面「万媚」にしびれた「絵馬」 国立能楽堂・会場25年記念公演
2008年 09月 05日
「翁」
揚げ幕でカチッ、次いで鏡の間で数回、切り火だ。
小笠原匡が恭しく面箱を捧げ持って登場。
ついで観世清和の「翁」、観世芳伸の「千歳」、野村万蔵の「三番叟」、囃子方(笛・一噌隆之、小鼓が大倉源次郎、古賀祐巳、田邊恭資の3人だ、大鼓・佃良勝、太鼓・観世元伯)後見に地謡とぞろぞろ、しかし荘重に登場する。
翁は二回目、昨年、金春流「座・SQUARE」、山本東次郎の三番叟を予習会にまで参加して、ワクワクしながら観た緊張感がこちらに欠けていたかもしれない。
とうとうたらりたらりら、たらりあがりららりとう翁が朗々と謡うと、地謡が
ちりやたらりら、たらりあがりららりとうと受ける。
明るい正々堂々の神事。
いい気持だ。
「絵馬」
伊勢神宮で節分の夜に絵馬を掛け替えるという神事があるらしい。
黒い馬なら雨の多い年、白馬だと日照りの多い年になるという神の意志があらわされる。それを題材にした前段。
後段は天照大神(シテ・観世銕之丞)が天鈿女命(後ツレ・浅見慈一)と手力雄命(後ツレ・馬野正基)を従えて登場、華麗・優雅に「中の舞」を舞う。
そしてなんと天岩戸伝説を再現するのだ。
天鈿女命の「神楽」から手力雄命の「神舞」に激しく舞う。
囃子方がもう大変!
そこで天鈿女命が何ともカワユク色っぽい。
能面に恋する物語なんてあったかな?年甲斐もなく心ときめかせて天鈿女命に見惚れるのでありました。
帰りにロビーに今日使用した能面が書き出してあるのを見たら「万媚」という面。
何とも何とも、、。
帰宅してからNETで調べてみたら、あったよあった!
陣出達朗が「一矢雲上」と云う小説に書いている。
その昔、観世の誰かがこの面をつけて「巴」を舞った。
そのあまりの妖艶さに観客のひとりがすっかり恋い焦がれてしまい、ついには面を盗み出す。
そして面を抱いてさすらった挙句に面と共に川に身を投げてしまったという。
それ以来、観世家では「万媚」を使うことを禁じたという伝説。
まあ、あまりに豊艶で生々しさもあるから余程の能楽師でないと舞台の品がなくなって幽玄などとは程遠い能になってしまうだろう。
それを嫌って観世家ではこの面を使わないのだと陣出さんは書いている。
ところが、、なんだい!
観世銕之丞って観世でしょ。
パンフレットにも能・観世流「絵馬」ってちゃんと書いてある。
俺の調べたNETの記事が間違いなのか、その後の観世家の方針変更なのか。
間違いでも何でも、面に惚れて心中したという噺、それほど妖しい魅力を湛える「万媚」の面。
俺はそれを信じていたい。
誰だ?お前はメンはメンでも麺が相応だなんて言うのは。
狂言「末広かり」
シテ・果報者・野村萬
アド・太郎冠者・野村万禄
小アド・すっぱ・野村祐丞
とても楽しい、きびきびした、いい舞台でした。
翁からここまで休憩なしで一気呵成に上演されて草臥れていたが万媚でハートを鷲掴みにされて、今度は狂言に笑い、疲れているのがもったいないくらいなものだ。
最後に休憩を挟んで喜多流の「湯谷 三段の舞」なんだが、そしてそれもいろいろ感じることが多い、感動の舞台でしたが、、やはり草臥れた。
これは又の機会に。
何処で写されました?ロビーに飾ってあったのですか?ポスターかな~?ネットから?
とにかく凄く いい写真ですね。
能面のような、というと無表情の意味かもしれませんが、これは実際はいろんな表情をしますね。
いやそんなことはないけれど、絵にならないね。
なんて美しい面なんでしょう。大きな万媚の写真に一瞬息が止まりました。
ところで、私が検索したらこの話、見つからなかったワー。観世ではく、金剛さんの話はあったのですが・・
お面て、光の様子で表情が変わって意味ありげな顔が百変化ですよね。
名前もすごいけれど、じいっと眺めていると、不思議な感覚襲われますね~。saheiziさん、魅了されちゃったの解るような・・・・。
googleで「万媚」をいろいろ当たっていたらありましたよ。
観るこちらの想像力と能面の不思議と能楽師の演技が重なって瞬間瞬間にいろいろ変化していくのが能の魅力ですかね。
素晴らしい面だと思いました。