宗盛って? 国立能楽堂開場25周年記念公演・「湯谷」

昨日の続き。
中入り後は、能「湯谷」。
「熊野(喜多流では湯谷と書く)松風に米の飯」という言葉があるそうで、多くの人から親しまれているようだが俺は初めて。

名ノリ笛、松田弘之だ。
この人の笛はこれで能管なのか?と思うほど柔らかくメロデイアスだ。
遠い記憶に刻まれている森の鎮守の神様の今日はめでたいお祭りで聞こえたような笛の音。
実際に聴いた笛の音とはまた違う“記憶の中の“笛の音だ。
あるよネっ?
何十年振りかで小学校をおとづれると、そこにある校庭は記憶にあるそれとはずいぶん違ってるってこと。

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まあ、そんなことをふっと思わせるような笛の招きに橋掛かりを歩んできたのは平の宗盛(ワキ・殿田謙吉)、でっぷりと貫録十分、この人がいずれ壇ノ浦の戦いに敗れ入水して死にきれず、生きて虜囚となり都引き回しの上鎌倉に送られ頼朝に媚びへつらい助命を願う。
そのあまりの恥知らずな様子に「平末国」と揶揄されたばかりか39歳を一期として斬首される。
そうなるとはご当人、つゆ知らず、いや何やらひたひたと嫌な黒い雲を予感していたのだろうか。
彼は遠江守に任ぜられているからその時の縁か、いや待てよ、あれは彼が13歳の時だぜ。
ありうべし。「接近」で活躍する少年も12歳だった。
昭和天皇は11歳で陸軍および海軍少尉になっているし。
今の子どもたちとは違う。

遠江の国池田の宿の長の湯谷(シテ・香川靖嗣)を愛し久しく都に留め置いている。
湯谷の老母が病気で余命いくばくもないから、返してくれと訴えても聞き入れない宗盛なのだ。

池田から老母の手紙を携えて朝顔(ツレ・佐々木多門)が都に上ってくる。
「小面」、秋の七草だろうか薄いピンクも散らした唐織が湯谷母子の身を案ずる者の健気さを感じさせる。
一の松(舞台寄り、湯谷宅玄関の心)で案内を乞う。

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(雑司が谷霊園)

アシライ、小鼓(曽和正博)、大鼓(河村総一郎)、笛、特にかけ声がいい。
湯谷が登場し、三の松(揚幕寄り、湯谷宅の心)で母の身を思い嘆く。
朝顔から母の容態が芳しくないことを聴いた湯谷は宗盛にもう一度帰国を願いにまかりでる。

宗盛に病母からの、死ぬ前に一度でいい、会いたいと、切々と書いた手紙、これを読んでもらうところ。
俺が持っている謡曲集は観世だろうか、宗盛は手紙を、俺が見るまでもないなあ、そこで貴方が大きな声で読んでよ、と云うからシテが読むことになっている。
今日の演出は、はじめは宗盛が高らかに読み上げて、途中から湯谷も一緒に謡いだし、やがて湯谷のみが終いまで謡う。
手紙は宗盛が持ったまま、シテは既に読んでいて文面を承知しているからその哀しい切ない心をひざまずいたまま謡う。
シビレルところだ(シテの足も、なんてふざける場合か)。

宗盛が
この春ばかりの花見の友、いかで見捨て給ふべき
とエゴからなのか
さやうに心弱き、身に任せてはかなふまじ。
と湯谷のことを案じて故か、そこは見る人の見方(宗盛君、武将としては優柔不断暗愚の君だったらしいが家族思いで領民には慕われるような人柄だったそうです)だ。
ワキの目が光ったように感じたのだが、感情をそうやって表情に表すのはご法度じゃないのかな。
俺の気持ちが反射したのかも。
目があったように思うから。

結局は湯谷はしぶしぶ牛飼い車に乗せられて洛中を清水寺まで花見だ。
「足弱車(ぐらぐらしたくらいの意味か、力なきにかかる)の力なき花見」だって、「長屋の花見」の方がよっぽどいいやね。

作り物の牛飼い車に乗ったシテと宗盛と従者(ワキツレ・大日向寛)の道中、湯谷の見る鴨川の流れ、音羽などの東山連峰、四条五条の橋の上、車大路、六波羅、愛宕の寺、、美しい風景が流れるのにシテの心は一途に母のこと。
なにを見ても思いは母に飛ぶ。
畳半畳くらいの作り物の中でシテが僅かに動かす足や手、顔。
狭い空間だからかとても大きな動作に見える。
それだけシテの感情が大きく伝わってくる。
前に進む一行、行きつ戻りつするシテの心、バックに流れる花盛りの都の明媚。

シテの謡い、地謡(内田成信、金子敬一郎、友枝雄人、大島輝久、狩野了一、大村定、塩津哲生、長島茂)が、外の景色を謡うときは高く強く、シテの沈む心を謡うときは低く優しく、車の回るように交互にめぐるうちに清水寺につく。
道行って芝居でも落語でも映画でも小説でもみんな大好きだね。
たとえそれが哀しい切ない道行であっても。

清水寺に着いて母のために祈っている湯谷を呼んでの酒盛り、湯谷は割り切ったのか、さあ、みなさん歌でも作って遊びましょうよ、と明るくいうのだ。
暗いこと考えていると顔もくらくなってしまうもの。
美しい周囲の景色を愛でて謡う湯谷だが、音羽山と嵐山の花が雪のように散るのをみると、母の命が思いやられる。ああ!
深き情けを人や知る
この心を誰が知ってくれるのか。
いけないいけない。こんなことを考えていてはいけない。
宗盛にお酌をする湯谷。
求めに応じて中ノ舞。
どう見ても哀しい舞だ。
俄かに村雨、再び激しく散りまどう花だ。
降るは涙か桜花、散るを惜しまぬ人やある

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なにやら歌を短冊に書いて宗盛に渡す湯谷。
読む宗盛
いかにせん、都の春も惜しけれど、
湯谷が下の句を
馴れし東の花や散るらん
ここに至ってついに宗盛もギブアップだ。
疾く疾く帰れ故郷へ、って軍歌で聴いたような(あ、こっちの方が古いのか)ことを言って、あらうれしやな湯谷は、殿の気の変わらない内に(またもや御意の変わるべき)と東へ下る。

平家物語も読んだことがない俺。
源氏物語も(対で言わなくてもいいよね)。
今からでも遅くないかな。
Commented by HOOP at 2008-09-07 00:37
これは私などにもわかりやすいストーリーかもしれませんね。
本日、NHKTVで神田紅さんの「紅蓮源氏物語」を聞きました。
古典のよいところは、いつ味わっても遅すぎることはない
と思えることだと思っています。
Commented by saheizi-inokori at 2008-09-07 09:33
HOOPさん、能はストーリーが分からなくても美しさ(舞、囃子、謡、装束など)を十分に楽しめると思いますが、少し勉強してシテやワキの気持ちを考えながら鑑賞するとひとしおの面白さがあるような気がします。
たとえ独りよがりでも楽しむのは自分だから、こうでなくては駄目ということはない。”教養”のためとか人に示すための勉強じゃない勉強の面白さです。
Commented by ginsuisen at 2008-09-07 09:55 x
長いこと、この宗盛の気持ちがわからず、駄々っ子かと思っていましたが、一昨年、友枝さんの湯谷を見たときに、やっとわかりました。かなり深い話なんですよね、これ。もう平家として落ちていくしかない、最後の花見に誘うらしいのです。その気持ちを知っている湯谷(観世は熊野)、村雨には平家がもうあと少しの意味があるとか。
でもって、湯谷は母の元に行くのではなく、恋人の元へという逸話があるとかないとかで、三島が新作能を書いているらしいのですが、それは、大勘違いだとか・・。そういう気持ちで、橋掛かりに向うということらしいでーす。
Commented by saheizi-inokori at 2008-09-07 10:08
ginsuisenさん、私は恥ずかしながら宗盛ってよく知らなかったのです。いろんな“盛”がいて。
それで重盛とはどういう関係だったかとかNETで調べてみて面白くなりました。
湯谷が浮き上がってくるのは宗盛の存在感があるからなのですね。
他の人のワキも見たい気になりました。
Commented by ginsuisen at 2008-09-07 10:27 x
宗盛って、壇の浦で、息子とともに、いざこれまでと入水するのですが、古式泳法の名手のために、源氏の熊手にひっかかって、生け捕りにされるのですよね。最後の悲しい場面なのに、妙に可笑しいんです。反面、知盛は「見るべきものは見つ」といって、碇をかついで、入水する。船弁慶などで、亡霊となって義経と戦う話など勇壮でカッコイイのと対照的なんですよね。女好きで風流で泳ぎがうまい宗盛ちゃん!
Commented by saheizi-inokori at 2008-09-07 17:00
ginsuisen さん、落語では源平盛衰記というのがありますが、宗盛の登場するバージョンは知りません。誰かやると面白そうですね。
Commented by 旭のキューです。 at 2008-09-07 19:55 x
私は古典のことまだ良く分かりませんが、コメントを送る方達の素晴らしさが良く分かります。
Commented by saheizi-inokori at 2008-09-07 21:01
旭のキューです。さん、今晩は。
古典は誰にでも何かを伝えてくれます。それはその人によって違うでしょう。でもきっと何かを伝えます。
それが古典が古典として生き残ってきた理由です。
心をむなしくして観たり聞いたりしていれば、きっと。こんな私でも観るたびに聴くたびに発見があります。
能は最初に見たとき(二年前?)には綺麗だなァ、だけでした。それでもその綺麗さは次も観たいという気持ちにさせるだけの綺麗さでしたよ。
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by saheizi-inokori | 2008-09-06 23:24 | 能・芝居 | Trackback | Comments(8)

ホン、よしなしごと、食べ物、散歩・・


by saheizi-inokori