さん喬「もう半分」、志ん生、志ん朝、小三治読み比べ 第482回「落語研究会」(国立小劇場)

さん喬「もう半分」
「行灯」ともいう。
生まれたばかりのあかんぼが、その顔と云うのが黒くて皺だらけ、前歯がつきだして、眼は落ち込んで、唇はめくれて、、まあ、老爺そのもの、そのあかんぼが草木も眠る丑三つ時、部屋の隅にある行灯の油を呑んでいる。
親父が思わず(母親はあかんぼをみて狂い死にした)「ぎゃっ」と云うとあかんぼはこっちを向いて
もう半分
笑った。
何とも陰惨な噺だ。

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わびしい居酒屋の常連の、ぼて振り爺さん、いつも一杯八文の茶わん酒を半分づつお代わりする。
お手数申し訳ないけれど半分づつお代わりする方が何だか美味しいような気がするんで。へへ、もう半分いただけますか。
ケチなのかも。
爺さんが寒い夜に酒を旨そうに、もう半分もう半分、6杯飲んでいくところをさん喬はみっちりとやる。
酒が好きで好きでしょうがない。
外の雪に溶け込んでいくような酒の演出だった。

実は爺さんの今日の酒はいつもと違うはずなのだ。
というのは娘が爺さんの行く末を心配して、これでちゃんとした店をもってくれ、と自分を吉原に売って作った50両という大金を懐に入れてある。
そんなときに、いくら寒くても酒なんざ飲んで帰っちゃいけねえ。
それなのに、いつもの永代橋のほとりで店を見ると、一杯だけ、と寄ってしまった。
意地が汚いと云えばそうだが、飲まなきゃおれなかったのかもしれない。
好きで飲んでもいるが飲めども飲めども酔わない酒なのだ。

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それでトンデモナイことになる。
50両の包みを店に忘れて出てしまうのだ。
一生懸命に働いても毎晩寝るところは客が帰った後、酒の匂いが立ち込める狭い部屋、どうかしてもう少しましな生活をしたい。
思う心は夫婦同じだが、50両の現金を見た時の決断は女だ。
なかったことにする。
猫ばばだね。

途中で気がついて血相を変えて戻った爺さんが金の素性まで話して哀訴泣願するが、もはや男も「なかったよ、そんなもの」。
雪の中を悄然と帰っていく爺さん。
翌朝、大川に浮かんでいる。

その爺さんの顔にそっくりなあかんぼが生まれて、、というわけだ。

5代目古今亭今輔(お婆さんが上手だった)、古今亭志ん生、そして志ん朝がやった噺。
俺はテープで志ん生を聴いたように思うが(探してみなくちゃ)、今輔はどうだったかな。
家にある小三治と志ん生、志ん朝の口演記録を読み比べてみた。

枕の違い。いつもこうだったというわけじゃないけれど。
小三治は日本酒とウイスキーの違い、翌日のトイレの匂いなんかも喋っている。
志ん生はたった三行
エエ、、甘い物の好きな人と、お酒の好きな人と、どっちだってえと、どうも酒の好きな人の方が失敗は多いですなあ。
志ん朝は怪談について話す。
自分の身に起きた怪談、実は単なる志ん朝の勘違いだったてぇエピソードを三つばかり、さぞかしあの話術でファンを沸かしたんだろうなあ。

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小三治は(今輔の流れだというが)、
昔、隅田川、永代の橋の袂に一軒の小さな居酒屋があったとさ
で入る。
お伽噺にして噺の後味の悪さを消そうとする工夫か。
爺さんを常連ではなく一見とする。
爺さんが芋の煮っ転がしを酒の邪魔になるからと食べないのはさん喬がうまそうに芋を食って見せるのと反対だ。
志ん生、志ん朝には芋が出てこない。
志ん生は全体も一番短いが酒を飲むところもあっさりだ。

爺さんが自分の身の上噺をするところは小三治が一番力が入っている。
ぜひ生で聴きたい。

50両を猫ばばするところで男の正直さ、気の弱さを強調するのは志ん生、志ん朝親子、志ん生は“様子を見に”、志ん朝は“返すために”爺さんが店を出た後、男が50両もって追いかける(間に合わず身投げを目撃する)。
女が腹の決まらない男に決めゼリフ。
志ん生親子
いやに正直だねえ、、、正直め
小三治
かわいそうたってさぁ、おまえさんだってかわいそうじゃないか。そうだろ。そのお宝、こっちへいただいたってさぁ、世の中から、かわいそうの数が減るわけじゃないんだよ。こっちのかわいそうが向こうへ行くだけなんだからさ、ね。
小三治は割とあっさりやる。
さん喬がどういう決めゼリフだったか思い出せない。

さん喬は女もそれほどアクドクは描かない。
出来ごころ、引っ込みがつかなくなって、、うん、それよりは確信犯かな。
志ん生は随所にくすぐりを入れて暗い噺を軽く聴かせようとする。
彼の人柄がそういう演出を助ける。
志ん生は突き抜けていたからこの程度の噺をそれほど暗いと感じるほどやわじゃなかった。
(娘を)女郎に売ったって、またそのコが他の客ゥ騙して取りゃァおんなしだよう
って。
それが志ん生の明るさにつながる。

さん喬はギャグはほとんどなし、しみじみと劇を見るように話した。
40分もやったかな。

他に
夢吉「狸賽」
圓太郎「浮世床」、良かった。ゆっくりめの間がいい。艶っぽい。
志ん輔「猫の災難」、熱演だがやや重く感じた。もしかするとここが志ん輔のセキかも知れない。
鯉昇「てれすこ」、小噺みたいなものを25分しゃべるのに苦労している印象。好きだけど。
Commented by hiranuma-nasubi at 2008-08-31 22:41
おっかないです。
そして、かあいそう。

落語なんですか?
Commented by saheizi-inokori at 2008-09-01 07:14
hiranuma-nasubiさん、酒のみが出て暗い噺と云うのは珍しいのです。
怖い陰惨な噺の印象を救うのはサゲの「もう半分」というユーモアかな。
後は噺家の芸の力ですね。
やみくもに真っ暗けにしない力。
Commented by MAKIAND at 2008-09-01 09:54
なぜか私は志ん朝のCDを持っていて、たまに聴いてたのです。
実に知識がないとやはり理解ができない部分があったのですが、ここのところのこちらの落語解説とご紹介のあった本を読んで、もうちっとは話が面白く聞けるようになりました。
こちらのお話もCDで聴いた覚えがあります。
話す人によって伝わってくる話が違ってくるというのも面白いですね~。
やはり、生で聴くのが一番だなと感じました。
Commented by saheizi-inokori at 2008-09-01 10:28
MAKIANDさん、おっしゃるとおりです。
わずかでも志ん生を寄席で聴いた記憶があるから筆記禄を読んでイメージが湧くので全く知らなかったら読んでもイマイチでしょうね。
Commented by 高麗山 at 2008-09-01 10:34 x
今の時代、口演すれば問題になりそうな噺も随分ありますネ。
円生だったか、逆児を孕んだおもらいさんが、膝の上に10銭の施しを受けた、すかさず逆児が10銭玉を握りしめた!
聞いた当時は、何の思いもなく聞き流していましたが。。。
Commented by saheizi-inokori at 2008-09-01 10:47
高麗山さん、愛は地球を救う24時間テレビのような偽善とは対極にあるのが落語だと思います。
人間の業を肯定するのが落語とは談志の言葉ですが、肯定とまではいかなくてもあるものをあると見据えて笑ってしまうのが落語じゃないかと。
Commented by hanamaki3 at 2008-09-01 18:31
「もう半分」、遊馬さんで聴いたことがあります。
呑兵衛の遊馬さんだから、お酒の呑むとこはハンパじゃなく上手でした(笑)。
でも怖い噺でした。ぶるっ!
Commented by saheizi-inokori at 2008-09-01 18:40
hanamaki3さん、でも、下戸の方が酔っ払いは上手だという説もあるのですよ^^。小三治とかね。
遊馬さんは聴いたことがないのですが。
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by saheizi-inokori | 2008-08-31 21:23 | 落語・寄席 | Trackback | Comments(8)

ホン、よしなしごと、食べ物、散歩・・


by saheizi-inokori