天皇・皇后両陛下と同じ能を同じ空間で観ると云う経験についての感想
2008年 11月 29日
天皇・皇后両陛下を間近に見たことは初めてではないが、それは彼らが何処かに行くところを俺が見ると云う、お互いに目的の違う者同士がすれ違っただけのこと。
俺は無機質な機関・地位としての天皇ではなく、同じものを観る、それも偶然にではなく目的意識をもって観る、何百人かの同席者の一人としての天皇に同時代の人間を感じた。
その感じは思いがけなくと言ってもいいほど悪くないものだった。
それは彼らの打ち解けた、しかも充分に丁寧になされた会釈とか笑顔によるものであったとも言えるし、俺と同じものに興味を示したことに対する共感のせいでもあったろう。
しかし、それだけではなくて俺の心の中に、理屈を超えて、彼らを受け入れる気持ちがあったと云うことを感じた。
象徴としての天皇については受け入れるも何も憲法の下に生きて(充分に守られているとは言い難い憲法だが)いるのだから当然の存在として認めている。
改めて受け入れると言ったのは歴史的存在、特に昭和天皇の後継者としての天皇のことだ。
逆に言ったら今まで頭の中では何となくあの一家を受け入れたくなかったのかもしれない。
慧遠禅師が陶淵明たちとの愉快なヒトトキに思わず虎渓から踏み出したような案配か、理屈はなくて笑ってしまうような、そんな感じで俺の本音がポロリだ。
無念の死を遂げた"英霊"たちを裏切った気持ちも余りないのだ。
せっかくの能鑑賞の集中を邪魔されることもなかった。
冒頭のアイがちょっと固くなっていたかな。七歳の子方は破の舞を可愛らしく伸びやかに舞ったと言いたいところだがヤハリ緊張感は伝わって来た。
天皇の前だからと云うことではないかもしれない。
大人になって良い思い出になるんじやないかな。
終わってから一緒になった友人と焼き鳥を食べながら、今頃あの二人はどんな言葉遣いでどんな感想を語りあっているのだろうとミーハーの会話で盛り上がった。
二人で寄席に来ることはあるのだろうか?
もっと気楽に扇辰とか喜多八でも聴きに来たら良いのに。
写真は山梨、須玉のあたり。
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私も以前、皇太子さんと雅子さんがバレエ&能の会にいらしたとき、思わず、うれしくなって拍手してしまいました。それは渦中ながら雅子さんが登場したことへの「ガンバリマシタネ」の気持ちもありました。そうして、同じ場にいること同じところで多分感動すること。当然ながら同じ血の通った人間感だったと思います。
もっとドンドン近づいて欲しいと願いたいものです。昔、「デンマークの王様は自転車で・・」という文が教科書にあってヒドク感激したのですが、そうデンマークのように・・ダメかなー。
だから
>二人で寄席に来ることはあるのだろうか?
もっと気楽に扇辰とか喜多八でも聴きに来たら良いのに。
と思います。現天皇は、大学生時代、サンバの名手として大学のダンス界の目を奪った人物だけに、国賓の接待」や「施設の慰問」ばかりでなく国民の遊びにももっと参加すればいいのに...
くつろぐときも、丁寧な言葉を使って話されるのでしょうね。
大声を出したくなることもあるでしょうね。
でも慣れというのはどんなことでも超越できるのでしょうね。
だいたい社交においてはいろいろご堪能なのでしょうね。
それだけに考えさせられました。
特に神道を主宰されることがおできになれるのかと思ってしまいます。
単に神社で二礼二拍、、するのとはわけが違うのですから。
罰あたりの私には到底できそうもありません。
それだけに能でも落語でも気楽に来られたら好いのにと思います。
もっとも私服の目つきの鋭いのがずいぶん早くから沢山いたことも事実ですが。
日本国際賞の授与式で、
2名の米国人受賞者がリクエストした曲目が演奏され、
我々や両陛下も一緒にそれを聴くというものでした。
招待状にはドレスコードとして、
男性は正装、括弧してタキシードも可、
女性はドレス着用とありました。
真っ昼間にタキシードなのでタクシーで行きましたが、
運転手さんが車寄せに入るのを躊躇するのがおかしかった。
子どもの結婚式にモーニングの借り着が一番の正装でした。
私,複雑な気持ちなんです。タイの人がとっても王様を愛している姿は美しく感じるのに,私は天皇をは愛していない。
この感情は自分でもどぉにもならない。やっぱり子供の頃に受けた教育なんだろうか・・・
息子さんたちにもなんとなく違和感のような感じを抱いていました。
それがなんとなく溶けているような感じをもったのです。
積極的に”愛する”ところまでは行きませんが。