分かった!プロフエッショナルの条件はどこにあったか
2009年 03月 18日
一昨日の記事でプロの条件についてどこに載っていたか、探してもみつからなかったのは、ここにあった。
m・yamさんがNHKテレビ(「プロフェッショナル」)で見たことを書いていたのを頭のどこかで覚えていた。
それが「無垢」「無辜」の話で呼び起されたのです。
正確に引用すると
「使命という風が吹いた時に身を委ねられること。そしてその時に自分の思いや考え、都合や好き嫌いというものを一部断念できること。」それが「プロ」の条件だとテレビに出たホームレス支援をしている奥田という牧師が話したそうです。
俺が書いたのと随分違うじゃんと思う人もいらっしゃるかもね。
でも俺のタマシイはあの様に受け止めたのでした。
m.yamさんだって放送した通りに覚えたわけじゃないでしょうが。
ちなみに俺の受け止めは
「プロ」がプロたる所以は「自分の仕事で、これはと思ったときに私生活とかその後のこととか諸々を忘れて、その仕事に執着・没頭することができる人」だでした。
以上、説明・補足終わり。
今日は午後ず~っと「企業の内部統制」とか「コンプライアンス」みたいな話を聞いていた。
こういう話を聞くといつも思うのだが、百の知識より、ひとつの実行が大事だと思う。
トップが、何よりも(家族よりもだ!)社員を愛し、企業を愛し、顧客を愛して、企業のあるべき姿をはっきり示す。
そして自ら現場に赴き、細部にわたるまで自分で観て考えて、、寝ても覚めても考えて観て、方針や指示を自ら書いて(ワンマン大いに結構!責任を負うのは君だけなのだから)、また現場に赴き、、それの繰り返ししか「内部統制」なんて出来やしない。
担当箇所がアリバイ作りや自らの保身のためにやるのでは本末転倒になってしまう。
絶対に自動車事故を起こさない方法がある。
それは絶対に自動車を使わないことだ。
自動車を使わないようにするしか方法がないような指示を平気でする幹部が結構いるものだ。
トップは本気ならそういう幹部を一掃することから始めなければならないのかもしれない。
それが「プロ」の条件だ。
その時は胸はって「プロ」でしたけど・・・・
私もプロに育ててもらった。
このまま、プロにはなれずに終わるのかな。
例えば同じ程度のものを同じ値段で制作するにしても、指示する人がプロでなければ、余計な精神的負担が作業の邪魔をして良い仕事にならない。
結局、わかってない人はわかってない人とつるむもの、幹部の質の高さって会社にとって生命線と言っていいと思います。
現実は、そういう幹部の中の、ごますり上手な者が、次のトップになることが多い、のではないですか。
ま、世襲政治家とごますり経営者を一掃しなければ、日本の明日はないですね。
厳しいようでもダメな幹部を置いておくとが致命的な結果をもたらさないように決断するのがトップの責任でしょうね。
AIGをみるとアメリカはもっとひどいのかもしれません。
大分前のエンロン事件のときだって刑務所に行く経営者たちが莫大な退職金などを手にしても一部のマスコミ以外はあまり騒がなかったように思います。
それはあの頃、他の企業でも巨額の報酬は当たり前という感覚があったからだと思います。
今回は蚊帳が壊れてそれどころじゃなくなったから流石に、、。
私は「一部」という言葉が気に入りました。
でも「断念」には首をかしげました。
「一部」というのは私には、あくまで「独創性」は多少は残すという感じでいいのですが、「断念」というと「悔しさ」があるというか「虚しさ」があるというか、そんな気がします。
この記事ではちょっと玄人の方がぴったりきますかね。
プロという言葉が今や日本語になっているから独特のニュアンスは他の言葉で言い換えしにくいですね。
だからプロが日本語になったのでしょうが。
報酬を得ている、得ていた仕事においておや。
わかりにくい例でした。
スミマセン。
「客とのコミュニケーション、スキンシップ」を「無駄な行為」とし、「旅費交通費の節減」に注力する合理主義者管理職は、私がサラリーマンを辞める頃から増殖し始めていましたっけ。
直ぐにどうこうならないからやりやすいけれどそのツケは大きいと思います。
さすが。^^