WBC・イチローの最後の打席についての談春の見方 「三人集」(紀伊國屋ホール)
2009年 03月 24日
個性も持ち味も違う本格派が趣向を凝らして楽しませてくれる。
今、もっとも面白い落語会のひとつだろう。
その内容は、追って書くことにして、今日談春がマクラで喋ったこと。
WBC、日韓戦の大詰めを楽屋で見ていたらしい。
イチローがランナー1.3塁で登場したときに三三が大騒ぎして「兄さん、イチローは打つかな」と訊くから「打つさ、勝つなら打つさ」と答えたという噺。
4割近く打つ人があれだけ打ってないんだから、もう打つだろう。
数字ってのはそういうもんだよ。
この一か月はまるでイチローのこの打席のためにあったようなものだ。
本当はこういうチャンスを作った連中が偉いんだけど人はイチローのことしか考えない。
ヒットを打つか、凡退するか。
韓国のピッチャーとしたら、敬遠の四球という手があるけれど、それが正解なのだろうが、なかなかその道は取らない。
そこでイチローは打つだろう。
こういう場に立つというのがイチローの努力とか力があったからそうなったのか、運がよくてそうなったのか、それが人によって考え方が分かれるところだ。
てなことを言ってたらカーンとヒットを打ちました。
と云って「ちきり伊勢屋」の中に入っていった。
易者に来年2月には必ず死ぬと言われた男の噺だ。
なるほど、考えてみればこれも噺の鍛練でもありますね。
久し振りに「棒球」を少し観ましたが、何とも間延びしたゲーム。
いくら少年時代とは言え、こんなのんびりした競技にマジメに取り組んでいた自分が不思議。
ヤッパ、スポーツは男たちが集団で激突するラグビーやアメラグがいいなぁ。
大相撲もあれは飲み食いしながら観てないと退屈で退屈で、、。
そもそも野球を選ぶのだって普通ではないような気がします。
小沢は「続投する」見通し、麻生は「降板する」のか、代わりに「登板する」のは誰か、といった表現です。
まず、日本人でも意味がわからない人がいます。
さらに野球英語に直訳したのでは野球を知らない英語人には通じません。英語人で野球を知っている人は、日本人が思っているよりズーッと少ないのです。アメリカでもバスケやフットボールに比べると遙かにマイナーなスポーツです。
しかし、日本のマスメディア様は今更変えないでしょうね。
逆にアメリカのビジネスレポートで、他の訳者が訳したけれどどうにも変だから見直してくれ、と依頼されたことがあります。見ると、エピソード全体がアメラグのゲームに喩えられているのです。実に良くできた文章なのですが、最初の翻訳者はアメラグをまったく知らなかったのです。だから方々で辻褄が合わなくなります。
たとえば、野球では選手が一旦ベンチに下がると2度とグラウンドに戻ってきませんが、アメラグでは何十回でも出入りします。そこを間違えたんじゃ辻褄は合わなくなりますよね。
菊池光だったかな主人公が「ジョッキング」をするのです。
乗馬かなと思ったら「ジョギング」のことでした。
乗馬かなと思ったら「ジョギング」のことでした。
Dick Francisはほとんど原書で読んでおり、「菊池光訳」は初期の2,3冊しか読んでいません。
しかし、こういう高名な「翻訳家」のカタカナ語は見当がつきます。大学1年の時の「英和」のセンセイが高名な翻訳家でしたが、ガイジンに会うときは学生に通訳を頼んでいましたから。
そうそう、右寄りの発言でおなじみの大英語学者は英文の手紙は学生に書かせています。大昔から、英語の歴史や構成に関する知識見識では世界で一流なのに日常的な手紙は書けないのです。
日本社会も楽しいっすね(^^;)。
彼はジョギングには縁がなかったのでしょうね。
私も学生時代、大学教授の息子を家庭教師しましたが、人畜無害というかあどけない一家でしたよ。
それにしてもイチローさんに重いプレッシャーがのしかかってた大会でしたね、、
「世界のイチロー」だからはねのけて当然だという向きもありますが、技術は凄い人だけど、人格は子供っぽいから本当に心折れそうなんだろうな、、と思いつつ観てました。
あの打席、技術も金も持ってるけど子供っぽい日本人が大人になろうとする苦しみの象徴みたい、、とも思いました。
原監督はなかなか品があって良かったですね。
でもインタビューで「わが軍は」といった時には思わず大笑いしてしまいました。
玉砕、撃破、逆襲、、、見出しだけ読んでると戦争報道のスポーツ紙です。
あ、「田中のコミサン」、浅草のストリップ小屋に住み込み、踊り子たちの世話をしながらカーター・ブラウンなどのハードボイルドを訳していた「田中小実昌」!
あのオヤッサンなら「ジョッキング」ぐらい当たり前でしょう。
これもセンスかな^^。