、手帳をもらう。
目黒通りに面している、というから、迷っちゃったというと「まあ、面しているようなもんだね」と暢気なおっさんだ。
会社のすぐ隣の橋を渡ると、目黒区民センターだ。
フルートを吹いている人がいて、チラシを配っている女性がいる。
「みんなの目黒区をつくる会」のチラシ、「この区民センターが、高層ビルに移るって知ってましたか」「僕は世田谷区だから知らない、あそこも区役所立替で大変らしいけれど」「どこも同じような問題をかかえているんですね、わたしたちCO2をたくさん輩出するようなビルを作ってほしくないのです」、たまにいく目黒区役所はそのままらしい。
フルートはBGMですって、笑ってた。
区民センターにはいると、屋台がいくつも出ていて、食べ物やパンフレットやお酒などを売っている。
「目黒リバーサイドフエスティバル」開催中だった。
音楽会などもあったらしく、子供連れが楽しそうだ。
笛吹市の屋台でワインを売っている。
僕は本籍が笛吹の石和です、というと、「ああ、柿の産地ですね』「そう、その柿を今朝食べてきたじゃん、ほうけ、てっ!」と少ししか知らない方言を通行手形代わりにしゃべると、彼女たち笑った。
ああ、この鐘は、池田充君の版画を見に来た美術館を出たところだ、あのときは中目黒から雨のなかを来たから、こっちにでるなんて知らなかった。
通り過ぎるだけだった権之助坂をゆっくり見ながら目黒駅に向かう。
狭い間口のちっちゃな店が軒を連ねて、こういうところは高層ビルなんかに吸収しないで大事にのこして欲しいなあ。
九州の門司港駅の向かい側に、川に面してこんな店が並んでいた。
あそこは、こっちから店の向こうの川までが見通せる、そこで海のもので生ビールをぐっとやったら、どんなに有難いことか、と思ったが、地元の友人が車に乗せて料亭に連れて行くので、叶わなかった。
いま、権之助坂でリベンジしようかと、、思うだけ、で一軒づつ見て過ぎる。
古本屋にも入るけれど見るだけ。
脇道に降りて行きたくなったが、上ってくるのがなあ。
我が家から三百歩のバス停から乗り換えなしで目黒駅に行けるので、もっと近いと思っていたら、それでも四十分くらいかかるのだ。
道に迷ったり、目黒区の区民に交わったり、笛吹の女性と話したり、権之助坂を見るだけ道中をしたら、もう目黒駅周辺散歩の時間も根気もなくなって、バスで帰る。
どこかこじゃれたカフエをみつけて、本を読もうと思ったが、それも果たせなかった。
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「死者の書」を背負って病院のハシゴ
http://pinhukuro.exblog.jp/30491404/
2023-11-15T11:29:00+09:00
2023-11-15T13:33:29+09:00
2023-11-15T11:29:40+09:00
saheizi-inokori
こんなところがあったよ
尿検査の結果をもとに僕の塩分摂取量を計算(手持ちのスマホで)してくれて「6・8、好いですね、立派です」なかなかこうならないのだとのこと。
すばらしい天気だけれど、きょうはもう一カ所、眼科にも行かなくてはならない。
バス代が少しでも節約できるから、クリニックのハシゴだ。
検査のあと、およそ三か月分の点眼薬を処方してもらって、こんどは歩いて都立大学前のパン屋をめざす。
八雲小学校の庭で、うららかな冬の日をあびて、子供たちが興じているのは、クリケットだろうか。
創立百五十年を祝って子供たちが作ったフラッグが街灯にはためく。
僕の小学校は、あの頃八十年のお祝いをしたから、きっと同じころにできた、たぶん日本でも最古に近い小学校だ。
音楽室からピアノの音がして、「見上げてごらん、、」と歌声、見上げると夜の星ならぬ雲一つない青空だ。
学校のまわりをぐるっとまわって氷川神社の境内にはいる。
いつもは門の外からお辞儀をして通り過ぎているのだが、拝殿の前で手を合わせる。
椎の実がたくさん落ちていて、鈴をみあげて、母の遺した句、「拝殿の鈴は木の実の音に鳴る」のことを思う。
椎の実をみてから、鈴を鳴らすと、あたかも椎の実が鳴っているように聞こえた、という意味だろうか、と、僕も鈴を鳴らしてみたが、鈴は鈴の音しかしなかったよ。
オシャレな女性が入って行った小さな菓子屋、老人たちが昼飯を食べているのがみえたデイホーム、区民センター、さいきんつぶれてしまった古本屋の隣の洋服やも閉店セール、共産党の事務所、コーヒーや、寿司屋、洋食屋、薬や、花屋、静かな商店街を歩く。
小学校、神社、ピアノの歌、秋晴れ、、なんか出来過ぎだなあ。
奥様たちでにぎわうカフエには入らず、前に来たことのあるカレーの店に螺旋階段をあがる。
時分時なのに、一人しか客がいない。
950円の野菜カレーを頼む。
でっかい、えっと、あれナンったけと言葉が出てこなかったが、そのナンをちぎっては、野菜をくるんで食う。
マイルドな味がうまいっちゃうまいけど、もっと辛くてもいいのだな。
ジャガイモ、ニンジン、インゲン、グリンピース、マッシュルーム、野菜の煮込み・カレー味といいたくなるほど野菜がどっさり入っていた。
薬局で目の薬をだしてもらって、あやうくそのままもっと遠くに歩いて行こうとして、そうだパン屋だった、と気がつく。
始めてみる店員ばかリ四人もいて忙しそうにしている。
「○○ですが、予約しておいた」というと、「はい、○○さんですね」、その声に後ろ姿の一人が振り返って、僕を認めてにっこりする、いつもの人だ。
「今日はまたずいぶんたくさん、新人さんだね」というと、さっきの人が「はい、新人です」と胸をはった。
パンをぶら提げて、薬の入ったリュックを背負って、区民センターの広場にいく。
幼い子供を遊ばせている母親、シートをしいてランチしている二家族、ゴルフボールくらいな柿がみっしりなっている。
広場に面したカフエで、三百円のコーヒーと百円のクロカンを楽しみながら、「死者の書」を読み終える。
前に読んだときは、文体に慣れないせいか、ちっとも頭にはいってこなかったのに、萬葉集の大津皇子の死から横道に入ってきたら小説の冒頭が大津皇子が黄泉の世界で目覚める場面だから、すんなりその後の物語の世界にひたることができた。
あとからきて隣の席に座った、よろよろ歩きのお爺さんが、ソフトクリームを、首を斜めにしてすくいあげるようにして舐めているのが目の端にみえた。
バス停まで行く途中に『万葉の碑』というのがあって、このあたりで暮らしていた庶民が詠んだという三首がそれぞれ丸い碑に刻まれていた。
椎の木だろうか、根元に鳩が群れて夢中になって、何かをついばんでいる。
近づいても逃げやしない、ずうずうしい鳩だと思ったら、何かのはずみで、いっせいに飛び立つ。
飛び立っても、遠くには行かずに、意地汚くこっちをみているのだ。
食事の邪魔して悪かったな、ふりかえることもなく後にしたら、すぐにバスがきた。
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いろいろありましてん
http://pinhukuro.exblog.jp/30481725/
2023-11-02T13:02:00+09:00
2023-11-02T13:02:53+09:00
2023-11-02T13:02:53+09:00
saheizi-inokori
こんなところがあったよ
それでも比較的穏やかに乗車してくれた後娘に「あんなかあちゃんだと」「うん、辛いね」
同じ気持ち。いい家族だな、ちょっとつんとくるけれど。
きのうは皮膚科のあと、やはり花を見たくて、せせらぎの小径を歩いた。
花のようすは変わったけれど、蝶やトンボやハチが飛んでいるのは同じだ、同じ個体かどうかはわからないけれど。
細い道、細い道と歩く。
行き止まりかなと思うと、先が続いて、でも今来た方へ戻っていく、それでもいいんだ、べつに目的があるわけじゃないのだ。
いつも思うことだけれど、この一軒一軒、一部屋一部屋に別々の人生が進行中なのだ。
かれらの生活に責任のいっぱんがある政治家たちは、よくもこの重さに耐えていられるものだ。
まあ、かれらは、このうちの何票が自分に来るかとしか考えないのだろうよ。
狭いワンルームのすまい、このへんは、ほとんど期待薄、政治家にとっては『いない者』として扱われるのかもしれない。
お!トンカツ、いいね、たまには食いてえな、近寄ってみると、ロースカツ定食が200円引きでも1300円、残念ながら高すぎる。
三宿小学校、前に通った反対側の門にでた。
大きなヒマラヤスギのある門、「ヒマラヤ門」とあった。
60年近く前、亡妻はこの学校で特殊学級の教諭をしていたのだ。
彼女もこのスギの下をくぐったのだとおもうと、なにやら親しみがわく。
玉川通りに出ちゃったからには、ぜんかい発見したガミカリーに行こう。
行ってみると、ナヌ?貼り紙がある、ガミさん、検査入院だって、「元気に復活しますので」とある、待ってるぞ。
その先の、トレーラーのような(ちがうけど)店、四種類のランチ千円、どれもうまそう、焼き魚二種盛りで行こうかと入ってみる。
カウンターに先客3人、一席だけ空いている。
「AとFしかないんですけど」、ん、F?A、B、C、の次がFになってる。
DとEはBと聞き間違えやすい、むかし国鉄の指定席を人間が手で売るときに、アメリカ、ボストン、チャイナ、デンマークでABCDを区別していた。
新幹線にはEもあるけど、あれはなんといってたのか知らない。
焼き魚定食はBで、となりの楚々たる美人が美しい箸づかいで小さなお口に運んでいらっしゃる。
その向こうのお兄さんは、Cの豚ロースの味噌漬け焼き、その向こうは見えない。
Aの刺身三点盛は遠慮して、DでもEでもないF「ミックスフライかっこして、ヒレカツ、エビフライ、アジフライ、カキフライかっことず」を頼む。
「エビが亡くなったので、ホタテですが」「くるしゅうない」。
ミニチュアセットかとおもうほど、ひとつひとつが小さい。
ご飯と味噌汁だけが普通サイズ。
しかしおいしい。
ここでトンカツにあえたことも嬉しい。
爺や楚々たる美人にはちょうどいいサイズだ。
向こうのアニさんは、ご飯を大盛りにしてたけど。
このならびには、ほかにもかなり長い行列のできていた油そばの店もあるし、ガミさんのようすをみながら、またきてもよさそうだ。
上村珈琲で、ミルクたっぷりの無糖デカフエを啜りながら、ハイネ「ドイツ古典哲学の本質」を読了。
ゲルマン的汎神論的宗教とカトリック教との関係、マルチン・ルターの業績、スピノザの汎神論とレッシングの啓蒙活動、そこからカントまでの発展、ついでカントにはじまってヘーゲルまでの発展、すなわち「思想の天空でおこなわれたブルジョア民主主義革命」が軽妙かつ辛辣に描かれる。
読んでよかった。
帰宅して洗濯物を取り込んで、ベッドメイクをして、テレビをつけると国会中継。
れいわ維新の太郎に、日本が世界のトップからビリにまで没落していく各種の経済指標を、パネルで見せながらも、いちいち岸田や閣僚、官僚たちに述べさせる。
いささかサディスティックミカバンドだけど、しゃあないやないか、無能・無為の報いじゃけのう。
岸田に自らがしたかっこづけの国会発言を読み上げさせようとしたが、さすがに拒否する。
太郎が論難するあいだずっと、岸田は両手の指を神経質にいらいつづけ、あらぬ方向をむく目はとろんと死んでいた。
鳥鍋をつつきながら、日本シリーズをみた。
同点で迎えた九回の裏、阪神の攻撃、一死三塁の場面で、オリックス中島監督は二番三番の二人を申告敬遠で歩かせて満塁策をとる。
それまで無安打の四番大山が、重責に負けず、三遊間のヒットでサヨナラ勝ち、プライドも守ることができた。
どっちが勝ってもいいけれど、あの場面は大山を祝福してやりたい気持ちだった。
けさもはよから、カンテラはさげなかったが、よく働いて、朝飯は鳥鍋の残りの玉子雑炊。
鬼無里会のメンバーにいただいた、シソの実の醬油漬けの、シソはなくなって汁だけになったのをちょっと垂らして食うとグンバツにうまかりし。]]>
九十九里から奥会津へ
http://pinhukuro.exblog.jp/30475028/
2023-10-24T13:43:00+09:00
2023-10-24T13:45:42+09:00
2023-10-24T13:43:00+09:00
saheizi-inokori
こんなところがあったよ
朝、カミさんが茹でてくれたのを食いながら、これを書いている。
一泊でも旅の余韻がいつまでもつづいている。
ホテル発は10時、海のみえる部屋でゆっくりストレッチをしたりブログを書きあげたりして過ごす。
ホテルのマイクロバスが送ってくれた海の駅、「イワシ博物館」があって、小さいながらイワシ漁に関係する道具や船、衣装などを展示してある。
褌もつけずにすっぱだかで漁をしたのはなぜだろう。
干物のアジの原産地がノルウエーとあったのにびっくり、もうこっちじゃ獲れないのか。
青いポストがなにやら物語めいている。
そのままマイクロが茂原のIさんの店「蕎麦古家」に送ってくれる。
おう、元気だったな!久しぶりにあったIさんの顔をみてほっとする。
「男人生――おのれ回顧と人生浪漫――」と題した宣言が、今もトイレに貼ってある。
その内容は、二十歳は男の修練時
三十・四十は仕事に燃えて
五十になったら己の生き方、舵を切り
六十からが男の人生
欲を切り捨て、未練を捨て
自然の姿で旅に発つ
山河に囲まれ、四季に染まり
小さな起業と自然と共に二度生きる千葉で国鉄マンだったときに、現場で彼を知って、旅行業に関する、その情熱を感じさせる卓越した意見を、僕なりに後押ししたけれど、鉄道優先の土壌の中でなかなか思うことができなかった。
そのうちにさっさと辞めてしまったと思ったら、奥会津檜原湖の畔の古民家を買って、手打ちそばの店を始めるという。
おいおい、冬は雪に埋もれるような辺鄙なところで、そりゃ無謀じゃないかと、おもいつく忠告もしたけれど、いっこうに気にしないようで、どんどん進めていった。
そのうちに、別の知人から奥会津にとても素敵な蕎麦屋があるから、一緒に行かないかと言われたのがその店だったり、鬼無里会のメンバーのひとりがIさんの尊敬ひとかたならぬ人物であったりして、さらにくすしき縁は、その古民家は鬼無里会で買わないかという話があって、みんなで見に行って、僕が共同所有はなかなか大変だからと難色を示した物件だった。
大きな民家だったので、鬼無里会で泊ったこともなんどもある。
近所から借りた夜具をみんなで敷いて、学生の合宿みたいだった。
蕎麦は名人級になり、天ぷらや自分が釣ってくる岩魚料理などが驚くほどうまくなった。
摘んだばかりの山葵の葉をむしゃむしゃ食うのも楽しみだった。
いろんなところから骨董、古道具を集めて来て、あちこちに飾ったり、内装も自分一人で好きなように凝らしていく。
やがて人の知る所になって、メデイアで彼の生き方も含めて取り上げられたりして、経営も順調になった。
消極的で臆病なアドバイスしかできなかった僕に、ほら、ごらんなさい、と誇らしげだった。
奥会津と茂原(奥様が住む)との二重生活、店を閉じた冬は月に何度か雪下ろしに通うような暮らしを10年ほどつづけて、こんどは茂原のこの店を開いて五年、とうとうこの暮れに閉じるという。
奥会津と茂原、15年のソバ屋が、人生の80%の質的充実をもたらしてくれたと語る。
まさに宣言どおりの男の人生を貫いた。
まず、「山ぶどう酒」の野趣を楽しみ、ついで会津の酒「国権」のぬる燗を「ニシンの山椒漬け」と「桧原の蕗」で、ゆっくり吞む。
ほのかな苦みがやがてやさしい甘さに変り、会津の山や川や懐かしい人たちが脳裏に浮かぶ。
配膳で忙しい合間をぬって、僕のところに来てちょこちょこと話す。
奥会津の民家で泊ったときに、二階の窓からみた星空のこと、じっとみていると孤絶のぞくぞくするような感覚が湧いて来たなどというと、「そう孤独、寂しさ、それはつらいものではなくて、たまらなくいいものなんです、寂しさこそ!」と二人で「寂寥感讃美」だ。
天ぷらを頼んだ人から、茄子の天ぷらを分けてもらう。
とろけるような茄子だ。
お目当ては、これ「岩魚の姿揚げ」
頭からカリッ、香ばしい!カリッカリッ、肉は湯気をたててふっくら、尻尾まであとかたなく平らげる。
どくとくの香気、清流の香気だろうか、いつまでも口中にのこって、酒の味わいを深めてくれる。
徳利の「国権」を飲み終えて、とちゅうで呑まなかった「真澄」を冷やで呑む。
長野の真澄、真澄と言えば、えっと、懐かしのメロデイが口をつく。
「真澄の空に、、」ちゃんと形にならないのを、誰かが思い出して、「丘を越えて行こよ」、ああ、わかったそろって声を張り上げる「若者たち」。
「丘を越えていこうよ、真澄の空は ほがらかに晴れて 楽しい心」
お待ちかねの蕎麦。
やはりうまい、甘みもちゃんとある。
ことしは蕎麦がとれなくて、これは去年のだから、いつものようでなくて、、と申し訳なさそうにいう。
そんなことない、うまいうまい、と言いつつ、奥会津で食べた水蕎麦を思いだす。
ほんとに幻の蕎麦になってしまったな。
物足りなさそうにしていたのをみて、お替りをだしてもらって、ああ、さすがに身も心も満腹、余は満足じゃ、と脇息にもたれてみせる。
いいでしよ、移っていくんですよ、障子に映る影を愛でてみせるアルジ。
お土産に手づくりの「そば羊羹」。
茂原駅まで送ってくれた車を運転しながら、この羊羹の商品化に意欲をみせる男、76歳だ。
三度目の航海に出ようというのか。
二組の夫婦の金婚式パーテイ、夜の語り合い、夜明けの太陽、海の駅、そして奥会津の蕎麦と肴と笑い、まっこと、楽しく満ち足りた二日間だった。
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三宿の森でニンフを見てガミさんにあってきた
http://pinhukuro.exblog.jp/30471317/
2023-10-19T11:24:00+09:00
2023-10-19T12:32:31+09:00
2023-10-19T11:24:11+09:00
saheizi-inokori
こんなところがあったよ
植物園のように、多くの花や観葉植物が植えられて、名札がついている。
アゲハ蝶が群れている花畠も。
よし、行ったことのない道を、、坂道を登っていく。
ここに住む人は大変だろうな(年をとると)。
淡島通りを代田にむかって歩く。
森茉莉がすんでいたところは、どのへんだろう、倉運荘だったかな、アパートの名前は。
そこから代沢アパートに移ったのだ。
地元の人に顔を知られたことも書いていた。
世田谷族のことも。
つぎつぎに消防自動車がやってくるが、どうも大したことはなかったようだ。
途中の100円ローソンで、極早生蜜柑330円の50円引きというのを買う。
こんなことをしたのは始めてかな。
知った道に出ると、知らない道に曲がっていく。
とはいえ、いちおう我が家の方向にしとかないと、帰るのが大変だ。
多聞幼稚園とか多聞小学校があって、その先を入って行くと、三宿の森に出た。
森というのはちょっとおこがましいかもしれないが、気持のよいところだ。
幼い子供たちとそのお母さんが、集まって、、おや、子供たちは妖精や動物になって、ハロウインの仮装だ。
親たちは、お互いの子供をほめながら、心のなかでは、やっぱりうちの子が一番かわいいのだ。
うちの子が見劣りしやしないかと心配もする。
そんな若い母親たちのことを思うとちょっとしんみりもする。
公園のベンチに座って、買ってきた蜜柑を食う。
甘くもないが酸っぱくもない、でも喉が渇いているからうまくて、二つ食ってしまう、あとは仏壇にお土産だ。
蜜柑を剥いて食ったりすると、昔のことを思いだす、子供たちが幼稚園に行っていた頃のことを。
父親参観日に行って、お父さんが来ていない子供のお父さんの代わりになって、いっしょに走ったことなども思い出した。
石像の説明がないのが、ちょっと物足りない。
好いお顔をしている、これはお釈迦様だろうか。
どこに行っても工事をしている東京だ。
道路工事も、公園の木の枝切りも、みんな働いているのを横目に歩いて行く。
青山通りに出ると目の前が昭和女子大学だ。
令和を冠した大学はあるのだろうか。
少子化じゃあ、できそうもないね。
ちいさな店が並んでいる、その一方のカレー屋で1000円のカレーがあるのを確認して入る。
五人しか座れないカウンターだけの店だが、二時近いので僕だけだ。
グルテンフリー、無添加のチキンカレーを食いながら、店主と話す。
ガミカリーとは、店主が山上だから。
壁の絵はガミさんの友人の絵本の絵かきが描いてくれた。
女子大生や大学の職員がいい客であること。
僕は自分でもふしぎなほど饒舌になって、まるで子どもが母親に報告するように、
池尻の病院の帰りであること。
病院に行くと、こうして足のむくまま歩き廻るのが楽しみになっていること。
きょうは坂を上ったり下ったりして三宿の森にも行ってきて8000歩歩いたこと、ハロウインの子供たちがいたこと。
千円以下のランチを探して食うのは、金のないことを逆手に取って楽しんでいるなどと。
ガミさんは、ノリがよくて、程よく感心して聞いてくれたりするもんだから、しゃべり過ぎた。
ブログに載せると言ったら、喜んでポーズをとってくれた。
もう少し歩いて、三茶の「星乃家」でデカフエを飲みながら、木田元「わたしの哲学入門」を読み終える。
「反哲学入門」で読んだハイデガーの考え方を繰り返し繰り返し、先行する哲学者の考えとの比較で丁寧に解き明かすので、なんだかわかったような気がした。
でも、木田自身が、自分でもまだわかってないことが多いと書いているから、僕はわかってないこともわかってないのだ。
それにしても、じつに充実した時間を与えてくれた木田元に感謝したい。
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