喜多八「千両みかん」が値千金だった 落語教育委員会
2008年 09月 08日
何かあるんだろうと番頭の佐兵衛に訊かせてみる。
恋わずらいだってことになると「崇徳院」だが、なんと
ミカンが食べたい!佐兵衛はミカンならお安い御用だと請合っては見たものの土用の暑い盛り、冷凍なんて無い時代だから見つかるわけがない。
安請け合いをして見つからなかったら倅はがっかりして死んでしまう。そうするとお前は”主殺し”となって逆さ磔は免れないまっつ青になった佐兵衛、炎天下、八百屋、果物屋、金物屋まで駆け回って、
逆さ磔、いや違った!ミカンはないですか?ふらふらになってもう駄目かと思ったら、多町のミカン問屋の倉庫にいっぱいのミカンの中からたった一粒めっかった。
たった一粒だが1000両!
10年に一度いるかどうか分からない、この暑いさなかにミカンが欲しいという客のために蔵一つのミカンを保管しておくんだから1000両でも安いってわけ。
肝をつぶして旦那に報告すると
安いねえ、倅の命だ若旦那にいくらだったと思うと訊くと
1000両くらいかい?って、10袋のミカンの3袋を食べ残して両親にあげてくれと佐兵衛に渡す。
これで300両分か。13の時に奉公に来て身を粉にして働いて、間もなく別家する時に貰う金がセイゼイ30両か、それから一生頑張っても100両は愚か300両なんてお目にかかることはできっこない。佐兵衛は頭がおかしくなってミカン3袋をもって逃げてしまった。
志ん生は
上方から来た、とても良く出来た渋い噺だが、やる噺家からすると損な噺だ。でも難しいからといって良い噺をやらないわけにはいかないから、今日やります。と断って噺を始める。
関東大震災のときに寝転がって本を読んでいた志ん生は、これは大変だと酒屋に走る。
立て続けに2升グーッと飲んで、それから更に2升をもって外に出たらぐらぐらと来たが、酔ってるから
こりゃこりゃ、なんていい気分でと笑わせている。
青山あたりの奥様がバナナ一本のためにダイヤの指輪を出した、なんて噂もあっていろいろと客にマクラを振っておいてから本題に入った。
逆さ磔に怯えて市中を駆け回る佐兵衛が段々切迫していくところが喜多八は真に迫ってしかも面白いのは、そんなことになる筈がないと聴いてるこっちがどこかで多寡をくくっている。
志ん生の録音と喜多八のライブを聴き比べるといろいろ違いがあるが、どちらも客がミカンひとつが1000両という噺の不自然さをそのまま受けとらないように工夫している。
そこのところは有り得る噺としないと3袋を300両としてもって消えた番頭の錯覚が面白くなくなってしまう。
喜多八はミカン問屋の主人に最初は「ただで持って行け」と言わせ佐平衛に、どうしてもお代をいくらでも払うから、と言われてじゃあ1000両という演出だ。
サゲも志ん生は「どうせ、短い命、えいっ」と佐平衛に言わせているが、喜多八は「佐平衛さん、頭がおかしくなって3袋持っていなくなっちゃった」と地でサゲた。
旦那が息子可愛さで1000両でも安いとするのは良いとして、番頭にばっかり探させて自分は何もしないというのは、俺には許しがたい。
そして1000両と聞いて驚きもせず、ミカンを口にする若旦那はもっと嫌だな。
小三治(喜多八の師匠)の枕
何でも子供というのは、欲しい物をみんな与えると、だめになっちゃうんだそうですね。(略)もっとも、いまの大人も、みんなだめですね。欲しいもの、みんな手に入りますから。と云っても、ほんとうに欲しいものは手に入らない。それ以外のものは、大体手に入るという世の中になりました。てな調子で始まっています(手元の本では)。
だって、もうあれでしょ。食べるもんだって、きゅうりだって、トマトだって、一年中食べられるんですから。 んな一年中、食わなくったっていいんですよ。
スコールと雷轟く土曜の夜、中野ゼロホールは満員だった。
初めに歌武蔵と喬太郎の(喜多八はボクサーの格好して折りたたみ椅子に座っているだけ)くだらないコント。
ついで喬太郎の「頓馬の使者」、山田洋次が書いた噺。
ちょっと喬太郎、疲れているのかな。
歌武蔵が「馬のす」、単純な噺をだれることなくやるのはまだ難しいかも。
そして最後が喜多八の「千両みかん」。
やっぱり今日の一番でした。
あら塩を少し振っておもむろに噛めば、衣(皮)を脱いで口腔にスッポンポンの姿で、ピリュリンコ(小泉先生風の表現?)
げにビールが待ち遠しい・・・!
それにつけても、幼児の頃、毎日の「主食」ともなれば、話は別。
これに倣って(?)、いまだにトマトを丸ごと食しても、皮をペッ!とばかりに吐かないと済まない悪い癖。
女房の小言を覚悟しつつ・・・。
これ、まったく同感です。
職場では同じ様な光景が毎日繰り広げられていました。
私はひたすら佐兵衛さんのように走り回っていました。
ああ、思い出しても腹が立つ!
その時は若旦那も「おや、どこへ行ってたんだい。お前のお陰でわたしゃすっかり良くなったよ。」ぐらいのねぎらいの言葉をかけてくれるでしょうか。
結局今わたしたちは1000両トマトを食べているのかもしれない。
冷たく冷えてなくても熟れたトマトをガぶっとやって日向の匂いが口に広がる、よかったですね。
エライ人は自分が動いちゃいけない、下をどう動かすか、それがエライ人の器量なんだ。
圧倒的に支配的な日本の“経営学”です。
アメリカでも同じですか?
犬に食われろ!(あ、ごめん、愛犬家でしたね)
そうですよね、みかん3房くらいでどうということはない、もうご用済みだものね。
アァ、私まで佐平衛の錯覚にはまっていました^^。
私は全財産は投げ出さないでしょうが。
でも金より先に自分もミカン探しをすると思います。
店をほったらかしにするかどうかは分かりませんが。
まあ、こんな甘えん坊息子を育てた親も駄目オヤジですねえ。
上の子がお腹にいるとき、つわりがひどくて何も食べれなかったのに、冬に、スイカが食べたいと思ったのです
東京勤務の頃で、探してもなく、一個1万でメロンを買って来てくれました、でも、スイカじゃないとそれも戻してしまい、ダーリンがやっぱりダメか?美味いのに、と自分がせっせと食べていましたね
その息子・・・こだわりがすごくて・・・・・ハハハです^^;)
無理して買っていきましたけれど一口くらいしか食べてくれなかったなあ。
実家の向かいに住んでいた奥さんが、
妊娠中、なんにも食べられなくて、
とうとう、メロンだけで暮らしたという話、
ご主人が近隣で一番評判のよい果物屋さんだったのですが、
奥さんの実家(岡山)から送られた桃さえ、
喉を通らなかったとは、
当時、奥さんから直接聞い他話です。
ちなみに、ご実家の桃をいただいたこともありますが、
とってもおいしかったことは言うまでもありません。
食べ物にはつらい記憶も多いですね。