ユーウツな裁判員制度の発足 コリンP.A.ジョーンズ「アメリカ人弁護士が見た裁判員制度」(2)

コリンは云う。
裁判員制度は裁判所に対する批判をなくすためにある。
今まであった「常識がない」とか「量刑がおかしい」「冤罪」、、多くの裁判に対する批判が、裁判員を関与させることによって封じられるのだと。

そうじゃないだろう!
裁判員制度支持派はいうだろう。
裁判員が関与することによって裁判そのものが変わるのじゃないか?
有罪率99.9パーセントなどという異常な現在の裁判、”推定無罪”なる憲法の保障する権利が空洞化している”人質司法”が裁判員によって改革されるのではないか?

残念ながらそういう期待は殆ど叶えられないだろう。

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(小岩駅・栃錦像、俺の小学校時代のヒーローだった)

本書はアメリカ人の”権力に対する疑い深い目”で裁判員法の条文を分析してその裏に検察や裁判所がいかなる狡知をめぐらせて裁判員の影響力を殺ぐように創ってあるかを明らかにしている。
たとえば裁判官が「今までの判例ではこうなっている」と説明するのは密室であり、それに疑いを抱く裁判員がいても従来の判例・判決書の類は秘扱いでみることができない。
せめてもそういう知識がありそうな法曹関係の人は予め裁判員の資格がないことになっている。

たとえ、裁判員が奇跡的にいい仕事をして裁判官をやり込めることが出来ても検察は上訴をして、高等裁判所(裁判員がいない)で従来のような判決を勝ち取ることが出来る。
裁判員がどういうことを発言したかとかは判決書を見なければ分からないのだが、その判決書は裁判員が知らないところで作成され出来上がったものは当の裁判員のみならず外部のものは見ることができない。
つまり裁判員制度は、司法が国民の威を最大限に借りながら、最小限の影響力しか国民に付与しない制度である、、(略)公権力の網に引っかかった人を、今までどおり公権力に屈服させるための日本の法律制度の仕組みを、より体裁よくするためのものである。
陪審員制度との違いなども明らかにしながら明快にユーモアさえ感じさせて説く著者の言葉に「やっぱりそうか」と憂鬱になる。

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(小岩・「大黒湯」、島尾一家も入ったのかな)

そういう俺たちを励ますかのように著者は、トドメを刺す。
そうは云っても歴史はどう動くか分からない。裁判員制度だって関係者が頑張れば素晴らしいものになるかもしれないのだから、弁護士は
私たちが守ろうとしているのは、被告人ではなく、憲法である。憲法によって保護されている全市民の権利である。
という、アメリカで頑張りすぎて冷ややかな視線を浴びる弁護士たちの信念を共有すること。

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裁判員は、裁判員になることを義務ではなく権利であると受け止めて、一刻も早く審理を終えようなどと考えず、裁判官に対してもいろいろ質問をすべきだ。
なぜ被告人が自白している場面だけのビデオを見せられたのですか?それ以前の取調べのビデオはなぜ見ることができないのですか?法律の条文にはそのように書かれているのですか?被告人は無罪と推定されているのに、なぜ裁判所はずっと勾留を許可しているのですか?
などと。
こういう質問を裁判員がして、その答えに納得がいくような状態になれば、裁判員制度は法律に書いてある趣旨、「司法に対する国民の理解の増進」に少しは貢献するのかもしれないと。

トドメだよなあ。
Tracked from にぶろぐ at 2008-12-06 11:01
タイトル : 動き出して初めて真面目に考える裁判員制度
おはようございます。昔「評決」って映画を観たのだけれど、女の子と一緒の時に選ぶ映画じゃなかったな。いや問題はそこじゃなかったか ... はっ、いきなり脱線した。 閑話休題。 動き出して初めて真面目に考える、ってのは私に限らず日本人の悪いクセだと思う。いやこのことに関しては以前から警鐘を鳴らしていた人は多くいるんですが、ごめんなさいごめんなさい。 佐平次さんの「梟通信~ホンの戯言」でユーウツな裁判員制度の発足 コリンP.A.ジョーンズ「アメリカ人弁護士が見た裁判員制度」(2)と...... more
Tracked from 伊東良徳の超乱読読書日記 at 2008-12-30 23:17
タイトル : アメリカ人弁護士が見た裁判員制度
 ニューヨーク州弁護士で現在は日本の法科大学院教授の著者が、アメリカ弁護士の立場からアメリカの陪審と日本の裁判員制度の違いを説明した本。  著者の主張は、裁判員制度は、国民の司法参加を余儀なくされた裁判所が裁判所に都合のいいように修正した、裁判所のための制度で、裁判の結果や制度の失敗を裁判員のせいにできて、裁判員は守秘義務のために真実を明らかにできないということにあります。法律が誰のためにあるかはその法律が誰に義務を課し誰に自由(裁量)を広く認めているかを見ればわかるとして、法律上も裁判官に都合がよく...... more
Commented by 高麗山 at 2008-12-04 23:56 x
数日前、TBSで『高知スクールバスと白バイ衝突事故』の特集をやっていました。
警察関係者、同僚の証言は裁判に採用されても、スクールバスに乗車していた、校長や、生徒の証言は一切採用されず、ましてや、事故分析専門者の実験検証結果も採用されませんでした。(二審も却下)

裁判運営については、検察と裁判所が弁護士抜きで擦り合わせをし、押し進めるようです。
あのような裁判に、素人が裁判員として参加しても、裁判所と検察の誘導に抗うこともできず、ひたすら、裁判の責任の一端だけを負わされて幕を閉じそうな感じです!

収監されていく、元バス運転手の後ろ姿が、いかにも残念そうな足取りでした。
Commented by saheizi-inokori at 2008-12-05 07:08
高麗山さん、そして今度はこういう報道をしようとしても「国民の代表の裁判員も入って判断したのだから」と免罪符に使われてしまう。
そうじゃないと、裁判員の誰かが審理の内容を公にしようとすると刑罰が待っているのです。
Commented by gakis-room at 2008-12-05 09:21
残念ながら(笑)私は裁判員候補になり損ねました。もし,なっていたら私は「辞退」ではなく「拒否」するつもりでした。理由は2つあります。
1つは,この制度は裁判官の免罪符にしかならないこと
2つは,こちらが「拒否」の本旨ですが,死ぬまで守秘義務が生ずることです。

憲法18条では「犯罪による処罰の場合を除いては,その意に反する苦役に服させられない」とありますが,生涯にわたって「守秘義務」に拘束されるのは「苦役」以外の何ものでもありません。私がこれまで職務上知り得た秘密は自らの選択によります。このことの「守秘義務」は自らの職業選択の結果の道徳的な課題です。しかし,強いられた「守秘義務」はやはり,拒否したいと思います。
Commented by antsuan at 2008-12-05 09:34
小選挙区制でも十年目に日の目を見て、国民の民意が反映されるようになりました。裁判員制度も時間がかかるでしょうが、必ずや国民を衆愚と見做している連中は泡を吹くはずです。
Commented by saheizi-inokori at 2008-12-05 10:04
gakis-roomさん、残念でしたね。私も落選しました。
当選したことを公言すると過料とか、落選はかまわないのかな。
守秘義務ってのがおかしいですね。
「国民の司法に対する理解の増進」が法律の目的なら裁判員になった人の体験や意見を広く国民に紹介していかないと意味がないと思います。
それより今でも判決書などの公開はなされていないのが不思議です。とくに資格を要さない市民に裁判員をさせるということはその時点で裁判の内容が不特定の国民に周知されることを前提としているはずなのに。
密室性は一向に是正されないのが裁判員制度ですね。
Commented by saheizi-inokori at 2008-12-05 10:06
antsuan、そうならいいね、としかいいようがないです。
私は悲観的です。小選挙区制もそれほど日本の政治を良くしたとは思えないし。
Commented by kanakanafumi at 2008-12-05 12:39
はじめましてこんにちは。
「裁判員制度は裁判所に対する批判をなくすためにある」・・・まさしくそうなのでしょう。「被告人は無罪と推定されているのに、なぜ裁判所はずっと勾留を許可しているのですか?」・・・これも鋭い突っ込みですね。
この制度は、正義感のある真面目な人ほど、結果的には冤罪づくりに加担していくような制度だと思います。残酷です。
Commented by saheizi-inokori at 2008-12-05 18:47
kanakanafumiさん、いらっしゃいませ。
しつこく裁判制度関係の本を読んで書いています。
おっしゃるように真面目な人が冤罪作りに加担して死刑判決をしたらその人の人生はめちゃくちゃになりますね。
Commented by kanakanafumi at 2008-12-07 17:20
「裁判員制度」(丸田隆著 平凡社新書)は、司法への市民参加の意味や司法制度改革審議会での様子など参考になりました。著者は結論として、この制度を限りなく陪審制に近づけていくべきと述べています。
「国策捜査」(青木理著 金曜日)は、直接的に裁判員制度の本ではありませんが、現在の日本の刑事裁判の絶望的な様子が、これでもかこれでもかと語られていて、一気に読み終えてしまいました。そしてしみじみ裁判員制度は危険だと確信を持ちました。
Commented by saheizi-inokori at 2008-12-07 21:11
kanakanafumiさん、どちらもまだ読んでいません。
日本の刑事裁判(民事もですが)はもっと根っこのところから変えないとしょうがないのでしょうね。
判検交流の廃止とか、取り調べ状況をすべて可視化するとか。
Commented by sheri-sheri at 2015-04-13 15:33
大体、法律や犯罪と無縁のところで生きている市民の人々を引っ張って判断しろと言うところに、裏があると思っています。
Commented by saheizi-inokori at 2015-04-13 21:36
sheri-sheriさん、公平な裁判とは何か!
裁判好きな素人を裁判官にしては公正にはならないと思います。
Commented by sheri-sheri at 2015-04-14 11:09
まったくです。
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by saheizi-inokori | 2008-12-04 22:46 | 今週の1冊、又は2・3冊 | Trackback(2) | Comments(13)

ホン、よしなしごと、食べ物、散歩・・


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